第9話 宴の始まり

 エルンストはほどなくして目を覚ました。

 まだ意識が収束しないまま、ぼんやりと訓練場の天井を眺める。


(……そうだった。俺はヨハン様の一撃を喰らって……)


 実際のところ、喰らった攻撃はかなりの数だけど。最後の一撃で意識を刈り取られた。


(本当に強くて、圧倒的だった……) 

 ヘルマンが王国最強と呼んでいたのは伊達ではない。そんな人間と剣を合わせられたことが、騎士を目指すものとしてたまらなく光栄だった。

 ヨハンが操る剣の軌跡は今でもリアルに思い出せる。ずっとそれを思い返すだけで浸っていたい。あの幸せすぎた時間に――

「やあ、お目覚めかい?」


 そんなヨハンの声に我に帰る。

 慌てて身を起こすと、壁際で腰を下ろしているヨハンの姿があった。すでに着替えを終えて、怪しげな占い師の外見に戻っている。

 一瞬で、エルンストの肝が冷えた。


「も、申し訳ありません! ヨハン様をお待たせしてしまって……!」


「別に構わないさ。私が気絶させたんだ――目を覚ますまでの時間も計算した上でね。おかげで静かに考え事ができた。退屈はしていない」


 着替えを促されて、エルンストは隣の部屋へと向かう。

 その際、足を止めてこう言った。


「あの……本当にありがとうございます。今日の日のこと、絶対に忘れないでおこうと思います」


 服の着替えを終えて、エルンストとヨハンはツァーリ伯爵邸を後にした。少しずつ日が翳りつつあり、なかなかにいい時間だ。

 そう遠くない距離を歩くと、ヨハンがこう言った。


「ここが私の家だよ」


「すご……!」


 思わず、そんな言葉がこぼれてしまう。

 ツァーリ伯爵邸もかなりの大邸宅だったが、こちらはさらに豪壮な建物だった。王族に次ぐ権力を持つ大貴族にふさわしい代物だった。


「さて、それでは今日の本番を始めるとしよう。ドラマだとバレないよう、精一杯の演技を期待しているよ、主人公くん?」


 もしもヘマをすれば、きっとヨハンはガッカリするだろう。


(それは絶対に嫌だ)


 ヨハンの期待を裏切るような真似だけはしたくない。剣を振るしか脳のない単純な男にとって得意な分野だとは言い難いが、最大限の努力をしようと覚悟を決めた。


「おかえりなさいませ、ヨハン様」


 門番から戻ることを伝えられた使用人たちがホールに揃ってヨハンの帰還を迎える。

 両手を超える数の使用人たちが一斉に頭を下げる。


(これはヨハン様に向けられたもの……ヨハン様に向けられたもの……!)


 ヨハンの横に立つ自分はあくまでもおまけだと、必死に言い聞かせた。わかってはいても気分は高揚してしまう。自分はヨハンの横に立つものなのだから。それを自分のものだと勘違いしてはいけない。


「君たちもご存知の通り、今日は我が家で大切なパーティーがある――主賓は彼だ」


 大貴族の使用人たちは決して客をじろじろと見つめたりはしない。だが今、主人の許しは与えられた。今まで向いていなかった視線がいきなりエルンストに集中する。

 どきっと心臓がひとはねする。

 まるで己を見定めようとする、歴戦の使用人たちの視線に。


「服は届いているだろう? この冴えない彼を、私の両親があっと驚くくらいに仕立ててもらおうか?」


 それからエルンストはメイドたちに連れられて、外見的な仕度に取り掛かった。

 自分で服を着ようとしたらたしなめられ、着脱の全てを任せることになった。襟や袖のちょっとしたシワすらも許さない微妙な角度の調整にプロの技が光る。

 鏡の向こう側に立っているのは、一端の紳士だった。


(すごいな、俺をここまで仕立てるなんて……)


 己の外見にあまり重きを置かないエルンストとしては、見違えるような姿だった。


「やあ、終わったかい?」


 こちらも怪しげな占い師装束から正装に着替えたヨハンが部屋に入ってくる。


(……うお……!?)


 正装に着替えたヨハンの姿に思わず息を呑む。

 そもそも怪しげな占い師の服装でも、隠しきれていない高貴さやカッコ良さがあったのだ。そのヨハンが『貴族として正しい服』を着れば目を離せないほどの華やかさを誇るのは当然だろう。

 ただ服を変えただけなのに、後光すら差しているように感じる。見慣れているであろう、メイドたちですらその目を惹きつけられているのだから。


(く、比べ物にならない……!)


 一端の紳士だと自分を評した過去を消し去りたい!


「準備完了のようだね」


 ヨハンは自分の顎に手を当てて、足元から頭までじっと視線を送る。


「悪くはないね。いいんじゃないか。いい仕事をしてくれたね」


 尽力してくれたメイドたちに安堵の表情が浮かぶ。


「さて、そろそろ時間だ。ついてきてくれ」 

 そう言って、一緒に部屋を出る。公爵家の広大な廊下を歩く。


(なんだか、緊張してきたな……)


 今までは、わーっと濁流に押し流されるかのように話が進んでいたが、ようやく自分の足で歩く時間ができた。そうなると、これからの時間を思うと胃が痛い。

 横から、くすくすと笑いがこぼれてきた。


「緊張が顔に現れているよ?」


「す、すみません……」


「腹芸のできるタイプではないから仕方がないね。まあ、それは君の欠点でもあり美点だ。騎士であれば悪いことばかりでもない。まっすぐな性根は大切にしたまえ」


「はい」


「だけど、今日だけは少しばかり演技を頑張って欲しい。覚悟はできているかい、共犯者殿?」


「もちろんです」


 腹の底に力を入れる。ヨハンとの短い会話で自分を取り戻せた。覚悟なんてあの日にできている。ヨハンからの歪な誘いを受け入れようと決めた、あの日に。嘘で塗り固めた道を歩くのだ。そのお披露目が予想よりも少し早くきただけ。


「うまくやってみせます。ダメだったら、犠牲にしてください」


「戦争に行くみたいだね」


 ふっふっふと笑いながらヨハンが続ける。


「まあ、でも似たようなものか。自由を求めるための闘争だな」


 ――私にとっては、あなたの隣に立ち続けるためです。

 そうは思ったが、口にはしなかったが。それをヨハンが求めていないから。


 開いているドアをくぐり――

 宴会場に姿を見せた。


 立食形式のようで、あちこちに丸いテーブルがあり、周りに集まる貴賓たちが楽しげに会話をしている。

 その彼らの視線が、じろりとヨハンを――いや、エルンストを見た。

 この会の主目的はエルンストのお披露目だ。それはやむを得ないだろう。


(……呑まれるな、臆するな、胸を張れ……!)


 きっとそれが、ヨハンの傍らに立つものに求められる資質だろうから。

 列席者たちは、皆ヨハンの血族だ。まずは親族で顔を見せて――何かしら不備があれば、全てを『なかったこと』にするのだろう。

 だから、弱みを見せるわけにはいかない。男爵家というバックボーンは彼らにとって失笑ものだろうが、選ばれたことは事実。それを誇りとして奮い立つのだ。

 誰かが話しかけてくるかと思ったが、それよりも先に司会が声を発した。


「本日はお集まりいたいだき、ありがとうございます。始まるにあたり、当主ミルコ・フロイデン様からお話があります」


 ヨハンの父ミルコが挨拶を変わった。


「わざわざお集まりいただき感謝いたします。お聞きになられているとは思いますが、愚息のヨハンがようやく従士を決めました。今日はその従士とともに、この会に顔を見せております。不精な愚息のせいで、私も今日初めて会うことになると思うのですが――」


 その軽口に合わせて、列席者たちから笑いが漏れる。


「皆様からもお声がけいただき、遠慮なく叱咤激励をお贈りください」


 ――ダメだったら、遠慮なくボコボコにしてやってください。


 そんな宣戦布告から、ついに宴席が始まった。

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