第4話 噂は広がっていく

「なあ、エルンスト、ちょっと小耳に挟んだんだが――」


 早朝、家の庭で剣の訓練をしていると、父親がやってきて声をかけてきた。

 エルンストは手を止める。


「なんだい、父さん?」


「……ん、ああ、その、ただの噂なんだが……」


 歯に挟まったような口調でモゴモゴと言っている。親子仲は良好なので、エルンストとしては珍しい父の態度が不思議だった。


「そんなに言いにくいこと?」


「いや、そうでもないんだが……ええい、言ってしまおう!」


 意を決した様子で父が一気にまくしたてる。


「バカな噂なんだが! お前がヨハン・フロイデン公爵の従士になったという噂があるんだ。まさかそんなことあるないとは思うんだが――」


「ああ、その話」


「父さんもな、こんな噂は信じちゃいないんだけど! ただの勘違いならズバッとそう言って欲しいんだ!」


「その噂は正しいよ」


「そうか! そうだよな! ただの変な噂だよな!?」



「いや、正しいんだって。俺はフロイデン公爵の従士になった」


 さすがに一人合点していた父親にも、エルンストの言葉が届いたようだ。

 騒いでいた父が口をつぐむ。

 しばしの静寂が続いてから、父が喉の奥から声をこぼした。


「…………え?」


「俺がヨハン様の従士に選ばれた」


 父親の反応は、まるで急激な化学反応のようだった。表情の色が赤やら青やら白やら目まぐるしく変わり、口をぱくぱくとさせている。


「……ほ、本当なのか……?」


 平民とほとんど変わらない生活を送る、肩書きだけ帰属の末端男爵の息子が、公爵家の従士に選ばれた――それはとんでもないことである。快挙であり、暴挙。王国史を紐解いても、空前絶後の出来事であるだろう。

 だからこそ、

(ああ、きっと父さんは喜んでくれるのだろうな)


 そんなことがわかった。それを思うと胸が痛む。


「本当だよ」


 そう答えることが。

 きっと父は『普通の銃士関係』を想像しているのだろうから。マスターがナイトを導き、ナイトがマスターに忠誠を誓う。だけど、現実は違う。ヨハンとエルンストを結ぶ間柄はもっと冷たくて他人行儀な『契約』でしかない。


「どうして、お前が……?」


「その、剣の腕を買われて……」


 それは嘘ではない。


「確かにお前の剣の腕は自慢できるものだが、そんなもので……?」


「俺もよくわからないけど、そうなんだよ」


「……そうか、まあ、お前が嘘を言うわけでもないし、実際にそんな噂も流れている。事実なんだろうな……」


 それからしばらく父親はあちこちに視線を迷わせてから、見つけ出した言葉を口にする。


「貴族的には、でかした! と言うべきなんだろうがな……」


 従士制度の根幹は、家と家の関係を作ることなのだから。国家の最高権力にも等しい公爵家と関係を通じたのだから、それは大金星と言っていいだろう。


「まあ、あんまり頑張りすぎるなよ。家を大きくしようとか、あんまりそういうのは考えず……そうだな、精一杯お仕えしろ。それだけを考えて。変に欲をかいて不興を買わないように。お前だったら、別に心配はしてないけどさ」


 息子を愛する父親なりの、控えめな応援が胸に沁みた。


(精一杯お仕えしろ、か……真面目一徹の父さんらしいな)


 そんな地味だけど誠実な父親のことをエルンストは敬愛していた。

 エルンストは平和な日常へ戻った――

 はずもなく。

 次の異変が程なくして起こった。

 学校でのことだ。教室に入った瞬間、教室内の空気の異変に気がついた。


「…………?」


 なんだか、クラスメイトたちの視線が妙によそよそしい。チラチラっと投げかけてくるが、エルンストが視線を向けると慌てて逸らす。コソコソと何か小声で話している生徒たちもいる。

 エルンストを推し量る――そんな雰囲気だ。

(どうしたんだろう?)


 エルンスト自身、クラスメイトたちとの交友関係は良好だと感じている。妙に距離を置かれているとか、話しかけても無視されるということもない。

 そんな昨日までとは、明らかに違う空気を感じる。

 近づいて問いかけてもいいのだけど、いまいち状況がつかめないので、とりあえずエルンストは何も反応を示さず自分の席に座った。

 すると、そう時間を置かず、気配が近づいてきた。


「よっ、エルンスト。おはよう」


 そんなふうに気軽に挨拶をしながら、肩をポンと叩いてくる。クラスメイトの中で最も親しい友人のトマスだ。


「おはよう、トマス」


 そこで沈黙。快活なタイプのトマスにしては珍しい。いつもなら、すぐに次の話題がぽーんと飛んでくるのに。

 なんだか言いにくそうな様子で、次の言葉を絞り出す。


「えぇと……なんだか教室の空気、変だと思わないか?」


「そうだね。どうしたんだろう?」


「実は、ちょっと気になる話があってな……お前と仲のいい俺が特攻隊長に選ばれたってわけよ」


 そこで一拍の間を置いて、まるで剣術の試合で切り込むような覚悟の表情でトマスが言葉を吐いた。


「お前って、ヨハン様の従士になったの?」


「なったよ」


 再びの沈黙。いや、完全なる沈黙ではなかった。エルンストの言葉に耳を傾けていた後方の生徒たちが息を呑むのが伝わってくる。マジか、というつぶやきとともに。


「……本当なの?」


「こんなことで嘘は言わないよ」


 沈黙から興奮へ。まだ若い年頃の生徒たちはボルテージは一瞬で天井まで上がった。


(……うわ!?)


 あっという間に、エルンストの周りを生徒たちが取り囲んだ。


「なんだよ、本当の話かよ!?」


「ねえねえ、ヨハンさんって、どんな人?」


「うまくやったな!? どうやったんだよ!?」


 生徒たちから矢継ぎ早に投げかけられる質問に、エルンストは目を白黒とさせた。

 ヨハン・フロイデンは王国の未来を嘱望される寵児だ。その頭抜けた才能は『最強』であり――ゆえに、上の世代からは期待と、下の世代からは羨望の視線を一身に浴びている。そんな雲の上のような人と『一定の関係』を結んだ人間がいるのだ。クラスメイトたちが食いついてくるのは当然のことだ。

 価値があるのはエルンスト本人ではなく『ヨハン・フロイデンの従士』という肩書き。

 だけど、それはエルンストにとって不快ではなかった。


(……当然だよな……)


 エルンストは己の価値を分相応に見積もっているのだから。

 そして、集まる注目の数は日に日に高まっていく。

 あっという間に学校中に知れ渡り、面識のない他学年の生徒からも「ヨハンはどんな人物なのか?」「どうやったの?」という質問を何度も浴びせられる。

(本当にすごいな……)


 たかだか『ヨハン・フロイデンの従士』というだけで。


 ――私は私の時間を有意義に使いたい。そのための隠れ蓑が必要なのだ。


 ヨハンの言葉の意味がよく理解できた。従士程度でこの注目度であるのなら、ヨハン本人はどれほど多忙なのだろうか。

 そんな多忙な日々を過ごしていると、ある日、教師から「エルンスト、学校が終わったら応接室まで来るように」と言われた。


(応接室……? なんだろう……?)


「エルンスト・シュタールです。入ります」


 応接室に入ると、そこには目にも鮮やかな黄金の髪が目に飛び込んできた。その持ち主はうっすらと笑みを浮かべてエルンストを歓迎する。


「やあ、待っていたよ」 


 気軽な口調でヨハンが挨拶をした。

 まさかの登場にエルンストは束の間、混乱してしまう。なぜなら、互いに不干渉が関係を結ぶ条件だったから。あくまで名義を貸しただけ。もう2度と会うことはない、少なくとも、エルンストが己の価値を認めさせるまでは――そう思っていたのだけど。

 だけど、嬉しいのも事実だ。

 1ヶ月と経たないうちに、敬愛するヨハンが自分を訪ねてきてくれたのだから!


「そこにかけたまえ、少し話をしようじゃないか」


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