第16話 加藤理沙の場合8

 気がついたら、明け方だった。まだ日が昇る前の真っ暗で、静かな時間だった。なぜだかとてもいい夢を見た気がした。起き上がると化粧したまま寝た顔は、どろどろで、私はまだ痛いお腹を労りながら、シャワーへと向かった。温かいシャワーは気持ちよくて、何故だか私は、ふいに幸せだなって思った。暖かいゆるい服を探して着た。目はすっかり冴えわたっていて、ベッドの上に転がった鳴子さんからもらったドリップコーヒーが目に入った。


「時間をかけて、自分が好きなものを作って、おいしいと味わってごらん。自分で自分を許すなんて、本当はそれだけで十分なんだよ」


 そんな言葉を思い出す。胃が重いけど、まあいっか。埃をかぶったやかんを洗って、お湯を沸かした。マグカップもすっかり汚れていたので洗った。ゆっくりお湯を注ぐと、コーヒーのいい香りが部屋中に漂って、これが本当のコーヒーなんだ、なんてよくわからない言葉が出てきて。


 マグカップにたっぷり入れたコーヒーを持ってベットの脇に座る。口に含んだ豊かな茶色い液体は口の中で広がっていく。


「おいしい。」


 思わず口にした。ああ、私が欲しかったのはただこの瞬間だったんだ。そんな気がした。今日は会社をお休みさせてもらおう。干したシーツをしいて、ゆっくり横になろう。そして、落ち着いたら、部屋を片付けよう。あの重なった服たちも、バックの中も綺麗にしよう。


 思い出した。あのぐしゃぐしゃになったフレアの黄色いスカート。あれはゆずちゃんみたいになりたくて、買ったんだ。ゆずちゃんみたいに、人を許して、優しくいられる存在になりたくて。着てみたらゆずちゃんに持ってるものにそっくりで、似合わないしとぐしゃぐしゃにしてしまったあのスカート。


 あれもきちんと洗濯してきれいにして、着ていこう。きっとゆずちゃんは「綺麗な色ですね」って褒めてくれる。だからありがとうと言おう。昨日のことも本当にありがとうって。


 鳥の声がして、地球が明るくなっていった。豊かに光る自分の手の中の茶色い海は私の笑顔を映していて。


 ああ、私はとっくに許されていた。

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