第18話 鳴子美津の場合1
ー鳴子美津(なるこ みつ)32歳の場合ー
「やば。このナポリタン絶品!」
そう言って、加藤さんは口いっぱいに頬張っている。
「ミルクティーって、こんなに美味しかったんですね」
そう言って、柏原さんがミルクティーのカップを丁寧に持ち上げて感動している。傍らにあったサンドイッチももう完食しそうだ。二人の満足そうな笑顔に私はうきうきしながらドリアを口に運ぶ。もう少ししたら食後のコーヒーが出てくるだろう。部下の二人にランチに誘われたのは意外だったが、それならばとこの店にしてよかった。グーゴルマップにも一つしかコメントがないビルの一角の小さいお店。インターフォンの上に小さな木彫りの板に店の名前だけしか載ってないような密やかなカフェ。ランチ時でも席が埋まることはないのに、料理はどれも絶品だ。本来秘密にしておきたいタイプの店だが、美味しいランチは午後の仕事の活力になる。
透明という占い師を紹介してくれたお礼と、どうして彼を知ったのか、が聞きたくて誘ってくれたようだが、食事が運ばれると二人はもうランチに夢中になってしまった。それでいい。透明さんを紹介して正解だったことはもう今の状態を見ればわかる。
加藤理沙さんは問題児だった。ミスも多ければ遅刻も多い。手を変え品を変えと色んなアプローチを取ってみたけれど、目に見えた改善は見られなかった。ムスッとした顔で謝罪はするけれど、「あの、私営業に異動とかさせてもらえませんか?」と言ってくる。とてもじゃないがこの状態で他部署に推せやしなかった。いつも体調が悪そうかイライラしているかの二択で、周りが気を遣ってしまうタイプだ。けれど、彼女のやる気は人一倍あるのだ。必要だと言えば簿記も1級まで取ってきたし、ミスがあるだけで仕事は一通りこなせる。ミスを人のせいにすることはないし、遅刻も下手な言い訳をしてくることはなかった。何とか彼女のエネルギーをうまい方向に持っていけないかと悩んでいたが、目に見えて彼女は落ち着いた。ミスも減ったし遅刻も減った。いや、遅刻は最近まったくない。よくデスクで手を開いたり結んだりする癖を見るようになったので、「何をしているの?」と聞いてみたら、
「いや、私すぐ固くなっちゃうので緩めなきゃと思って」
とはにかんだ笑顔をみせてくれた。これが続くようなら、営業でもやっていけるだろう。彼女なら男社会の中でもやっていけるし、何より本人が望んでいる。次の人事でねじ込んでみせる。それは私の仕事だ。
柏原柚香さんは真逆の大型新人だった。指導の担当をさせてみたら加藤さんにも良い影響があるかもしれないと思い、柏原さんをつかせてみたけれど、私が作ったマニュアルは総無視で全部実践で指導した。口出しするか迷ったけれど、柏原さんにはそのやり方があっていたのか、一から十学べるタイプなのか、恐らくその両方で彼女は2か月も経たないうちに一通りの仕事をこなせるようになった。今じゃ中堅の部下よりも仕事ができる。しかもミスなく。大型新人どころか超大型新人だ。それなのに彼女はめっきり自分に自信がなかった。営業の問題児の佐藤さんの電話もおどおどして長引かせてしまうし、先輩にいつも恐縮している。こちらも手を変え品を変え、褒めてみたけれど、褒めているのに謝られてしまう始末だった。彼女が時々トイレで吐いていることに私は気づいていた。でも自分には打つ手がなくて、透明さんを紹介した。それから彼女は背筋が伸びるようになって、佐藤さんの電話にも最近はしっかり断れるようになっている。褒めると、嬉しそうに笑うようになってくれた。その成長が何より嬉しかった。
「やっぱり、憧れです」
「ん?何が?」
柏原さんが聞いてきたので、私は食後のコーヒーを受け取りながら聞いた。
「私、鳴子さんみたいになりたいです。いつも笑顔で、優しくて、仕事もできて。こういう店も知ってる、なんかもう本当に憧れます。私なんかまだ足元にも及びませんけど」
隣で加藤さんがちょっと不服そうにしている。かわいい。
「ふふ、ありがとう」
私は笑顔で答えた。この子たちの耳には届いてないようだ。私が新人の頃、「クラッシャー鳴子」と異名が付くほど仕事ができなかったことは。
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