第28話 二人の未練

「いてて……」


 自慢じゃないけど僕は鈍くさい。不意を突かれようが突かれまいが、後ろからぶつかられたりなんてすれば、そりゃあもう派手に転ぶ。起き上がって、ズキンと痛む膝を見れば、うっすらと血も滲んでた。額も鼻も痛い。


 ぺたんとお尻をついた状態でお社と目が――お社に目なんてないからあくまでも雰囲気だ――合う。どうしよう。ただでさえ僕は足が遅いのに、こんなんで囮なんて務まるのかな。怖い。やっぱりオバケン君に任せて空き地に行った方が良かったのかも。いや、だけど、僕の足じゃ。


 と思っていた時だった。


 僕の身体が、ふわっと浮いた。どうやら後ろから両脇を掴まれたらしい。それで、すた、と立たされる。何だ何だ? と振り返ると。


「おうおうおう! よくもあっしのダチを傷モンにしてくれやがったなァ!」

「べーやん!?」


 動物園でルー太君と勝負してたはずのべーやんが、ポケットに手を入れた状態で、首をカクカクと大きく振りながらお社を威嚇している。


「我が終生の友に狼藉を働く不届き者め。愛刀『木菟丸松清みみずくまるまつきよ』の錆にしてくれようぞ」

「ザエモンまで!?」


 馴染みのおじいちゃんのところでテレビを観ているはずのザエモンが、腰に差した刀に手をかけている。いまにも刀を抜きそうな剣幕だ。ていうかその刀、名前ついてたんだ!? ミミズク丸とか可愛いな!?


「べーやん、ここは拙者に任せてユウ殿を頼む」

「ザエモンの旦那ァ、あっしだって戦えやすぜ!」

いな! 拙者は武士にござる! あの時は不義理にも落ち行く城に背を向けてしまったが、もう逃げん! 今度こそ友のためにこの刃を振ろうぞ!」

「だ、旦那ァ……!」


 べーやんがふるふると震える。


「べーやん、お主も悔いが残っているのではあるまいか?」

「それは……」

「お主の走りっぷりはかの韋駄天いだてんも舌を巻くほどだったと聞いたが?」


 あれは、法螺ほらでござったか?


 とザエモンが悪い顔をする。べーやんはしばらくの間下を向いていたが、ぶんぶんと頭を振ってから、ぱぁん、と両手でほっぺたを叩いた。そして、その勢いで、ギッ、と僕を睨む。


「法螺なんかじゃねェ! 見せてやらァ! ボン!」

「ヒエッ! な、何?!」

「すまねェ! ちっと荒いが!」


 そう言うや、僕をひょいと担ぎ上げた。


「旦那ァ! そっちは任せやしたぜ!」

「おう、任されよ」


 ザエモンはそう言うと、スラリ、と刀を抜き、ちゃき、と刃の向きを変えた。もしかして、『暴れん坊大老』の真似? 確か、みねうちなんだよね? 本当は切ってないんだっけ。やっぱりお社ってスパッと切ったらまずいのかな?


「我が名は大原おおはら清左衛門せいざえもん、いざ尋常に勝負!」


 そんな勇ましい声を上げるザエモンは、何だかいつもと違ってカッコいい。そして、僕を脇に抱えたべーやんはというと。


「坊、いままで隠してたことがありやす」

「な、何?」

「実はあっしは生前、陸上選手だったんでさァ」

「あぁ、えっと、うん、ザエモンもいまなんか言ってたね」

「あっしは千メートルの選手で、オリンピックの有力候補って言われてやした。それでちょいと調子に乗って、敵を作っちまったんで」

「敵?」

「友達と思ってたやつらに裏切られたんでさァ。大事な記録会の前にちょいともめごとを起こしちまって、膝をやっちまった。それでグレて、このザマですわ」

「そうだったんだ」

「だから」

「だから?」


 僕を抱えたまま、膝を曲げ伸ばしする。幽霊でも柔軟って必要なの?!


「走りやす!」

「えっ?!」

「しっかり捕まっててくだせェ!」

「えっ、えぇ!?」


 ワーハハハ! 五条瓦崎ごじょうかわらざき西にし高の韋駄天たァあっしのことよ! と叫んで、べーやんは、確かにものすごい勢いで走り出したのだ。僕は『韋駄天』なんて正直よくわからない。ただ、とにかく足の速い人のことをそう呼んだりするらしい、ということくらいしか。だけど、確かにこれはそう呼ばれるのに値するかもしれないと思うくらいの速さだった。


 幽霊だからだろう、べーやんは全然疲れる素振りもなく、むしろ楽しそうにびゅんびゅんと風を切った。すれ違う人達が、宙に浮かんだ状態で移動している僕を見て、ぎょっとした顔をする。だって、仕方ないんだ。みんなには、僕を小脇に抱えているべーやんの姿は見えないんだから。


 それで、あっという間に空き地に着いた。

 約束通りオバケン君は、その真ん中でぐるぐると回りながら「おーい、お嬢様~!」と声を張っていて、僕を見つけると「うおっ、ぼっちじゃん!」とかなりびっくりした顔をした。


「言われたとおりにしたけどさぁ、これ伝わったんかなぁ。なぁ、いるか? お嬢様」


 そう言いながら、空を指差す。まぁ、普通はそう思うよね。空にいるって。だけどレイ――じゃなかったお嬢様はいつだって地面を歩いていたんだ。僕と同じように。僕と視線を合わせてくれてた。だから僕が見るのは空じゃない。だけど。


「いない。まだ来てないのか、それとももう帰ったのか。どっちだろ。えっと、もっかいお屋敷に行って長岡さんに確認して……。あぁでももしまだ来てないだけだったらまた行き違いに――」

「なぁ、俺、長岡さんの番号知ってっけど」


 と、オバケン君がポケットからキッズスマホを取り出す。嘘でしょ、もう持ってるんだ! 僕んち、中学生になってからって言われてるのに!


「聞いてみりゃ良いんだろ、お嬢様が戻って来たかどうかってさ」

「そ、そう。ありがとうオバケン君」


 オバケン君が長岡さんと通話をしている間、僕はその場にしゃがみ込んで休憩だ。隣にいるべーやんは、何だかとても晴れやかな顔をしている。


「べーやん、すっごく速かったね」


 僕がそう言うと、彼はへへっと笑った。


「でしょう? まァこの姿ですし、疲れるなんてこたァありやせんからねェ」

「べーやんが選ばれるかもしれなかったオリンピックっていつのやつ?」

「東京オリンピックでさァ。六十四年の」

「そうなんだ。それじゃもしかしたら、金メダル取って社会の教科書に載ってたかもしれないんだね」

「いやァ、金まではどうだったでしょうねェ」

「絶対獲れてたよ。めちゃくちゃ速かったもん。そうだ、今度僕が作ってあげる、金メダル!」

「イッヒッヒ。坊からのメダルなんて、そりゃァどんな金メダルよりも価値があるやつですなァ」


 そんなことをヒソヒソ話していると、通話を終えたオバケン君が青い顔で「まずいぞぼっち」と割り込んできた。


「どうしたの? お嬢様は?」

「まだ戻ってねぇって。いや、それだけじゃないんだ。いまお医者さんから連絡が来て、近くまで来てるから、ちょっと寄らせてもらうって言われたらしい。あと三十分くらいで着くってよ!」

「えぇっ!?」

「なぁ、幽体離脱って魂が抜けるやつだろ? そんなの医者に見られて大丈夫なのか?」

「だ、大丈夫なわけないよ! どうしよう!」


 下手したら死んでると思われてそのままお葬式コースかも!


「落ち着いてくだせェ、坊」

「だって、べーやん! このままじゃ」

「おい、誰と話してんだよ」

「僕の幽霊の友達だよ! いまここにいるんだ!」

「マジかよ。えっと、どうも初めまして、大葉健太郎です。『オバケン』って呼んでください」

「あっ、こいつァどうもご丁寧に。いやいや、あっしとしては初めましてではねェんですがね。木部きべ雅治まさじと申しやす。気軽に『べーやん』と呼んでもらえたら」

「のんきに自己紹介してる場合じゃないよ!」


 見えないはずなのに握手まで交わしている(もちろんべーやんが合わせた形だ)二人の間に割って入ってそう声を上げると、


「まぁまぁそう興奮しなさんな」


 と、ザエモンの首根っこを掴んだお松さんが現れた。

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