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 彼は何を言っているのだろう。

 ついかいとう? 記憶が集まる島?

 もしかして彼は、可愛い男の子の皮を被った電波くんだったのか?


 私の表情から何かを悟った彼は、口元を弛めていたずらっぽく笑った。


「美澄さん、失礼なこと考えてるでしょ」

「えっ! そ、そんなことは……」


 ある、かも?

 図星を突かれて動揺してしまった私をケタケタと笑い、緋翠くんは話を続けた。


「この島はね、忘れられた記憶が流れ着く島なんだ。悲しい記憶。楽しい記憶。思い出したくない記憶。忘れたくない記憶。そんなたくさんの記憶がこの島に集まっているんだよ」

「記憶が……集まる……」

「まあ、信じられないよね。まるでファンタジーだ。だけど、本当のことだよ」


 信じるとか信じないとか、そういう次元の話ではない。

 記憶が流れ着く? 記憶って目に見えるものじゃないよね。それなのに彼は、記憶があたかも海を渡ってこの島に辿り着いたような言い方をしている。

 私の理解力が足りないのかな。いやいや、理解するには現実とかけ離れすぎてる。それこそファンタジー、作り話の世界だ。


「記憶が流れ着くって……その、どういうこと?」


 私は思いつく限り精一杯の質問をぶつけた。もう少し私にもわかるように説明してほしい。


「どうもなにも、そのままの意味なんだ。この島には不思議な力があるらしくて、誰かが失ってしまった記憶がこの島に集まるようになっているんだよ。原理なんてわからない。ただ、この島の理がそう出来ているんだ」

「え、哲学的な話?」

「あはは、そうかもね。哲学や思想観念に近いのかもしれない。ただ、美澄さんがこれまで経験してきた現実や常識とは逸脱した場所であることは確かだよ」


 私は頭にハテナを浮かべていた。説明されても余計にわからないことが増えていく。

 この島についても、彼がそれを淡々と話せることについても。

 この追懐島は記憶が流れ着く島で、彼はその島の案内人。

 案内人とは恐らく、私のようにこの島にたどり着いた人を導く役目を担っているんだろう。

 まさに今、彼がそうしているように。

 話の流れは私にも分かる。案内人という言葉の意味も理解出来た。

 だからといって、彼の話を受け入れられるかどうかは別の話。


 大きく息を吐いて思考をリセットしてみる。

 それでも今まで生きてきて脳裏にこびり付いた常識や概念は消えそうにない。

 だけど、そういうファンタジー作品だと思えば理解できないことも……いや、やっぱり難しい。


 やめた。理解しようとしても無理なものは無理だ。まずは彼の話を全て聞いてみよう。それから考えたっていいと思う。

 緋翠くんも同じ考えに至ったのだろう。小さく微笑んでゆっくりと口を開いた。


「話を進めようか?」

「うん、お願い」


 一呼吸置いて、彼は私が抱える疑問を紐解くように説明を始めた。


 この島は追懐島と言って、この世界の誰かが忘れてしまった記憶が辿り着く場所らしい。そしてその記憶を求めるように、記憶を失った人もまたこの島に辿り着く。

 そんな私たちは漂着者と呼ばれ、失われた記憶の断片──『欠片』を集めて失った記憶を取り戻すことで、元の生活に戻ることが出来る。


 緋翠くんの話をまとめるとこんな感じだ。

 そして、粗方の状況を理解して私は口を衝いた。


「え、そういう設定の小説の話?」

「現実だよ」

「そっかぁ」


 いや、そっかぁ、じゃないんだけどね。それはわかってるんだけどさ。

 緋翠くんの話が小説やドラマの設定だとしたらとても面白いと思う。

 記憶が集まる島を舞台に、忘れられた大事な記憶を探して回る物語。うん、見てみたい。


 だけど、これが現実だと言われても、正直なところ受け入れ難い。

 理解と許容の違いだ。内容はわかるけど、それを飲み込めるかは別の話なんだ。


「まあ、すぐに信じてって言っても難しいよね。これまでの漂着者も皆そうだったよ」


 緋翠くんは慰めるようにそう言って、眉を八の字に落とす。

 同情とは少し違う。私の気持ちを代弁するような感情が見て取れる。

 優しいなぁ。この可愛らしい顔立ちに思いやりまで兼ね備えているんだ。彼はきっとモテるに違いない。

 この閉鎖空間では相手なんて限られてしまうだろうけど。


 そういえば、どうして彼はそこまで理解していながら案内人なんて立場にいるのだろう。

 きっと彼も忘れてしまった記憶があってこの島に辿り着いたはずだ。彼はそれを取り戻したいとは思わないのかな。

 この島から出たいとか、元の生活に戻りたいとか、彼からはそういう当たり前の思考が伝わって来ない。

 そう、まるでこの島での生活を受け入れているようだった。


 緋翠くんは足を投げ出して空を見上げた。私も彼に倣って上を向いてみる。

 恐怖を煽る海の雰囲気とは打って変わって、穏やかで優しい空色がどこまでも広がっている。


「私は何を忘れちゃったのかなぁ」


 思い出そうとしても記憶が欠落した記憶なんてない。そりゃそうだ。忘れてしまっているのだから、覚えているはずもない。

 私の頭の中には、物心がついてから部屋で一人寂しく缶チューハイを呷るまでの記憶がちゃんと残っている。

 勿論、小学生や中学生の記憶なんかは曖昧だけど、高校や大学で起こった印象的な出来事はほとんど覚えている。楽しかったことも嫌だったことも全部。


 こうして過去に思いを馳せる機会なんてそう無かったけど、思い返すと私の人生は想像していたよりも空虚だったと実感する。


 ナイーブになって緋翠くんに顔を向けると、彼も私のことをじっと見ていた。

 色素の薄い瞳がキラキラと輝いて見える。本当に綺麗な顔をしている。女の私よりもずっと可愛い。少し嫉妬してしまう。


「美澄さんは、忘れたことを思い出したい?」


 緋翠くんは純粋な眼差しをそのままに疑問を呈する。

 正直、興味が無いと言えば嘘になる。私の空っぽの人生を彩ってくれる記憶なら大歓迎だ。

 その反面、思い出しても変わらないと諦めている自分も居る。大して面白い人生でもなかったのに、都合よく転機になりうる記憶が眠っているとはとても思えない。

 どちらかと言うと、後者が本命と言ったところか。

 私は時間を置いて、考える素振りを見せて答えた。


「どうだろう。嫌なことだったら思い出したくないけど、良いことだったら思い出したい」

「それは難しいね。忘れた記憶が良いものが悪いものかは、思い出してみないとわからないから」

「そうだよねぇ」


 年下の子にいとも簡単に正論で打ちのめされてしまった。何を馬鹿なことを言っているんだ、私は。

 馬鹿丸出しなことを言って勝手に凹んだ私を他所に、「でも」と緋翠くんは続ける。


「迷うくらいなら思い出した方がいいと思うよ」

「それは……どうして?」


 思い出す度に脳裏を焼く空虚な記憶。とてもつまらない窮屈な日々。楽しかったことよりも悲しみや苦しみの方が圧倒的に多かった人生。

 その中から失われた記憶だって、どうせろくなものじゃない。

 ろくでもない記憶を思い出しても辛いだけじゃないか。


 そんな私の内心を知ってか知らずか、緋翠くんはふっと笑みをこぼす。


「嫌な記憶でも良い記憶でも、それが美澄さんの歩んできた人生だから。たとえ思い出した記憶が美澄さんを傷つけるものだったとしても、それは美澄さんにとって忘れたくなかった記憶なんだよ。どんな記憶だろうと、今の美澄さんを構成する大事な要素の一つなのは間違いないと思うんだ」


 目の前の少年は優しい声色で諭すように言った。

 忘れたくなかった記憶、か。

 確か、漂着者が失った記憶はその人にとって大切な記憶なんだっけ。

 その言葉が確かなら、私が忘れた記憶も私にとっては良くも悪くも大切な思い出なのかもしれない。

 笑っていた思い出でも泣いていた過去でも、それは今の私を彩る大事な欠片なのかもしれない。

 その点に関しては確かに共感するしかない。


 まさか年端も行かない少年にこうもあっさりと納得させられるなんて思わなかった。

 幼い顔立ちに見える彼がやけに大人びて見える。私なんかよりよっぽどしっかりしている。

 ちょっと悔しいような、すっきりしたような気分だ。

 だけど、彼の放った言葉は、私の決意を固めるには充分だった。


「うん、そうだね。探してみるよ、記憶の欠片。まだ少し怖いけど、それでも何も知らないままでいるよりはいいと思う」


 私は緋翠くんに対してこの決意を口にした。自分の中で決めるより誰かに言ってしまう方が迷いが無くなる気がしたから。

 書き留めることもない窮屈で退屈な日々。その中に一つでも希望があるなら、それに縋ってみるのも悪くない。

 それに、結局のところ忘れた記憶を思い出さなければ元の生活には戻れない。

 戻ったところで何がある訳でもないけど、私からの連絡が無ければ両親や職場に迷惑をかけてしまう。

 失った記憶を取り戻すことは、元の世界に戻るための副産物だ。私の人生を明るく照らしてくれたらラッキー、そうでなくとも大した問題じゃない。

 私が意志表示をすると、緋翠くんはにこりと微笑み勢いよく立ち上がった。


「そうと決まれば早速行こう」

「え、行くってどこに?」

「勿論、美澄さんの記憶を探しに」

「そ、そんなの悪いって。この島について教えてくれただけでもありがたいのに」

「気にしないでよ。記憶の欠片探しを手伝うのも案内人の仕事だからさ」


 そう言って彼は満面の笑みを浮かべる。陽射しは屋根で遮断されているのに、屋根の下にも太陽が浮かんでいるようだ。とても眩しくて頼もしい。

 私は少し迷って、緋翠くんの優しさに甘えることにした。


「じゃあ、お願いしようかな」

「お任せあれ」

「ふふ、なにそれ」


 彼を見ていると私も自然と笑顔になる。緋翠くんにはそんな不思議な魅力が詰まっていた。


 差し出された細い手を取り、私も立ち上がった。

 この先、必ずしも良いことが待っているとは限らない。それでも彼が居てくれると思うだけで、私は前に進むことが出来る。

 澄んだ空気を吸い込み、私は自分探しの一歩目を踏み出した。

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