第15話 加藤理沙の場合7

 ドサッ。家に帰って来て、カバンを放り投げて裸のベッドに倒れこんだ。最悪の一日だった。あれから休憩時間いっぱい、私は涙を止められず、泣きはらした目で午後の仕事をすればみんなに心配された。部長にまで、「体調が悪いなら帰っていいんだよ」なんて気を遣われて、申し訳なくて、惨めで、治まらないお腹の痛みにベッドの上小さくなっていく。


 放り投げたカバンからものが散乱していた。パッケージされたドリップコーヒーの袋が見えた。ああ、そうだ、いつだったか鳴子さんがくれたんだ。『いつもコーヒー飲んでるから。ここのおいしいよ』って。そういう気遣いも私はバックに放り投げて、忘れて、持ち歩いて。


「ふうぅ。」


 まだ泣くかと自分に呆れる。嫌だな、こんな自分、本当に嫌だ。人の好意も乱雑に扱う自分が本当に嫌だ。ゆずちゃんの優しい本音の言葉にありがとうも言えずに帰ってきた。そんな自分が本当に嫌だ。ああ、もうこの痛みの中でそっと消えちゃいたいななんて、本気で思う。ぼんやりとうずくまってどれだけたったろうか。ふと雑多に散らばったものの中にひと際白い封筒が見えた。あの占い師がよこしてきた封筒だった。


「そもそもあんたが!」


 変なこと言うから!と封筒を掴んでみたらお腹が痛んでまたうずくまった。もうなんなのよ、本当に最悪。ぐしゃぐしゃになった手の中の封筒がやけに白くて、ふいに中を開けたくなった。味気ない領収書の¥5,000の文字の下にはこう書いてあった。


『先生が死んだのは、君のせいじゃない』


 どくんと脳が波打った気がした。ああ、嫌だ嫌だ、思い出したくない。思い出したくない。そう思うけれど、私は忘れもしない小学校6年生の教室の風景が蘇ってきた。


「あいつ、マジで空気みたいだよね。」


「まじ、それ!理沙、うまいこというじゃん。」


 そう言って笑った私。小学校6年生の時に担任になった若い女の先生は、気が弱くて学級崩壊はあっという間に起こった。誰も先生の話を聞かなかった。みんな教室で笑ってた。隣のクラスの先生が代わる代わる注意しにきて、その時はいったんみんな席について大人しくなるけど、しばらくするとあっという間に騒がしい教室に戻った。学校が楽しくて仕方なかった。みんな好きなことして好きなこと言って、暴れて遊んで、教壇に立つ先生なんてまるで見えないかのように振舞った。教壇の上で小さくなっていく先生の姿を、みんなで笑った。


 そんな先生は、夏休みの間に自殺した。大人は誰も詳しいことを言わなかったけれど、噂はあっという間に広まっていった。2学期になって、新しい先生が来て、教室はまったく異質なものに変わった。誰一人、授業中騒がなくなった。先生のことを何も言わなくなった。変わった同級生の後ろ姿が気持ち悪かった。先生の声だけが響く、静かな教室で私は自分の声だけが宙に浮いて見えた。


『あいつ、マジで空気みたいだよね』


 変わるのが怖かった。気持ち悪かった。だって、変ってしまえば、認めたようなものじゃないか。先生を殺したのは私たちだって。どれだけ恐ろしいことを私たちはしたのだろうか。静かになった同級生の後ろ姿が私たちの罪を責めている気がした。


 誰かに許されたかった。もうどうやったって本人に言えないごめんなさいを誰かに救ってほしかった。だから試すみたいに愚痴を言って、彼氏ができればひたすら側にいることを要求して私の存在を、誰かに許し続けて欲しかった。


 私を許さなかったのは、私自身だ。

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