第5話 親への顔見せは必須です
エルンストはヨハンの対面に腰掛けた。
「あの、どうして……?」
「両者不干渉――言い出した私がいきなり顔を見せたのだから、驚くのも無理はないね」
ヨハンが肩を揺らして苦笑する。
「だけど、こうも言っただろう? 『従士の関係を維持するための努力は互いにする』と。いきなりで申し訳ないけれど、力を貸して欲しくてね。実は少し困ったことになってしまったんだ」
「困ったこと……?」
「もともと『さっさと従士を指名しろ』とうるさい親族がいたから、君に契約を持ちかけたんだ。従士は決めた――それで終わりだと思っていたんだけどね……今度は『どこの馬の骨ともわからないから、顔見せをしろ』と言い出して……」
ほとほと困った様子で、ヨハンは言葉を続けた。
「公爵家に来てもらえないだろうか?」
「――!?」
思わず息を飲み込んでしまう。男爵家の倅が? 公爵家に呼ばれる? とんでもない話である。萎縮するなと言うのが無理な話だ。
「私が……公爵家に……?」
「大丈夫、君はニコニコ顔で指示に従っていればいい。私がうまくさばくから。何も気負うことはない」
しかし、エルンストの表情は曇ったままだ。
「……何か気になることでも? 不満があれば――」
「いえ、不満があるわけではなくて、その……着ていく服が」
「服?」
「フロイデン公爵家を訪問できるほどの、上質な服がありません……」
実家にある最上級のものを用意しても、とても足りるとは思えない。
「ふふふふ……! そうか、そういう悩みか。気が回らなかったよ!」
無理もない話だ。大空を舞う大鷲に地面を這う虫の気持ちはわかるはずもない。
「私が無理を言ったのだから、私が用意するのが筋だ。君に服を送ろう」
「え!? いえ、そ……そんなご迷惑は――!?」
「迷惑? 違う、これは必要経費だ。出立ちで減点を受けると困るのは私だからね。金で解決できる部分は潰しておきたい。そうだろう?」
「それは、そうですが……」
「受け取ってくれたまえ。君を面倒ごとに巻き込んだ罪悪感も紛れるのだから」
「わかりました」
生来の潔癖さが、厚意に甘えている感じに微妙な感覚を投げかけてくるが、そうまで言われて断れるはずもない。
そして、受け入れてしまえば、嬉しい気持ちも芽生えてくる。
(……ヨハン様から服を贈ってもらえるなんて……!)
胸に高鳴る気持ちに嘘はつけなかった。
「これで問題は解決したかな?」
「そうですね、当日、努力したいと思っています」
そもそも、否はない。エルンスト側から敬愛するヨハンとの契約を破棄するつもりはないのだから。望まれたのならば、その役を果たすだけ。この関係が終わるとすれば、ヨハンが必要としなくなったときだけだ。
(そんなことは、言わせたくない)
しっかりと己の役目を果たすのみだ。ただ――
「……ひとつだけお願いがあります」
「ほぅ」
すっとヨハンが双眸をすがめる。
「それは?」
すぐにエルンストは答えられない。父親や友人のトマスが質問をするのに間を置いた理由がよくわかる。勇気が必要な発言というものは、あるのだ。
「少しで構いません。マスターとしてナイトとしての時間をください」
ヨハンの表情に浮かんだのは失望だった。
(……しまった!?)
切り出し方がまずかったのか、どう立て直せばいいのか混乱するエルンストに、ヨハンは乾いた声を返す。
「こちらからお願いをしておいて言いにくいのだが、あくまでも両者不干渉の条項は遵守だ。『従士の関係を維持するための努力は互いにする』以外はね」
(そう、それだ!)
ヨハンの言葉をそのまま、返答として返す。
「言葉が足りなかったのですが、その『従士の関係を維持するための努力は互いにする』ためです」
「どういう意味かね?」
「最近、クラスメイトたちからヨハン様に関する質問を受けることが多いのです。極力、当たり障りのないように答えているのですが、中には返答が難しいものもあります」
「それはどんなものだい?」
「ヨハン様とはどんなふうに過ごしているのか、です」
「ああ、なるほど」
くっくっく、とヨハンが肩を揺らす。
「まともに過ごしたことがないから、答えようがないね」
「はい」
おまけに、エルンストは他の人物と従士関係を結んだこともない。なので、他人との体験を偽証することもできない。
「適当に答えようにも、ベースも何もない以上、嘘を作ることもできません」
「おまけに、君はそもそも嘘が苦手そうだ」
「それは否定しません」
「今はどう答えているんだい?」
「関係を結んでから日が浅いこと、ヨハン様が多忙な点を伝えて、それらしいことはあまりしていない、と」
「確かに事実ではあるから、うまい回答だ。ただ残念なことに、有効期限があまり長くないことだね」
「……はい」
今はいい。だが、これが3ヶ月後、半年後、1年後となればどうなる?
「なので、ベースとなる事実が欲しいのです。少しで構いません。それさえあれば、私は胸を張って伝えることができます」
「ふむ……確かに『従士の関係を維持するための努力は互いにする』に合致するね。君が公爵家に顔を出してくれるのだから、私もそれに協力するのが筋か」
ヨハンの周りに漂っていた雰囲気が柔らかくなるのをエルンストは感じた。自分の言葉が伝わった! 要望が叶えられるかもしれない! そんな希望が身体中の血液を熱くしてくれる。
「わかった。君の願いを聞き入れよう」
「ほ、本当ですか!?」
「公爵家に顔見せするのは夜だ。なので、その前の昼の時間を使おう。ちょうど服の準備もできて一石二鳥だ。従士と何をするのか、私も知らないが、友人にリサーチをしておこう。君の思い出になる日になることを約束するよ」
そう言って、ヨハンは女性のように美しい顔にイタズラめいた笑みを浮かべ、器用にウインクをしてみせた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
あっという間に日が過ぎて、公爵家に顔をみせる日が訪れた。
エルンストにとって公爵家への訪問は胃の痛くなることだが、この日を待つのはそれほど苦ではなかった。
公爵家に訪れる前に、ヨハンとの自由時間があるのだから。
(あのヨハン様と一緒に時間を過ごすことができる!)
尊敬するヨハンが自分のために時間を作ってくれる。それだけで望外の喜びだ。
(どんなことをするんだろう?)
集合時間と場所以外、情報は何も知らされていない。服の用立ては知っているが、それだけだと集合時間を考えると時間が余る。他にも何かをするのだろうが、何も聞かされていない。それが逆に、エルンストの楽しみを掻き立てる。
そして、時間が来た。
指定された場所は繁華街の中央にあるクレック広場の噴水だ。待ち合わせスポットとしては有名な場所で多くの人でごった返している。
(……本当にここなのか?)
てっきり、公爵家の馬車で迎えに来て、そのまま移動するのかと思っていたが。
(ヨハン様のような有名人がこんなところに来たら、大騒ぎになるぞ?)
それは気になっていたが、指定された以上、どうしようもない。それに天才ヨハンがそんな基本的なことを見落としているとも思えない。そんな微妙な心配を抱えながら、エルンストは指定された時間の1時間前から噴水前でそわそわしながら待っていた。
「やあ、待たせたね」
聞き覚えのある声のほうに顔を向けると、そこに見覚えのない人物が立っていた。
ぱっと見の印象としては『怪しげな占い師』といったところか。
体の首から下をすっぽりと覆うようなローブを身にまとい、帽子をかぶっている。首の横から黄金の色の三つ編みが垂れていた。女性を思わせるような美しい顔立ちの上半分は丸いサングラスで隠されている。
「…………」
ぐるりと思考を3周させてから、ぽろりとエルンストは言葉をこぼした。
「まさか、ヨハ――」
「しぃー。この格好の意味がなくなるだろう?」
くすくすと笑いながら、怪しげな占い師風のヨハンがエルンストの唇に人差し指を押し付ける。白魚のような美しい指先が敏感な部分に触れて、エルンストはドギマギとしてしまった。
「さて、とりあえずは場所を変えよう。ついておいで」
もともと纏っていた神秘のヴェールの向こう側に、さらに謎を積み重ねて、ヨハンは颯爽と歩いて行った。
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