第4話 柏原柚香の場合4

 2週間なんてあっという間に過ぎた。今日がその占い師のところへ行く日だ。


 私は休日も出社する日と同じ時間に起きる。撮りためたドラマを見ながら、シリアルで簡単な朝食を済ませると、部屋の掃除や洗濯をした。それでも時間に余裕があったので、YOUTOBEで動画を見ながらゆっくりと支度をした。最近、ある絵描きのチャンネルにはまっている。ひたすら白い紙に楽しく落書きをしていくようなチャンネルで登録者も少ないが、意外とうまいと思っている。


 今日は休日なので、メイクはマスカラもチークも入れた。「よし」とリップの蓋を閉めると、存外緊張している自分に気づいた。


「失礼」「傷つく」といった鳴子さんのワードを思い出す。同時に「救われた」と言う言葉も。


 別に救われたいと思っているわけじゃないけれど。そして気づく。私、何を占ってもらおう。恋愛運?でも今特別恋人がほしいと思っているわけじゃない。仕事運?だけど、正直今の職場は恵まれていると思っている。特に嫌いな人もいないし、鳴子さんも理沙さんも優しいし。


 あれ、私、何しに行くんだろう。途端に不安になったが、当日キャンセルは失礼だ。無難に恋愛運でも占ってもらおう。そうしよう。そう決めて、家をでた。


 外は暖かくて、フレアのうすピンク色のスカートがふわりと風を捕まえる。いい天気に少し元気が出てくる。あらかじめ打ち込んでおいた住所にナビ通り行ってみると、それは閑静な住宅街にある一つのなんの特徴もないビルだった。このビルの201号室が目的の場所だ。ここにきて、やはり緊張がまた出てきた。約束の10分前だ。もう入ってもいいのだろうか。前の人がいたら、迷惑ではないのだろうか。ビルの前をうろちょとすると、自販機にいつものレモンティーがあった。私は迷わずお金を投入して、レモンティーを受け取る。いつもの味が幾分落ち着きを取り戻してくれた。1時58分。私は201号室に移動して、インターフォンを押した。


「どうぞー。」


 中から気の抜けた声が聞こえた。私は恐る恐るドアノブに手をかけ、


「失礼します。」


 と言って中に入った。ふわりと嗅いだことのないお香の香りがした。普通の居住用の家なのだろう。玄関には一つ下駄が置いてあり、下駄箱の上には大きなアメジストドームが置いてあった。玄関マットにスリッパが置いてあり、ここで履き替えろということだろう。私は靴を抜いてスリッパを吐くと、正面の軽そうな木製の扉を開く。


「いらっしゃい。」


 中には本棚がたっぷりあり、中には本やらカードやら、いろんな石が置いてあった。木製のいびつで重そうな木の机があり、奥に透明さんが座っていた。


 透明さんは30代くらいの男性で、金髪に染めた短い髪は半分黒くなっていた。長めの前髪を斜めにきっちりながしていて、横は刈込が入っている。紺色の作務衣を着たその男性はとにかく目力が強かった。爬虫類顔とでもいうのだろうか、骨格がしっかりしてそうな顔で目が横に大きく鋭い。私は怖気づいた。


「柏原柚香さん?」


 声も低くて重い。


「どうぞ。」


 そう言って、透明さんの前にある同じく木の椅子を示した。


「失礼します。」


 そう言って、恐る恐るその椅子に座ると、間髪入れずに透明さんは話し出した。


「柏原さん、君、自分がないね。」


「え?」


 バックからメモを取り出そうとした私の手が止まる。


「メモとるの?」


「え、あ、だめでしたか?」


「真面目だね。別にいいよ。どうぞ。」


 そう言われたので、私は持ち歩き用のメモとペンを取り出した。今、目の前の人は何と言ったか。「自分がないね。」そう言ったか。開口一番に。


「でも、メモ取る事あるかな。だって君、聞きたいことなんてないでしょう。」


「え?」


「自分がない人に聞きたいことなんてあるはずがない。聞きたい人がいないわけだからね。それとも何か聞きたいこと、あった?」


「え、いや、あの、恋愛運を。」


「恋人がほしいとも思ってないくせに?」


 図星だった。さっきから頭が混乱して言葉吟味する余裕がない。


「いや、でもそのうち結婚とかもしたいですし。」


「そのうち。結婚。なに。それは誰に言われた言葉?」


「誰にって。普通に…。」


「普通に、ってなに?今どき結婚しない人なんてたくさんいるだろう。」


「こ、子供とか…。」


「今、恋人がほしいとも思ってないのに?結婚したいとも思ってないのに?いずれ子供が欲しくなるの?何それ、予言?」


「いや、でも、普通は・・・。」


「その普通は、誰に聞いた普通?」


 いよいよ私は閉口した。頭が真っ白で救い上げられそうな言葉がない。


「怒れよ。」


「え?」


「俺は30分経ったら君から5000円もらう。どんなに文句言われてもだ。そんなやつに君は今好き放題いわれてるんだぞ。」


「…そう、言われましても。」


「重症。」


 そう言って、透明さんは沈黙してしまった。私はどうしていいかわからずに、無意識に何も書けなかったメモに、いつもの猫の絵を描いた。


「絵を描くのが好きなのか?」


「え、あ!」


 私は思わず猫の絵をぐしゃぐしゃと塗りつぶした。恥ずかしい。


「別に、好きじゃないです。」


「ふうん、じゃあ、何が好きなの?」


「好き?えっと…。」


 考える隙を透明さんはくれなかった。矢継ぎ早に次の質問が飛んでくる。


「じゃあ、休日は普段何をしているの?」


「え、あYOUTOBUを見たり、あ、ドラマ、ドラマ見るのが好きです。」


「好きなものを語る時、人はそんな顔をしないよ。」


 自分は今どんな顔をしているのだろうか。ただ泣きそうだ。


「仕事は何をしてるの?」


「あ、あの〇〇株式会社で経理の仕事をしています。」


 声が自分の想像より遥かに小さい。


「仕事、合ってるよ。君は人と多く接していると疲れるタイプだ。数字とか無機質なものに向き合っている方がいい。」


「はあ。」


「恋愛運は今は見ない方がいい。自分がない時に誰かと出会ったっていい恋なんてできやしないんだから。」


「はあ。」


「それよりも何よりも君が向き合うべきは自分自身だ。」


 そう言ってまた沈黙するから、私は思わず顔を上げた。透明さんはまっすぐに自分を見ていた。強いそのまなざしは、爬虫類というより龍を想起させた。目をそらしたいのに、そらせない。自分を底から見透かされるような強い目だった。


「大丈夫、いい未来になるさ。」


 突然の言葉にちょっと息苦しさが楽になる。


「なんて、そこら辺の占い師は簡単にいうだろうな。そんなのを見るのは占い師じゃない。自分自身だ。」


 あげて落とされた。もう何が何だかわからない。


「クレヨンと画用紙。」


「はあ?」


「クレヨンと画用紙だよ。100均で簡単に買えるだろう。買って帰るといい。」


「なぜ?」


「なぜがないといけないのか?」


 私はまた閉口した。


「時間だ。5000円。」


 そう言って木でできた器を私の前に差し出してきた。もう私はわけがわからなくて、とにかく早くここから出たくて財布から5000円札を出す。ちゃんと両替してきていた。


 透明さんは受け取ると紙に何か書いて、封筒に入れて渡してきた。


「これは?」


「領収書だ。メッセージ付き。気が向いたら開けるといい。」


 そう言われたのでそのまま財布に入れて、ありがとうございました、と言って足早に部屋をでた。

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