第9話 加藤理沙の場合1

ー加藤理沙(かとう りさ)26歳の場合ー 


 何回も鳴る目覚まし時計を止めて、また睡眠に入ろうとしてハッとする。時計を見やると遅刻ギリギリの時間だ。慌てて布団から飛び起きて適当なパンツとブラウスをひっつかむ。縮毛矯正をかけた短い髪には癖一つないから、顔を洗って、とりあえずリキッドファンデと眉だけ描いたらカバンをひっつかんで外へ飛び出した。


 外はもう暖かくて、走る肩で切る風がぬるい。ぎりぎり電車に間に合う。水も飲まなかった喉が渇いて辛い。短い襟足から滴る汗が気持ち悪かった。電車の片隅に小さくなって、荒くなった息を整えていた。この電車だと、着いてからもダッシュしないと会社に間に合わない。いつも1本早い電車に乗ろうと思っているのだが、ついぞ叶ったことがない。昨日飲んだ酒が胃に重かった。


 ようやく息が落ち着いた頃、そっとハンカチで首筋をぬぐった。会社に着いたら、あとで汗拭きシートをかけないといけないだろう。メイクもだ。車窓から見えるいつもの光景にうんざりする。あと、何千回、同じ光景を見ないといけないのだろう。まだ社会人になって3年目の春だというのに。アナウンスが次の駅名を告げる。私は走り出す準備をした。


 ぎりぎり5分前についてみれば、中は冷房が効いていて滴る汗を一気に冷やした。また部長は何度に空調を設定しているのか。イラっとしたが、そんな暇はない。慌てて席に着いて、パソコンを起動した。何とか間に合うだろう。


「おはようございます。」


 隣の席の一つ後輩の柏原柚香、ゆずちゃんが挨拶をしてくれる。


「おはよう!」


 元気に返すけど、汗だくの顔を見られたくなくて顔は合わせなかった。


「もう少し、早く来ようね。」


 2回目の遅刻の時に、副部長の鳴子美津さんに言われた。優しい言葉でとても申し訳なかった。なのに、ちっとも私の生活は改善されない。そういう奴なんだよな、私は。いい加減で。そんな気持ちと裏腹にPCに光は眩しかった。


 しばらくして、トイレで汗拭きシートで体を拭き、眉とアイラインと引き直した。疲れた顔をしている。さすがに今日は家に帰ってゆっくりしようと思う。けれど、家で一人ご飯を食べる姿を思うとうんざりしてしまうのだ。私は一人ゆっくりする、ということが苦手だった。仕事後も、休みも、基本的にスケジュールで埋め尽くされている。過去3回彼氏ができたことがあったが、私は彼氏ができると、一人でいたくない、という感情がすべて彼氏に向かってしまうため、1年と続いたことがない。恋愛には向いてないんじゃないかと密かに思っている。


 1階に降りて、缶コーヒーとエナジードリンクを買った。眠くて仕方なかった。それでも仕事はしないといけなくて。めんどくさい。本当にそう思う。多分自分は飽き性なのだと思う。エナジードリンクの方をすぐに開けて、その場でガンガン飲んだ。それでも迷惑をかけるわけにはいかない。「よしっ」と小さく言って、座席へと戻った。


  その日はランチが一人になってしまった。いつものようにゆずちゃんとランチを取ろうと思ったら、鳴子さんと一緒にと言われてしまったのだ。私は、鳴子さんが苦手だった。何とか言い訳をして回避してしまったので、一人でランチを取らざる得なくなってしまった。カウンターが空いていたので、そこに座る。隣も一人なのに、なぜか私は一人でカフェに入るといたたまれない気持ちになるのだ。隣の人はPCを扱っている。その奥にはスマホを扱っている人。一人でもなんらおかしくなんてないはずなのに、彼らは理由があって、その席に座っていて、私にはその理由がないような気がする。なんとなく、スマホを見ながらパスタを口に運んでみたけれど、何の味もないような気がした。とにかく早く仕事が終わらないかな。そんなことを考えた。

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