第19話 鳴子美津の場合2
新卒で入社した頃、私には理想があった。ヒールを履いてテイクアウトのコーヒーを片手に出勤し、バリバリ仕事をこなす女性。仕事も職種ではなく、実は立地で選んだ。都心に立派な自社ビルを持つこの会社に受かった時は、本当に舞い上がった。入社式の日、私は早速ヒールにテイクアウトのコーヒー片手にロングスカートをたなびかせ、肩にカーディガンをかけて出勤した。そしたら、全員リクルートスーツで来ていた。私のこの会社での黒歴史その1。
経理に配属され、仕事を学んだ。真面目に取り組んでいた。けれど私は、普通それはしないだろう、というところでミスする人間だった。教えた通りに仕事できない、というわけではなく、保存をする前にエクセルを落としてしまう「そこ!?」というところでミスをするタイプ。シュレッターにかける書類と会議に使う書類を手に持っていたら、会議に使う方を間違ってシュレッターにかけてしまう。取る会議室を間違う、時間を間違う。一度、「どうやったら消せたの!?」と周りが驚ろいた、社内のシステムをプログラムごと消してしまい、経理どころか色んな部署の人間に残業させた。黒歴史その2,3,4,5!その頃には、同期だけでなく部署の人間にも「クラッシャー鳴子」という異名がついた。もう、最初の憧れなんて風船のように割れてなくなっていた。地味な服装でとにかく隅で目立たないようにミスしないように祈るように仕事していた。こんな人間、辞めるべきだ。それすら言う勇気もなく、毎日泣きそうな自分と格闘してなんとか役に立とうと頑張った。
それでも、ミスはなくならなかった。この頃、ご飯を作る元気なんてなくて、いつも安いファミレスで夕食を食べていた。夜の帳に反射されて、窓ガラスに映る自分が情けなさ過ぎて泣けてくる、そんな日。
「それさ、そんな泣くほどまずいの?」
気づくと前の席に女性が座っていた。彼女はメニューを開き、呼び出しベルを押し、
「すみませーん、これと同じものください」
「シーフードドリアですね。かしこまりました」
注文を聞いて店員が下がる。人間、予想外という衝撃が起こると言葉を失う。彼女はメニューを見ながら「ふーん、シーフードドリアなんだ。って477円!安っ」と驚いている。白いTシャツにジーンズ。伸ばしっぱなしだろう長めの髪は手入れしていなさそうなのに黒く艶やかでメイクもしてなさそうなのに、肌が綺麗だった。ほどなくドリアが運ばれてくると、熱いだろに彼女はスプーン一杯頬張って、
「あっつつつ、ってひゅまー!なにほれめっひゃうまいじゃん!」
と店内に響き渡りそうな声で言った。ようやく私に動揺という感情が出てきておどおどしていると、彼女は綺麗な目で私をのぞき込んで聞いた。
「こんなおいしいものを、なんでそんな死にそうな顔で食べてんの?」
とスプーンで私を指した。私が自分の中の疑問符を処理できなくて混乱している間にも、彼女は
「うまいものはうまいうちに食べるに限る!」
とドリアを頬張った。浅底のドリアをすっかり食べ終わると
「それ、もう冷えてるじゃん、もったいない」
と言った。えっと、
「ど、どちら様?」
でいいのか?こういう時、聞くのは。
「私?私は、竿谷日向。好きに呼んで。ひーちゃんでもなんでも」
日向さん。なんか名前通りって感じだな。って違う。名前じゃない、今知りたいのは。なぜ、勝手に私の前に座ってるかだ。そうだ。
「貴方の名前はなんていうの?」
先を越された。
「私?私は、鳴子美津です」
「なるこ、へえ。珍しい苗字だね。みつってどう書くの?」
「美しい、に律する、です。法律のりつ」
言って悲しくなる。私、もうボロボロだ。何も律せてない。
「美しい調べ、って感じかな。いい名前じゃん」
そう言って、ニカッと笑った。それは、思わず真っ暗な自分の心に一筋の光をさしてくれそうなほど、純粋な笑顔だった。
「で、そのみっちゃんはなんでこんな空調のきいた綺麗な空間で安くて美味しいもの食べれてるのにそんな顔してんの?」
「…仕事ができなさ過ぎて」
「じゃ、辞めればいいじゃん」
「そんな簡単な問題じゃ!」
「物事を難しくしてるのなんて、大体自分だよ」
「迷惑だけかけて辞めるとか、そんな」
「雇った側の問題じゃん。目の前にある美味しいものを食べる余裕さえなくすくらい自分を追い詰めてるのに、辞めちゃダメなの?」
「だって、卒業したし、一人暮らしだし、働かないとお金もらえないし、それにそれに…」
なんだろう、もっと奥にあるものが取り出せない。
「うーん、やっぱり私じゃわかってあげられないかぁ。私、すっぱり辞めちゃうもんな。そもそも職に就こうとかしてないし」
「…じゃあどうやって暮らしてるんですか?」
「うーん、バイトしたりもするけど、案外どうにでもなるよ。昨日、タイから帰ってきたんだけどさ。タイの田舎とかすごいよ。暑いのにさ、昼間っから外で腹出して寝てるじーさんとかゴロゴロいて。お腹空いたーお金ないーって日本語で言ったら家に入れてくれてご飯とか普通にだしてくれんの。お礼は覚えたよ。コップンカー」
そう言って彼女は手を合わせた。なんというか次元が違い過ぎて宇宙語でも聞いているみたいだった。
「なんか全然その日暮らしみたいな感じでも不安そうじゃないし、知らない奴にもご飯出せちゃうくらい優しいのにそれが普通くらいの感じで。自分と他人との垣根も適当なの。なんかいいなと思ったんだよね。こういう生き方もできるんだって。日本にも広まればいいのにとか思うけど、まあ、難しいよね。空港に着いた瞬間から思うもん。なんかこうピッとした空気」
「それは、例えば生活保護的な?」
「いや、そうじゃなくて。それが悪いとかいいとかでもなくて、もっとみんなで肩の力抜いてもいいんじゃないかって感じなんだけど…かー、やっぱり日本だとこうなるんだよな」
そう言って、日向さんが頭を抱えるから、
「…なんか、ごめんなさい」
「謝る必要どこにあった?私はただなんかやたら光ってる店あるなーと思って入ったら死にそうな顔した女の子がいたから声かけてみただけ。で、何の力にもなれなかっただけ」
「あ、えっと、ありがとうございます?」
そう言うと、日向さんはフフっと笑った。
「ねえ、りっちゃんは占いとか興味ある?」
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