第21話 鳴子美津の場合4
その日、まだ寒かったので、暖かい格好を選んだ。タイツにウールのロングスカート、柔らかいハイネックのインナーに、カーディガン。化粧は元々、しっかりするのが苦手で、日焼け止めも兼ねた低刺激の下地に軽く粉を叩いて、眉を描く。まつ毛はマツエクをしているので触る必要はない。朝ご飯は食べない主義だ。今日はあまり時間がないので、ドリップでコーヒーだけ淹れる。TVを付けると旅番組をやっていた。旅行か。たまにはいいかもしれない。TVの左上にある時刻が9時半を示したので、私は立ち上がり軽く口をゆすいで口紅を塗った。
占いの住所は近所だった。コートを着て、忘れずにあの透明さんの傘を持って、お気に入りのヒールの靴で外にでる。吹き抜ける風に少し体が小さくなる。それでもカツ、カツとなる靴の音が街に気持ちいい。占いが終わったら久しぶりに外でランチでも食べようか。そんな気分になる。その場所は本当に近くて、何の変哲もないアパートだった。名刺を確認して、部屋の前に来たけれど、看板も何も出ていない。今9時52分。入っていいか不安になる。意を決してチャイムを押してみると、「どうぞ」と中から声が聞こえた。ホッとして、扉を開く。玄関には大きなアメジストドーム。玄関も綺麗にされていた。多分ウッド系のお香のいい匂いがする。あまりなじみのない香りだ。入った瞬間にふわりと暖かくなった気がした。いい玄関だな、そう思った。靴を脱いで、目の前にある扉を「失礼します」と開けると木でできた本棚になじみのない本やタロットカードのようなものが並んでいた。大きな木のテーブルに、透明さんはいた。なんか昔、本で見たような魔法使いの家の様だ。こういう部屋もいいな、と私は思わず周りを見渡す。
「おはよう。」
透明さんは言った。低くて重くてよく通る声。金髪で爬虫類を思わせる顔。鋭い目。魔法使いというより、魔王かな。なんて考える。
「おはようございます。傘、ありがとうございました。」
そう言って、私は持ってきた傘を透明さんに渡した。
「律儀だね。別に占いの予約しなくてもよかったんだが。」
傘を受け取りながら透明さんは言う。
「いえ、ちょうど見て欲しいこともあったので。」
「見て欲しいこと?」
「はい。私が結婚できるかどうか。できるなら、いつ頃かな、と。」
「でたよ。どうしようもないやつ。」
「え?」
「どういう人と結婚したいんだ?」
「どういう人というと?」
「会社員?自営業?いくら稼いでいる人?優しい人?顔がいい人?」
「あの、そういうのよくわからなくて。ただ、お互い思い合える人がいればと。」
「あのなあ。他の占い師がどうやってるか知らないが、そんなのわかるわけないだろう。君が言ってることは、美容室に言って、なんかわからないけどいい感じにしてください。って言ってるようなもんなんだよ。じゃあ、髪を短くしますか?って聞いたらどっちでもいいです、っていわれるんだ。たまったもんじゃない。」
なんとなく、言っている意味はわかる。わかるけれど。
「そういうのも込みで占うもんじゃないんですか?」
少なくともいままで経験した占いはそうだった。透明さんは露骨に呆れたような顔をした。
「甘ったれんな。」
「あ、甘ったれ・・・。」
「欲しい未来は自分で決めろ。それに近づくためのアドバイスならしてやる。」
「で、でも運命みたいなものは決まってるんじゃないんですか?」
「お前は白馬の王子様を待ってる幼稚園生か?そんなのいるわけないだろう。未来なんてどうとでもなる。今日、ここを出たあと、結婚相談所に行くか、出会い系アプリをするか、それだけでも出会う男は変わってくるだろう。」
私は今、占いに来て説教をされている。なぜだ。納得がいかない。
「だけど、よく出会った瞬間この人と結婚するんだ、ってわかるって話あるじゃないですか。」
「叶わないことがほとんどだ。」
透明さんはきっぱりと言った。私は驚く。
「例えばだ。アイドルに本当に恋している人はたくさんいるだろう。あれだって運命の出会いだ。で、叶うのか。叶わないだろう。」
私は思わず納得してしまう。学生の頃、美琴はあるアイドルに一目ぼれして、絶対にこの人と結婚する、とよく言っていた。大学生の頃、よく芸能事務所の人を探して合コンをしたりしていたな。今となっては会社員と結婚して、子供を産んでいるが。
「私、説教されるために占いに来てもらったわけじゃないんですけど。」
「占いの意味が分からず来たお前が悪い。」
きっぱりと言われた。なんだこいつ。なんなんだこいつは。
「もう、いいです。」
「お前は、ニュースを見るのをやめろ。あと、SNSもだ。」
「は?」
透明さんは私が持ってきた傘をまじまじと見ていった。
「綺麗に畳んである。ものを大切にする人かどうかはこういうところですぐにわかる。部屋も綺麗だろう。家具も服も大切にしている。」
「…だからなんですか。」
「大事なものはちゃんと選択できているのに、周りの情報に流される奴が多すぎるんだよ。世の中。」
透明さんは傘を置いて、領収書を書き始めた。
「自分は結婚したいのかと思って、結婚相談所にいっただろう。」
「なんでわかるんですか!?」
「さあな。上等じゃないか。自分の意志を確認するために、ちゃんと行動して、結論を出した。まだ結婚が現実的じゃないと思ったんだろう。なぜその結論を大事にしてやらない。」
なぜ。なぜだろう。ただ美琴の部屋を思い出す。あの、生活感に溢れた部屋を。美琴の部屋は一人の時、アイドルの写真に囲まれて、グッズを飾り、幸せそうにしていた。もうその面影は一つもなかった。対して私の部屋はずっと変わらない。同じ家具、同じ部屋。私は羨ましいのだ。SNSで流れるキラキラした日常より何より、自分の大切なものが変わっていく、その変化が。私は同じ部屋のまま年だけ重ねていくのだろうか。そう思うとぞっとするのだ。
「…怖い。怖いの。ずっとこのまま日常が重なっていくのが。」
「劇的な変化が幸せをもたらすわけじゃない。」
「え?」
「変わっているか、変っていないか、それは君の感じ方次第なんだよ。信じろ。君は欲しいものをちゃんと手にしている。大丈夫だ。」
そう言って手を出してきた。一瞬なんのことかわからなかったが、お金の要求だと気づいて財布から5000円を出した。透明さんはお金をもらって、封筒を渡してくる。
「領収書だ。」
「どうも。」
「一応そこに書いておいたよ。君が、自分を信じて人生を歩んだ時に何歳で結婚できるか。」
「え?」
「晩婚。」
「え?」
「超晩婚。」
「ちょう、ばんこん。」
「嫌か?」
「嫌ですね。」
「じゃあ、そうならないように行動すればいい。ただ、いずれ君と出会う人がいる。俺は、それが君の欲しい言葉だったと思うよ。」
封筒を受け取る時に、透明さんと目が合った。鋭いけれど、やけに綺麗な眼だな、とそう思った。
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