第12話 加藤理沙の場合4

 ふと、ゆずちゃんからもらったあの名刺がよぎった。カバンの中をあさくって探してみれば、その名刺は見つかった。


 透明。ふざけた名前だ。予約サイトを読み込んでみたら、たまたま今日の13:30に空きがあった。今から40分くらい後だ。住所を見てみたら、ギリギリ間に合いそうだ。終わってネイルの予約もギリギリ間に合うだろう。30分5000円、現金、の文字にちょっとだけうろたえた。最近、ずっと赤字でリボ払いでなんとかやりくりしていた。だけど、いけば少なくとも次のゆずちゃんとの会話は会社以外のことを話せる。それだけで価値があるように思えた。お金なんて、後からどうにでもなる。私は予約を入れて、急いでその住所へと向かった。


 スマホにナビを入れたのに、うまく探せなくて、結局約束の時間より遅れた。こんな普通のビルの一角なんてわかりにくい。稼ぐ気があるのだろうか。


「失礼します。」


 とりあえず言ってみて扉を開けると涼しい風となぜか懐かしいような嗅いだことのないお香の香りがした。アメジストドームがキラキラしていて、少し現実離れしているような気分になった。


「遅い!」


 低く通る声が聞こえたので、そっと突き当りの扉を開くと、本棚にたくさんの石、大きな木のテーブルに、いかつい顔の男がいた。


「10分も遅刻だ。言っとくがその分延長したりしないぞ。」


 なんだこの男は。そういえば失礼、とゆずちゃんが言っていた。彼女が人をそういう風に言うなんてよっぽどだけど、本当によっぽどなのだろう。客なのに、最初からため口なんて、なんて奴だ。


「別にいいです。この後も予定あるんで。」


「暇つぶしに5000円か。随分いいご身分だな。」


 うわあ、来るんじゃなかった。こんな奴との会話に5000円か。


「座れば?」


 座ればって何?と思いながら渋々、木でできた椅子に座る。


「いい加減な性格。」


「は?」


「加藤理沙さん、君の性格だよ。時間にルーズなくせに常に何かしら予定を入れる。一人でいるのが苦手なタイプだな。誰かに常にすがるくせに、口を開けば不平不満ばかり。部屋も散らかり放題だろう。」


「うるさい!そんなことない!」


 思わず言い返したけれど、散らかり放題の自分の部屋が出てくる。


「自分に対していい加減な奴は人にも物にもいい加減だ。仕事もケアレスミスが多いタイプだろう。」


「…。」


 図星を繰り返されて、言い返せなかった。悔しい。


「なんの仕事をしているんだ?」


「…〇〇会社の経理よ。」


「向いてないな。君は営業とか常に何かを追う仕事が向いている。」


「いやよ、営業なんて。あんな人にへこへこする仕事。」


「君は、人に何かを勧める時、へこへこしないといけないと思っているのか?それは自分に自信がない人だからだ。」


 なんなんだ、こいつは。一体なんなんだ。抑えようのない苛立ちが足を上下に動かした。


「貧乏ゆすりか。君の押さえようのない苛立ちはどこから来ている?」


「あんたよ!さっきから失礼なあんたのせい!」


「常に苛立ってるくせにか?」


「うるさいわね!常にじゃないわよ!男にはわからないでしょうけどね、私は生理の時にイライラするのよ!こんなの自分だって嫌よ!」


「言い訳に人から借りてきた言葉を使うな!!」


 思いのほか強い言葉に、私の足は止まった。


「そういえば男が黙ると思ったか?わかるわけないだろう。俺は男だ。だけど、同じ女でも症状は人による。わかってもらえるわけじゃない。君が今言った言葉は目が見えないんだから人に八つ当たりしても仕方ないよねと言ってるのと一緒だ!」


「…何よ、何なのよ。」


「でも、理解を求めることはできる。」


「は?」


「イライラするから話しかけないでほしいとか、一人になるとか方法はいくらでもある。君はわざわざ苛立っている時に、わざわざ人に会う予定を入れる。何でだ?」


「なんでって…。」


「なぜ君は自分が自分を嫌いになる様を黙ってみている?」


 その言葉が私の脳を突き抜けた。そう、私は自分が嫌い。口を開けば愚痴ばかり言う自分が、いつも時間にもお金にもルーズな自分が、部屋も片付けられない自分が、ミスばかりする自分が!私は、私が大嫌い!


「…なぜそんなにも自分に余裕がないんだ?」


「うるさい、もう黙って。」


 息が苦しい。うまく呼吸できない。


「親か?いや、これはちょっと違うな。もう少しで見えそうなんだが。」


「もういい。お金払うから。」


 私は財布を探して、1万円札を出した。席を立つ。もうここには座っていられない。


「まてまて、慌てるな。お釣りを出す。」


「いらない!」


 立ち上がった私の右手をその占い師は左手で、止めた。大きくて熱い手だった。触られたところから何故だか温かいものが流れてくるようだった。


「ああ、見えた。なるほど。」


 そう言って器用に片手で何かを書き出した。


「好きな飲み物はコーヒーか?」


「え。ああ、多分。」


 手首を掴まれてなぜか少し落ち着いた。何か飲むものを買う時はたいてい、エナジードリンクかコーヒーだ。


「悪かったな。」


「え?」


「言い過ぎた。君が余裕がないのは、自分を許せないからなんだな。」


 初めて、占い師と目がしっかりと合った。黒くて深いその瞳は見たくない自分が映っていた。私はまた居心地の悪さを取り戻した。


「もういいから。」


「君は今、怒られて傷ついた子供みたいな顔をしている。」


 手を放そうとしたけれど、占い師の手は強かった。


「コーヒーを自分の為に淹れてごらん。豆から挽いてみるといい。時間をかけて、自分が好きなものを作って、おいしいと味わってごらん。自分で自分を許すなんて、本当はそれだけで十分なんだよ。」


 言いながら、占い師は器用に何かを書いた紙を封筒に入れ、5千円札と一緒に私の手に握らせた。


「領収書はメッセージ付きだ。後ででいい。ちゃんと読むんだ。このままだと君は壊れていくよ。」


 占い師の両手でしっかり握られた手が気持ち悪い。私は手を振り払って、もらったものをカバンに放り入れて、カバンを持った。重い。こんなに重かったか、私のカバンは。まあそれはそうだ。常に英会話の教材もなんでもかんでも詰め込んで持ち歩いているカバンだ。こんなに、重いものを私は常に持っていたのだろうか。それでもカバンを持ち上げて、足早に部屋を出た。


「なんで自分が自分を嫌いになる様を黙ってみているんだ。」


 言葉が頭の中に居座った。嫌だ嫌だ。見たくない。それを私は見たくない。カバンが重い。体が重い。だけど、走れ。今はとにかくすべてを振り切りたかった。

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