第7話

 教室には、誰もいなかった。

 ロッカーから荷物を取り、更衣室に向かう。帰るだけだし、先生が車で送ってくれるって言うし。ネクタイはいいかな、どうせ校則違反してるし。

 ワイシャツにジャケットを羽織り、スラックスを履き、髪の毛を軽く整える。

 特別選抜クラスの前を通った時、長谷部と遭遇する。

「泉、体調は大丈夫?」

「うん、熱下がったし吐き気もなくなった」

 長谷部とは小中一緒だから、家も近い。二年生に進級してから行き来はないんだけど、何となくこのモヤモヤを誰かに聞いて欲しくて。思い切って相談する事にした。

「……蒼太、帰り家に寄っていかない? 話したい事があるんだけど」

「いいよー。久しぶりだね泉の家行くの」

「ありがとう」

 やっぱり親友の隣は落ち着く。クラスにも早く馴染まないと……。

 そう思いながら、保健室に向かった。

 保健室に着き、引き戸を開ける。

「森谷先生、来たよー」

 長谷部がそう声をかける。森谷先生はテラスに続く掃き出し窓の前に佇み、外を眺めていた。

 何か、線が細いっていうか華奢。

 夕日に照らされて、その後ろ姿はどことなく儚げな雰囲気を醸し出している。

 先生が口元に添えていた手を下ろす。その手には、……タバコ?

 ……この人、保健室で堂々とタバコ吸ってる。

「先生、校舎内でタバコ吸っていいのー?」

「タバコやない。電子タバコや」

「結局タバコじゃん」

「全然ちゃうわ。俺は電子タバコを吸って、水蒸気を吐き出してんのや。つまり加湿器と一緒。地球を潤してんの」

「……謎理論かまさないで」

 ……ホントだよ。

「……何かあったの?」

 長谷部が心配そうに声を掛ける。

「体育館にエアコン付けてってシスター(校長)にお願いしていたら、シスター(教頭)に怒られたんよ。おかしない?」

 シスター(校長)は森谷先生が在学していた頃から居るらしいけど、シスター(教頭)は割と最近来た人の様だ。系列校から来たそうだが、教育熱心で有名な人だとか。冗談も通じないらしい。

「臨時職員が偉そうな口聞くなってな。生徒の命を守る立場にあるのは、教師である以上は、変わらないはずなのに……」

「ねえ、そういうのってパワハラって言うんじゃないの?」

「よお知っとるな。ま、大人の世界は色々あるんよ」

「先生、臨時職員って何? 普通の先生と違うの?」

 嫌な予感がした。聞かずにはいられなかった。

「臨時職員ってのは、一時的な先生って事や。正規雇用の先生が産休や介護休暇を取っている間だけ学校で働ける。前任の町田先生が休暇から復帰したら契約終了になるんよ」

「じゃあ、町田先生が戻ってきたら森谷先生は学校辞めさせられちゃうの?」

「そうなるな」

「なんで? 二人で働けないの?」

 学校には保健室の先生は一人だけ。そういう決まりがあるらしい。生徒数が多い学校の場合二人いる事もあるけれど、この学校は一人で生徒全員をみると決めているそうだ。

 全然、納得いかない。

「俺は、ちゃんと全部分かった上でこの学校に来たんよ。一時的でも、母校の養護教諭になれて嬉しく思っとる。それに、町田先生を悪く思うなよ? 子供を生んで育てるって、大変な事なんやから」

 ……そうだ、先生たちは誰も悪くない。

 悪いのは学校。ううん、もっと上の仕組みを作った人。

 やっと、信頼したい大人に出会えたのに。その大人は、更に上の大人たちによって苦しめられている。どうすれば、先生の力になれるんだろう?

「さ、暗くなってきたから帰ろうや」

 その顔は微笑んでいたけど、悲しそうだった。

 パソコンの電源を落として、窓の施錠を確認。電気を消して、保健室を出る。

 そして、引き戸にカギを掛ける。

「職員室にカギ置きに行ってくるから、生徒玄関出た所で待っていてくれん?」

「分かりました」

 二人で返事する。

 生徒玄関で靴を履き替え、外に出る。先生を待っている間に長谷部に話しかけた。

「ねえ、さっきの先生の話どう思った?」

「うん、先生にも色々事情があるんだね。上手く言えないけど、子供の俺たちが口出しできる世界じゃないかな」

「そうなんだけど。なんか悔しい」

 ……ていうか、何か嫌だ。

 先生の事、何も知らないのに。もっと知りたいのに。

 ……離れたくない。

「待たせたなー」

 職員玄関から出てきた先生は、いつもの表情に戻っていた。

 ハイネックの薄手のニットにスラックス。首にはゴールドのロングネックレス。少し長めのトレンチコートを羽織っている。

 白衣は正直、コスプレっぽいけど、私服はシンプルだけど質が良いもので、気品がある。ていうか、スタイルが良い。

 身長は同じ位なのに、だいぶ細くみえる。ストレス溜まって食べてないとか?

 大丈夫なんだろうか……。

 何やらカギを取り出して、リモコンみたいなものを操作している。

 駐車場に向かう先生の後を着いていく。

 何台か並んだ中に停まっている、シルバーのスポーツセダン。エンジンがかかっているから、さっきのリモコンはエンジンスターターか。

 長谷部のテンションが明らかに上がっている。

「先生、これどこの車? 国産? 外車? 駆動方式は? トランスミッションは?」

「まあ乗れや。運転しながら教えたるから」

 免許を取るまでは後部座席って言われて、長谷部が文句を言っている。

 先生の中で決まっているルールなんだって。

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