第18話 鳴子美津の場合1

ー鳴子美津(なるこ みつ)32歳の場合ー


「え、やば。このナポリタン絶品。」



「ミルクティーって、こんなに美味しかったんですね。」



 こうなるとは思っていなかった。私はコーヒーを飲みながら、一応部下にあたる、柏原柚香と加藤理沙と共に私のとっておきの喫茶店に来ていた。古い喫茶店でいつも開いてるかどうかわからない。年老いた白髪の少し背の曲がった男性が一人で切り盛りしている。店の定休日などもなく、いつ空いているか店主の気分次第。年季の入ったソファはそれでも丁寧に掃除されていて居心地がいい。そして何より、ここの食事はどれも美味しかった。


「こんな店が会社の近くにあったなんて。さすが鳴子さんですね。」


 ナポリタンを頬張って、加藤さんが喫茶店内を見回している。私は彼女に敬遠されていると思っていたが、最近急に受け入れられた。何がきっかけかはよくわからないけれど、普段の挨拶に、目が合う回数にそれを感じている。最近、彼女は会社に余裕をもって来るようになった。まだ時々走って会社に来ている日はあるが、いつも重たそうなハンドバックを持ち歩いていた彼女はリュックに変えた。仕事も幾分、変に入っていた方の力が抜けたのかミスが少なくなった。そして何より、よく笑うようになった。


「本当にありがとうございます。どれも美味しいです。」


 柏原さんもだ。彼女も笑うことが多くなった。いつもどこか辛そうにして、会社で吐いていることも気づいていたが、助けを求めてくれないのでどうしていいかわからなかった。いつも申し訳なさそうにしていた彼女をどんなに褒めても、なぜかさらに苦しそうにするのでどうしようもなかった。でも最近は、褒めると嬉しそうにありがとうございます、という。それがこちらも嬉しい。若い二人が明るくなって、少し鬱屈としていた部署内が最近明るくなっている。それが、私も素直に嬉しい。


 二人の笑顔のきっかけは透明、という占い師のだろう。今日、ここで3人でランチをするきっかけになったのも、彼だった。近々また、お礼がてら予約をいれようかと思う。


「で、ですよ。鳴子さんはどうしてあの占い師のところに行くことになったんですか?」


「あの、私もそれ、ちょっと聞きたいです。」


 ランチがてら、二人が聞きたかった本題に入ったので、私はコーヒーを置いて、話し始める。


「うーん、うまく話ができるかわからないんだけどね。」


 そう言って、私は、2年前の自分のことを若い二人に話し始めた。




 30歳の誕生日を、私は家で一人で迎えた。自分のご褒美にエステにでも行ってみようかと思っていたが、生理の日に被ると気づいて家で過ごすことに決めた。せめて、仕事の日だったほうがよかったな、とちょっと思った。ありがたいことに母親と学生の時からの友人で、今絶賛育児奮闘中の柊美琴(ひいらぎ みこと)からおめでとうのメッセージが届いていたが、ありがとうと返せば誕生日のイベントは終わってしまった。SNSを開いてみれば、その美琴が子どもと楽しそうにイチゴ狩りをしている写真が上がっていた。そして、もはやSNSでしか繋がっていない元友人達のキラキラしている日常にいいね、をしていくとベッドに横たわっているのが辛くなって、起き上がる。


 冷蔵庫から無農薬のレモンを入れた水を注いで飲んだ。レモンのかすかな酸味と香りが、少し心を癒してくれる。お気に入りの高かったソファ。大きなTV。木でできたローテーブル。掃除も行き届いた私の城は、朝日に照らされて眩しいのに、なぜ私はこんなにも満たされないのだろう。


「ごめんね、掃除している暇がなくて。」


 そういって上がらせてもらった、本当に散らかっていた美琴の家を思い出す。テーブルで私が持っていった有名店のケーキもゆっくり食べられず、子供がクズるたびに席を外す、美琴のあの部屋が羨ましかった。


 結婚すれば、何かが変わるのだろうか。そう思って、結婚相談所に通ったこともある。


「20代の方は引く手あまたですよ!」


 相談所の人に言われた通り、たくさんの人とマッチングした。毎週末デートがセッティングされて、いろんな人と出会った。実は、私は男性と付き合った経験がなかった。だから、男性に何を求めているかもよくわからなかった。ほぼ条件がなかった私に、いろんな人がマッチングされ、出会えば出会うほど、わけがわからなくなっていった。中にはしょっぱなから将来の展望を語る人や子供が生まれたどうしたいといったようなことを語る人もいたが、その将来に自分がどうしても見当たらなかった。


 ただただ埋まっていくスケジュールに辟易してしまい、美琴に相談すると、


「美津は昔から人にあまり興味がないからね。一人の方が楽なのかもしれないね。」


 そう言われ、確かに、と思って相談所は退会してしまった。以降、毎週末の休日を私は持て余している。それまでは普通の日常だったのに、一度忙しい日々を味わうと、ぽっかりと空いてしまったように感じられれて、何かしなくちゃいけないような焦りが休日に生まれてしまったのだ。SNSでは今しかない今日を、みんな謳歌していて、私だけ代り映えのない日常に溺れている。だから30歳になった今日、私は一人なんだ。それが、どこか社会不適合者のように思えた。



 

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