第4話 店長の過去と見事な更生

 店長は冷静な表情で話を続けた。

「もっとも僕の場合は、十七歳からガリ勉に変身して、昼間はバイトしながら、通信制大学を卒業したけどね。

 こう見えても苦学生なんだよ。しかし、シンナー中毒になっていたら、それもかなわなかったろうなあ。

 この詩、君のために書いてみたんだ。

 こうみえても、僕はクリスチャンなんだよ」

 店長は、手書きの便箋を差し出した。


    「幸せになっていいんですか」

 今まで感情のおもむくままに 生きてきた私

 真面目に勉強する優等生のはずだった私の人生に

 しのびこんできた 麻薬という黒い影


 人は変われる 幸せにもなれる

 だから 私たちと一緒に頑張ろう

 励まして下さった 元レディースの先輩


 今の私にはイエス様がいる

 イエス様は 人間の罪(エゴイズム)の身代わりになって

 十字架かけられ 三日目に蘇られた

 イエス様を信じるだけで 救われるという


 信じてみようかな

 なにも信じることなどなかった私に

 イエス様は来て下さいました

 イエス様と一緒なら なにも怖くない

 世間の偏見も 冷たい視線も 負けることなく

 乗り越えていける


 これからは イエス様と共に生きていこう

 ハレルヤ


 私は不思議に思った。

 信じるだけで救われる?!

 そんなうまい話があるのだろうか?

 宗教って滝に打たれたり、座禅を組んだり また多額のお布施をしたりして初めて成り立つのではないのだろうか?


 私は思わず店長に話した。

「実は私は、大の宗教嫌いなんですよ。

 宗教って人間のつくった良い教えだけど、それを実行している人なんてそういやしない。まあ、実行しようと頭では思っても実現しないでしょう。

 陰では同じ宗教の人の愚痴を言い合ったり、金をとられたり、強制的に宣伝をさせられたりするでしょう。

 それに四人一組になって、もし脱会しようものなら、あなたのお陰で周りは迷惑している。私たちはどれだけ、あなたに気を使い、心身共に捧げてきたか、今更裏切行為は許されないなどと、脅されたりする。

 ああ、もうああいう縛りはまっぴらですよ。

 まるで売掛金に苦しむ負債者みたいですよ」


 今まで誰にも話したことのない愚痴を、店長にぶつけたとき、スッキリした気分だった。

 店長は答えた。

「僕は、できる限り教会に行っているが、礼拝は強制でもない。

 抜けるとかといった問題ではなくて、神と一緒に歩んでいくんだ。

 一度洗礼を受けると、神は人間の側が離れたり、裏切ったりしても、それでも見守って下さるよ。 

 献金は、会費とかといった強制ではなく、神への感謝のあらわれなんだ」

 私は思わず答えた。

「店長の通ってらっしゃる教会というのは、この近くにある古びた教会ですか?

 地方紙に載ってたけれど、築130年で重要文化財になっているらしいですね」

 店長は、納得したように

「そうですよ。あの教会は結構、有名なんですよ。

 近くに有名神社があるのに消えることもなく、台風でもなぜか倒壊することはなかった。

 確かに古びてはいるけれど、ボロいといった感じはしないでしょう」

 私は思わず

「そうですね。なんだか威厳があって、崇高な感じさえしますね。

 ねえ、こんな私でも、礼拝に行っていいですか?」

 店長は、笑顔で

「ああ、いつでも来てください」

 私はさっそく、来週教会を訪れようと思った。

 クロスのペンダントをして、明るめの口紅を塗っていこうと予定した。


 店長は話を続けた。

「あっ、それと、この前のドラッグ容疑の件は、悪質なデマでしかなかった。

 誰かが中傷したんだろう。

 というものも、犯罪の一位はやはりドラッグだし、若者のドラッグは増加の一途をたどっている。

 僕は、キリスト信仰でなんとか阻止したいと思っているんだ」

 店長はいきなり、分厚い聖書を取り出し、しおりがはさんであったある一節を読み始めた。


「私たちは人間として生活はしているが、人間の方策や力で悪魔と戦っているのではない。

 私たちが悪魔の要塞を破壊するためには、人間の手によらない、神の強力な武器が必要である」(第2コリント10:3-4現代訳聖書)


 私は思わず答えた。

「そうですね。ドラックだけは人間の力だけでは、どうしようもありませんものね。

 一時的に辞めても、また元に戻ってしまう。

 面倒みる人も『こちらがいくら、本気で面倒みても、あいつなめとる』といった感じになり、いわゆる堪忍袋の緒が切れた状態になってしまう。

 まさに執念深い悪魔と同じですよ」

 店長は思わずうなづいた。

「人は、悪魔から逃れることはできない。でも、イエス様を信じていると不思議と守られるんだな。

 僕は、酒におぼれそうになったことがあったが、お祈りをしていると不思議とやめられることができたよ」

 私は、感心した。

「酒だけは、なかなか辞められないんじゃないですか。

 私の父も、ときどき酔っ払っては足をふらつかせて転び、階段から落ちたこともあったり、顔中、血だらけになりフランケンシュタインみたいになったこともあるんですよ」

 店長は、同感したように言った。

「僕もあと一歩進めば、そうなっていただろうなあ。まあ、そうなる前に神様は僕から飲酒というひきだしを、抜いてしまわれたんだな。

 それまでは、疲労回復のために飲んでいたが、実際は気分転換になるだけで、疲労回復にはならなかったがね」

 フーン。神様は、その人にとって要らなくなった引き出しを抜いてしまわれるんだなあ。

 店長は、少々誇らしげに言った

「今の僕には、酒は必要なくなった。

 もしこのまま飲酒を続けていれば、頭がぼけて物忘れも激しくなり、仕事もこなせなくなるだろう。

 酒を辞めたというと、大抵の人は偉いねと褒めてくれるが、このことは、僕の努力、精進、根性の賜物ではなくて、神様のみわざとしか言いようがないよ」


 私は前から、疑問に思っていたことを店長に聞いてみた。

「店長の名前は、裕紀さんとおっしゃられるんですね。

 私の知り合いに、裕貴君という男性がいるのですが、店長とまさか御親戚だったりして? あっ、偶然の一致でしかないですね」

 店長は、パッと閃いたように答えた。

「そのまさかだよ。実は君を採用したのは、裕貴君から頼まれていたからなんだよ。

 君のことは、裕貴君から写真を見せられて知っていたんだ。

 君は事情を抱えてはいるが、本当は悪い人物でもないし、バッグにワル男が控えているわけでもないということを聞かされていたんだよ」

 意外、心外、奇跡としか言いようがない。

 裕貴は、私のことを思ってくれてたんだ。

 女子少年院に入院した時点から、私は裕貴と一切の縁を断ち切ったつもりだった。

 裕貴には、間違っても私と同じ人生を歩んでほしくなかったのだった。

 まさに、地獄に一筋の光を見たような思いだった。

「私の代理として、裕貴君にお礼を言っておいて下さい」

 店長は頷きながら、伝票をもって喫茶132を後にした。


 どんなに地獄に堕ちても、そこには救いがある。

 元レディースの中里ゆりのように、自ら更生を果たし、同じ道に堕ちた相手を更生に導く人もいる。

「反省は一人でもできるが、更生は一人ではできない」

 私の場合は、見えないところで裕貴が手を貸して、更生に導いてくれてたんだ。

 裕貴に会いたい。そして頭を下げてでも、お礼を言いたい。

 でも今の私には、それは許されないことである。

 私が半年後、完全に更生して、このコンビニで働き続けることができたら、そのときは、晴れ晴れとした笑顔で裕貴と再会できる日が訪れるかもしれない。

 いや、そうなってみせる。

 このことは、裕貴の頼みを聞いて下さった店長のためでもある。

 

 


 



 

 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る