第6話 初めてのお出かけ

 広場を抜けて少し人通りが減るやいなや、エルンストは小声でヨハンに尋ねる。


「あ、あの、その格好は――!?」


「変装だよ、変装。私がいつもの格好で出歩いていたら目立つだろう?」


「それはそうですけど……」


「お気に入りの格好なんだけど、似合っていないかね?」


「そんなことはありません! お似合いです!」


 意表をつく格好ではあるけれど、似合ってはいる。崇拝者であるエルンストの視界からすると、ヨハンは何を着ていてもキラキラと輝いて見えるのだが。ただ、それを省いたとしても、ヨハンは何を着ても似合うのも事実だ。


「それはよかった。一人で出歩くときにはこの格好をしているんだ。変な服だと言われたら、羞恥心が倍返しになるところだよ」


「一人で出歩く……?」


「私だって気兼ねなく街を出歩きたいからね。だけど、この顔は目立って仕方がない。そんなわけでこういう格好をしている。格好そのものが目立つのは否定しないが、素顔よりはマシなのでね」


 有名人は有名人なりに苦労するらしい。


「……少しわかります……」


「ふふふ、ああ、どうやら君も『注目を集めてしまっている』みたいだね?」


「……はい。その、ヨハン様の苦労が少しわかりました」


「全然だねぇ。その100倍くらいを想像してくれると嬉しいかな」


「ひゃ、ひゃく……!?」


「倍率は諸説あるけど、まあ、私の日常が垣間見えたようで嬉しい限りだ。隠れ蓑のひとつやふたつ欲しくなる気持ちもわかるだろう?」


「確かに必要です」


 正直、100分の1のエルンストですらうんざりしているのだから。


「申し訳ございません。お忙しい中、時間をとっていただいて……」


「うん? 気にしなくていい。約束だろう? 『従士の関係を維持するための努力は互いにする』は優先させると。今日は私の予定でもある。歓待させて欲しい」


 歓待させて欲しい、そんな言葉をもらえるなんて。


「それに、意外と楽しみにしていたんだよ、今日を」


「……え?」


「従士の相手など面倒だと最初は思っていたのだがね、予定を立ててみると意外と胸弾むものがあってね。今日はいい気晴らしになりそうだ」


(……楽しみにしてくれいるなんて!)


 胸が熱くなってしまう。

 少しでも楽しい時間を過ごしてもらえるよう頑張ろう! そう素直に思えた。


「君と私の、ただ一度の逢瀬となるだろう。胸に刻みたまえよ?」


「はい!」


 ただ一度――悲しい言葉だけど、そう思うのは違う。本来であれば、そんなものは『存在しない機会』なのだから。その機会があるだけでも幸運であり、喜ぶべきなのだ。

 街をしばらく歩き、やってきたのは料理店だった。


「ここが最初の目的地だよ」


「ここで何を?」


「料理店は料理を出すところだから、まずは食事だよ。ほら、ちょうどご飯を食べるにはいい時間だろ?」


 確かに集合時間は昼前だった。今はまさに空腹の虫が疼くときだ。


(……しかし、本当に俺が入っていいのか……?)


 それくらいの、実に高級な雰囲気を感じさせる店構えだった。そこら辺にある安飯の店とは明らかに格が違う。


「大丈夫。今日、君は財布を開く必要はない」


 ヨハンがずんずんと店の奥へと入っていく。

 店は、じゅうじゅうと何かを焼く音が聞こえてきた。カウンターの向こう側にある大きな鉄板で、何枚ものステーキが焼かれている。肉とソースの芳しい匂いが店内にふわりと広がっていた。


「成長期には肉だろう?」


「はい!」


「王国のためにも、いい筋肉を作らなくてはね?」


「いらっしゃいませ、席は用意してありますので、どうぞこちらへ」


 店長らしき人間が現れて、奥の部屋へと案内してくれる。わざわざ店長が出てきたところから考えて、おそらくはヨハンだと知っての対応なのだろう。

 奥にある個室へと通された。

 ヨハンがメニューを見ながら二人の分の注文を頼むと、店長は部屋から出ていった。


「頼んでおいたけど、いいよね?」


「はい、お任せします」


 ちらりとメニューを見ると『リネーブ産フィレミニョンとクラック海老のベアルネーズ和え』みたいな言葉がずらずらと並んでいる。味を想像することすら難しい。

「さて、そうだな……料理が来るまで、私の話でもしようか」


 ヨハンが己について語り始める。

 ――ヨハン様ってどんな人?

 今後、そんな質問に答えるためには必要な情報なのだから。

 ヨハンは会話がうまかった。手元にあるナイフとフォークをだしにして子供時代の話をしたり、壁にかかっている絵画から自分が描いた絵の話をしたり、壁際に飾られている花瓶を使って花と陶器に関する見識を語ったりと、うまく周辺のものと自分を結びつけながら話を続けていく。そして、そのすべてがいずれもタメになる点や楽しくなる点がうまく散りばめられていて聞いているだけで楽しい気分になっている。


(……すごいな……)


 社交慣れしていると言えば、社交慣れしているのだろう。だけど、結局のところ、ヨハンの頭の良さと博識の広さに裏打ちされているのだろう。それをバックボーンとしつつ、エルンストの反応を見ながら話を進めていく。

 そんなことが、自然にできている。

 年上とはいえ、それほど年齢も変わらない。なのに、この距離の遠さは。どれほど人としての高みを見せてくるのだろう。


(……追いつける気がしない……)


 夢を見ているような気分で、エルンストは話に耳を傾けた。

 料理がやってきた。

 熱せられた鉄板の上に、見たことがないほどの分厚いステーキが載っている。まだまだ若いエルンストの胃がきゅううっと締め上がった。


「どうぞ、口をつけてくれ。あいにく、にんにくは省いてもらった。今晩のパーティーで問題になると困るからね」


「いただきます!」


 遠慮なくいただいた。口に入れた瞬間、これは美味しい! と脳が喜ぶほどの味だった。人目を気にせずバクバクと食べたい! そんなことを思ったけれど、目の前には敬愛する人がいる。


(軽蔑されるわけにはいかない……!)


 そう、ある意味でこれは試験でもある。今まで受けたどんな試験よりも緊張した様子でエルンストはフォークとナイフを動かした。

 一方の、ヨハンだ。

 ヨハンの所作は間違いなく完璧――いや、上質というべきか。

 エルンストだって、貴族の端くれである以上、厳しくマナーは躾けられた。学校でもそういう授業がある。だから、一定の自信はある。

 だけど、ヨハンは別次元だった。

 動きは習ったものと同じなのだろうけど、全くそうは思えない。ヨハンという人間が同じ仕草をしているだけなのに、その動作だけで見惚れてしまう。


(何か違うんだ?)


 きっと動きの滑らかさだとか意識できないほどの細やかな動きとか、何かが違うのだろう。だけど、それがわからない。わからないからこそ模倣もできない。きっとその美しさはヨハンにしか出せないものなのだろう。


「ところで――」


「はい?」


「この後は君の服を選ぶことになっている。ただ、公爵家に顔を見せるまで少し時間が余っているんだ」


「はい」


「私のしたいことばかり付き合わせるのも悪いと思ってね……君がしたいことをひとつだけ叶えてあげよう。何かあるかい?」


「…………」


 まさか、そんなことを言ってもらえるなんて!

 この時間だけでも十分にありがたいのに、自分の希望まで叶えてくれるとは。

 ――君と私の、ただ一度の逢瀬となるだろう。胸に刻みたまえよ?

 これが最初で最後なのだ。であれば、己の生涯の誇りとなるようなことがいい。仮初かりそめではあっても、自分は確かにヨハンの従僕であったと胸を張れるくらいの。

 それはなんだろうか?

 そのとき、脳裏に浮かんだのは、ヨハンと初めて出会った日の光景だ。

 エルンストに振り下ろされる帝国兵の凶刃――

 そこで、死の運命を断ち切ったヨハンの鮮烈な斬撃。


(俺もまた剣の道を歩むものなら、ヨハン様の剣を受けてみたい)


 きっとそれは、自分の子供たちに語って聞かせられるほどの自慢になるだろう。あまりにも嘘くさくて信じてもらえないかもしれないけど。

 迷うことなく、エルンストはその想いを口にした。


「剣の相手をしてください」


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