第3話 柏原柚香の場合3

 座席について、午後の仕事を始めると電話が鳴った。基本、電話は全員取るけれど、新人ができるだけ取るようになっている。


「はい、経理の柏原です。」


「お疲れ様です。営業の佐藤ですけれど。」


 名前を言われた瞬間。「げっ」と心の中で言った。佐藤さんはミスが多い営業でとにかく経理に何とかしてくれないかとよく連絡が来る。この会社ではミスによる金額の修正は上司同士の話し合いが必要なのだが、佐藤さんはとにかく直接経理にかけてきてどうにかならないかごねるのだ。どうにもならないと何度言っても。


「佐藤さん、何度もお伝えしているのですが、そういった修正はまずは直属の上司に相談してください。」


 「佐藤さん」という言葉を心持ち大きな声で言った。周りが、「またか」という顔をする。理沙さんが私のデスクにチョコレートを置いた。「お疲れ様」という意味だろう。軽く会釈をする。答えが決まり切っていることを何度も言うことにどうして彼は疲れないのかと思う。適当に相槌を打っては「私にはそんな権限ないので」と繰り返す。


 手持ち無沙汰に、私はメモに、不細工な猫の絵を描いた。私のちょっとした癖である。下手くそな猫に吹き出しで「がんばれ」と書いた。少し、元気が出るから。それにしても今日は殊更長い。仕事ができない。困っていると、副部長の鳴子美津(なるこ みつ)さんが言った。


「柏原さん。電話回して。1109。」


 申し訳ない。けれど、このまま話していても平行線だ。


「佐藤さん、鳴子さんに電話変わります。」


 電話越しに文句を言われたが、保留にして、鳴子さんに転送する。そこからは早かった。鳴子さんは「できないものはできない、これ以上仕事の妨害は止めてください。」ときっぱり言うと、電話を切った。私はいたたまれなくて、鳴子さんの席に向かう。


「お手を煩わせて申し訳ありません。」


「いいのいいの。ほんと、佐藤さんには困ったものね。」


 でも、私も強く言えれば、こんな上司の手を煩わせることもなかったのに。そんな思いで小さくなってしまう。


「柏原さん。貴方よくやってるのよ。1年目なのに言われたことはミスなくそつなくこなせている。それってすごいことなのよ。」


 私を元気づけようとしてくれているのだろう。ミスなく、って当たり前のことなのに。私たちの仕事は経理なんだから。


「ありがとうございます。」


 そうはいったが、申し訳なさは消えなかった。この部署の人たちはみんな優しい。もっとみんなに迷惑をかけないように仕事できたらいいのに。そんな私を鳴子さんはじっと見ていた。しまった、嬉しそうにするべきだったろうか。


「あのさ、ちょっと話が変わるんだけど、柏原さん、占いって好き?」


「占い、ですか。まあ人並みに。」


 そういうと、鳴子さんはデスクから一枚の名刺をだした。上下に黒い縁取りがしてあるその名刺には大きく「占い師 透明(とうめい)」と書いてあった。一瞬秀明かとお見違えたがちゃんとかっこで"とうめい”と書いてある。随分変わった名前だ。


「すごい失礼な占い師なの。」


「え?」


「だから、ちょっと傷ついちゃうかもしれないけど、私は結構救われた。まあ30分5千円と高いから貴方が行きたいと思ったら、なんだけど。よかったらそれあげるわ。」


 こういうのもなんかのパワハラになるのかしらね、と鳴子さんは笑った。私は「とんでもない、ありがとうございます」と言って名刺をもらった。席に戻って、私は書いていた猫を慌ててぐしゃぐしゃと塗りつぶした。こんな子供っぽい行為を知られるのは恥ずかしかった。




 とうめい、とうめい。お風呂上りに髪を拭きながら、もらった名刺を眺めた。裏には住所と予約用のHPのアドレスとQRコードがあった。読み込んでHPを見てみると、予約サイトがすぐに出てくる。こういうのって、普通、顔写真とか何占いとかでてくるもんじゃないんだろうか。胡散臭い。だけど、あの、鳴子さんの紹介だ。


 私は鳴子さんを尊敬している。長い黒髪たなびかせ、ヒールをはいてテイクアウトのコーヒーを持って出勤してくる鳴子さん。仕事もできて、周りへの配慮もできる。いつも自分に余裕があるその姿は新人の私が尊敬する姿だった。


 その鳴子さんが勧めてくれたのだから。「失礼」「傷つく」というワードが気にはなるけれど、行ってみようという気になった。結構人気なのかもしれない。ほとんど×印だったけれど、2週間後の土曜日、14時だけ空きがあった。キャンセルが入ったのかもしれない。ラッキーだと〇印のボタンを押すと、名前と生年月日を入れる画面がでてきた。姓名判断なのだろうか。下には30分5000円の文字と、現金のみの受付になる注意事項が書いてあった。名前と生年月日を入れるとあっさり予約完了の文字が出てきた。これだけかといささか不安になる。考えてみれば住所もサイトには書いてなかった。いや、住所は確かに名刺に書いてあるけれど。


 鳴子さんが勧めてくれたので詐欺とかではないと思うけれど、やはりちょっと不安になりながら名刺を見た。


「透明、か。」


 自分も少し、透明な存在なんじゃないか。ふとそんな気分になった。

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