第7話 ヨハンの悪友ヘルマン・ツァーリ
「――私と戦ってみたい、と?」
「はい」
勝てるとは思っていない。ヨハンが剣術においても高く評価されていることをエルンストも知っている。
(むしろ、それほど高い位置にあるからこそ、受けてみる価値はある)
ヨハンの目元が柔らかくなった。
「君は欲がないな。体ひとつで事足りることでいいのかい? もっと金のかかることを頼んでみたらどうだい? 多少なら構わんよ」
「失礼ながら、ヨハン様の御身――時間こそ最も価値のあるものかと」
それはエルンストの本音だった。ヨハンをこれほど独占できていることに恐ろしさすら感じている。
だけど、言われた本人は虚を疲れた様子だった。ヨハンには珍しい表情を浮かべてから、今までにはなかった大きな声で笑った。
「意外と面白いことを言う! そして、確かにそうだ! 私の時間ほど価値のあるものはそうそうないね! はっはっは!」
しばらく笑ってから、ヨハンが話を続ける。
「よかろう、ならば君の頼みに付き合ってやろう。この私の剣をしかと受けてみよ」
「ありがとうございます」
「だけど問題は場所か……公爵家なら簡単だが、パーティーの前に行きたくはないな」
少し考えてから、ヨハンが独り言のように付け足した。
「……まあ、あいつの家を使えばいいか……よし、なんとかなるな」
その後、ステーキを食べ終わって店を出た。
話していた通り、次は服飾店に向かう。
そこもまた、さっきのステーキハウスと同様、平時のエルンストであれば絶対に近づかない雰囲気を漂わせる店だった。明らかに金銭的な余裕のある家だけを相手にしている様子だった。
「いらっしゃいませ」
近づいてきた店員(初老で妙な雰囲気を漂わせているので、こちらも店長なのだろう)に、ヨハンがサングラスを外して顔を見せる。
「彼が公爵家に顔を見せることになってね……この子に似合う服を用立てて欲しい」
「承知いたしました」
エルンストが意思を示す必要はなかった。全てが自動的に進んでいき、薦められた服に着替え続けるだけでよかった。
「こちらでいかがでしょうか?」
「いいんじゃないかな。それで」
あっさりと決まってしまった。
服の生地から仕立てまで、着ているだけで上質さが伝わってくる。さっきのステーキハウス同様、一級品の素材を一流の技術者が仕立て上げたのだろう。
「……これ、本当にもらってもいいんですか?」
「返されても、困るよ。君専用なんだから。捨てるくらいなら君に差し上げよう」
「ありがとうございます……」
代金を払いますよ、すら言えなかった。値段の話がどこにも出てこないし、どこにも書かれていないのだが、とんでもない値段なのは理解できる。
(父さんの給料よりも高いかも……)
そんなもの、払えるはずがない。
(厚意はありがたく受け取って、家宝として大切にしよう……)
そう強く誓ったのだった。
「今日のうちに公爵家に届けておいてくれ」
「かしこまりました」
おかげで荷物なしのストレスフリーが継続となった。今日のうち、という無茶振りにも笑顔で対応。それが上得意の特権である。
「では、君の要望を叶えるとしようか?」
エルンストの要望――剣で立ち会いをする。
問題は『どこで?』なのだけど、ヨハンの独り言によると公爵家ではないらしい。
(フロイデン公爵家でないとすれば、どこで?)
王城周辺の貴族街へと進んでいく。
ちなみに、エルンスト男爵家は末端ではあるが名目上は貴族である。なのだけど、ここに家はない。残念ながら、(裕福な)貴族(たちの)街という意味だ。
到着したのは――
「ここは、ツァーリ伯爵家――?」
大きな門柱にはその名前が刻まれている。王国を代表する大貴族の一人で、もちろんエルンストもその名を知っている。
「ここにね、悪友がいるんだよ」
くすくすとヨハンが笑う。
「うちの家はもう少し後にして、今日はここの訓練場を借りるとしよう」
そんな伯爵家の屋敷の一角を、ちょっと本を借りるみたいに言われましても……。
公爵家と比すればそれほどでもないだろうが、男爵家の木っ葉からすれば、敷居を跨ぐだけでも恐れ多い!
(……なんだか、今日は完全に別世界に迷い込んだみたいだ……)
そんなふうに混乱しているエルンストを連れて、ヨハンがずんずんと進んでいく。
門のすぐ近くに守衛室があり、そこで用向きを伝える。サングラスと帽子をとったヨハンを見ても門番は慌てなかったので、どうやら本当に『悪友』がいて何度も訪れているのだろう。
「さて、行こうか」
門番に案内されて屋敷へと向かう。
(はあ……なんて大きな庭なんだ)
さすがは高級貴族の庭だけあって、庭だけでエルンストの実家が何個もすっぽりと入るほどに大きい。おまけに植物の手入れがされていて、見ているだけで心地よい。
「少々お待ちください」
屋敷にほど近いベンチに二人を残すと、門番が屋敷へと向かっていく。
「……屋敷には一緒にいかないんですか?」
「私は気軽に訪ねたいけれど、肩書き的に歓待ムードになっちゃうんでね……悪友だけを呼んでもらうことになっている」
しばらくすると、門番が一人の男性を連れてやってきた。
歳の頃はヨハンと同じくらい。着ている上質な服からして、間違いなく『悪友』であろう。彼もまた美丈夫で、ヨハン並みに顔立ちが整っている。ただ、タイプが違うらしく、女性にも見えるヨハンとは対照的に、鋭い目つきの猛禽類を感じさせる。濃紺の短髪と相まって、とても男性的な人物だった。
「急に来やがって……」
門番を下がらせてから、悪友らしく悪態を吐き捨てる。だが、当のヨハンは全く悪びれない。
「急なお願いがあったんだから、仕方がないだろう? エルンスト、彼が悪友のヘルマンだ」
「お初にお目にかかります! エルンスト・シュタールです!」
「誰が悪友だ……ヘルマン・ツァーリだ、エルンスト」
短く答えてから、ヘルマンがエルンストをじっと見つめる。まるで美術品でも鑑定するかのような視線にエルンストは居心地の悪さを覚えた。
「……あの、何か……?」
「お前が、ヨハンの隠れ蓑か……?」
「――――!?」
想定していなかった言葉だった。
「え、ええと……?」
「……ああ、もともと隠れ蓑大作戦は私からヘルマンに相談したものでね……だから、彼は知っているよ」
「私たちだけの秘密ではないんですね」
「この3人だけだけどね。他には漏らしていない」
てっきり二人だけだと思って面食らってしまったが。そういう状況であれば、少し頭の中を整理しておかなければ。
ヘルマンが口を開いた。
「妙なことに巻き込まれて災難だったな」
「い、いえ……光栄なことだと思っています……」
「このバカの手前、光栄なんて言っているのか? 付き合ってみるとわかるが、自分勝手で変なやつだ。頭にきたら頭にきたと遠慮なく言っていいからな」
「ひどい言いようだ。私をバカと呼べるのは君くらいだぞ?」
「みんな、目が曇っているのさ。他人の気持ちを理解できないお前はバカでも十分だ」
「君からの愛情は理解できているつもりなんだがねえ?」
「残念だが、俺はこの感情を愛とは呼ばないな」
「夜這い?」
「呼・ば・な・い!」
実に悪友い相応しい容赦のない舌鋒の応酬だった。その関係性がエルンストには羨ましかった。それは『ここまでなら言い合いをしてもいい』と許容できる親しみがあるからこそできることだ。
(今の俺には、そんな言葉をヨハン様に言うことはできない)
だけど、そんな関係になれたら、どれほど嬉しいだろう。
(今は
そこまで己を磨かなければいけない。
「ところで、ヘルマン。今日ここに来たのはね、君の家の道場を貸して欲しいからだ」
「別に構わんが、何をするんだ?」
「エルンストたってのお願いでね……私と手合わせしたいらしい」
「王国最強の剣を、か――」
それはエルンストが聞く初めての言葉だった。ヨハンの剣の上前は相当に凄いという話は聞いたことがあるが、王国最強とまで言ってしまうとは。
(ヘルマン様はヨハン様を認めている部分は認めている)
ただ否定する悪態だけではないのだ。
その彼が認めるほどの腕前とは――
「ヨハン、全力でやるのか?」
「学校で剣術自慢の子だ。問題ないだろう。それに手抜きを望んでいるとも思えない」
「本気なんだな」
ヘルマンの瞳がエルンストを見る。
「決して油断するな。死ぬぞ」
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