第13話 加藤理沙の場合5

 最悪の目覚めだった。というより、痛みで眠れなかった。昨日、結局夜まで動き回った。夜会った相手の顔も話したこともよく覚えていない。なんとか家にたどり着いたら、シーツを出すエネルギーもなくて、そのまま毛布にくるまって寝た。夜中、迫ってくる痛みに、目が覚めたのだ。ああ、やばい。ふらふらとトイレに行く。どす黒い赤が辛かった。カバンを漁ると、痛み止めが箱ごと出てきた。何も食べてないけど仕方ない。水道水で痛み止めを押し込んで、シンクの下でうずくまった。今までで一番ひどい痛みだった。頭も痛い。胃の中で溶けているであろう、痛み止めに救いを求めるみたいにうずくまる。散らかった部屋と干したシーツを見上げる。


 ああ、何をやってるんだろう。せめて仕事はちゃんと行かないと。今なら走って会社に行かなくていい。1本早い電車にも乗れる。少し落ち着いた痛みに、ノロノロと動き出す。適当なパンツをはいて、適当はブラウスを着て、とりあえずメイクして。死人みたいな顔色の自分にリキッドファンでを押し付けた。チークを入れたらなんとかごまかせるだろう。化粧ポーチをカバンに放りこんで、持ち上げると、カバンが重い。昨日から急に、その重さを取り戻したカバン。せめて、と英語の教科書は出してみるけれど、そのほかはよくわからなくて、気合で持ち上げた。


 薄暗い雲が外には広がっていて、頭痛が痛みを取り戻した気がした。何とか電車に乗って、何とか会社について。1階のロビーの扉が開くと、自販機のところにゆずちゃんがいた。


「理沙さん、おはようございます。え、大丈夫ですか?」


「おはよう。何が?」


「顔色悪いですよ。」


 やっぱりゆずちゃんにはばれるか。心配そうにゆずちゃんが聞いてくるから、私は笑えと自分に命じた。


「全然、大丈夫だよ。昨日ちょっと飲み過ぎただけ。私も何か買っていこうかな。」


 ゆずちゃんの視線から逃げるみたいに自販機に視線を動かした。缶コーヒー、は止めておこう。胃が痛くなりそうだ。私はまだ残っていたコーンポタージュの缶を買った。朝ご飯代わりにもなりそうだ。缶が温かくて、思わずお腹にあてた。


「もしかして、生理痛ですか?」


 私を見守っていたゆずちゃんが聞いた。ゆずちゃんは人の体調に敏感だ。自分が青い顔している時も大丈夫と答えるくせに。


「ちょっとね。でも薬も飲んだし、大丈夫だよ。」


「きつい時は休んでください。」


「それ、お互い様じゃない?」


 そういうとゆずちゃんは黙ってしまった。ごめんね、と少し思ったけれど、見ている景色が脈うっているみたいになっていて、それ以上何も言えなかった。


 席についてしばらくすると、部長が来て空調を入れた。勘弁してくれよ、と思っていたらゆずちゃんが声をかけてくれた。


「これ、よかったらどうぞ。」


 と、ピンクのブランケットを貸してくれた。背に腹は変えられなくて、「ありがとう」と受け取った。暖かくて軽いそれは優しくて、なんで自分のあの大きなカバンにはこれが入っていないんだろうと思った。一度買って入れてしまえばきっと入ったままになるだろうあのカバンの中に、なぜこの優しさは入っていないのだろう。




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