第2話 ついに覚醒剤で女子少年院送致となった

 医学部浪人のせいじの家庭は、せいじを除く兄弟、親戚ともに、一流大学の医学部というまれに見るエリート家庭だった。

 そのなかで、せいじだけがいわば例外だったのだった。

 バイトの体験もなく、社交性もなく、世間に疎いせいじは、次第に人生にネガティブになり、これからどうやって生きていったらいいのかわからないような、灰色の迷路に迷い込んでしまったようだった。

 

 せいじはいわゆるお坊ちゃん育ちで、言葉遣いは丁寧で、酒もタバコもたしなまない紳士だった。

 ときおり、食事をおごってくれたり、勉強を教えてくれたりする家庭教師もどきのような存在だった。

 裕貴が、以前所属していた芸能プロダクションの話をすると、無言で聞いてくれ、ただ淡々と

「世の中は人のエゴイズムで成り立っているで、その顕著なものが金銭だ。

 世間勉強をしたと思って、忘れた方がいいよ」

 慰めるでもなく、励ますわけでもなかったせいじを、裕貴はまるで兄のように慕うようになっていた。

 裕貴はせいじを、冷静沈着な大人だと判断していた。

 しかし、そのせいじが覚醒剤をしているとは、夢にも思わなかった。


 ある日、私と裕貴とせいじと、三人で行きつけの小さな居酒屋で、食事をした。

 お酒の飲めない私は、ウーロン茶で乾杯し、和やかなときを過ごせると思っていた。三人で乾杯をし、丼を食べたあと、私は軽いめまいを感じた。

 最初はスマホやパソコンで、目を酷使しているからだと思っていたが、徐々に目が回り、目の前の景色がグルグルと回るようになっていった。

 

 のちにウーロン茶のなかにドラッグがしのばせてあるという事実に気付いたときは、すでにとき遅しだった。

 しかしその後は、なんともいえない心地よい興奮が私の心身を包んでいた。

 その後、せいじが三人分会計を済ませたあとで、私は逮捕される羽目になってしまった。

 警察に連行され、婦人警官から下半身を調べられ、膣のなかに指を入れてまさぐられたときは、痛さと屈辱感で一杯になった。

 こんな体験は二度としたくない。誰しも思うことだろう。

 しかし、なぜかまた、覚醒剤へと戻ってしまう。

 まあ、私の場合は初犯のうちに、女子少年院に入院することになったのは、不幸中の幸いだったろう。

 裕貴とは、私の方から別れを告げた。

 もちろん、後にせいじも逮捕される羽目になった。


 私がこれから装置される女子少年院は、アニマルセラピーなどを行っている、比較的大人しい医療少年院に似ている。

 女子の九割までが、十五歳まで性体験があるという。

 それは恋人同士とかという愛から発生したものではなく、レイプや売春、また風俗産業に売られたというケースが圧倒的に多い。

 男性は、愛している女性には案外控えめで臆病だから、十五歳以下の女子がセックスまで発展することは珍しい。

 私のように、男性と深いつきあいをしたことのない女子は、極めて珍しいという。それだけ、女性はセックスに影響されるのである。

 男性にとっては、放出でしかないセックスは、受け止める女性にとってはとてつもなく重いものである。


 やはり少年院の入院理由は、第一が覚醒剤、第二が窃盗であるが、覚醒剤欲しさの窃盗というパターンも多い。

 この窃盗は、自分の欲望よりも、悪党からの指示であるケースも多い。

 一度悪党の手にかかると、なかなか魔の手から逃れられるのは困難である。

 

 悪党は、悪質ホストの如く貧困で孤独な女子を狙うという。

 なかには、執拗なヒモがつくケースもある。

 ヒモにとっては、女子を風俗で働かせた金を半分以上奪うという。

 女子がいくら引っ越ししても、ストーカーの如くどこまでも追跡するというが、なかには教会の讃美歌と聖書の御言葉によって救われたというケースもある。

 女子少年院というのは、罰則を与えるというよりは、いわゆる矯正教育を行うところである。

 彼女たちは、少年院の塀のなかで、彼女らを食い物にしようとする悪党から、ようやく保護されたというケースも多い。


 私は少年院では、昔と同様、優等生だった。

 勉強も八割方できるし、教官からも受けがよかった。

 周りからも、信頼され、長老というあだ名をつけられ、給食当番も任された。

 給食というのは、えこひいきなどせずに、当分に分けなければならない。

 また、おかずの交換など許されるはずもない。

 私は一年以内で退院の予定だったが、問題は退院後、どうやって生きるかが大きな課題だった。

 なかには、両親が離婚して、母子家庭になってしまったというケースもあるし、親戚など引き取り手のないケースもある。

 

 幸い、私は高校を卒業しているので、実家に帰り、アルバイトを探す予定だったが、少年院出身の事実が暴露したらどうしよう。

 居場所を無くしてしまうのではないかという、どうしようもない不安にかられた。

 母親は、近所の人には私のことを、祖母の田舎で生活していると語っていた。

 

 私は、となり町のコンビニでアルバイトすることになった。

 一週間たち、仕事は慣れてきたが、過去が暴露するのが怖かった。

 私のドリンクに覚醒剤を忍ばせた、医学部浪人せいじに会ったらどうしようと常にヒヤヒヤしていた。

 この頃から、私は小学校のとき、クラスメートに誘われて一年間通っていたキリスト教会から頂いた聖書とこども讃美歌を歌い出した。

 まるで思い出したかのように、十年ぶりに聖書を読んでいると、神の霊感の賜物なのか、力づけられる気がした。

 私は一人じゃない。私にはイエスキリストがついている。

 神の一人子であるイエスキリストというのは、極めて不衛生な馬のふんと尿のただよう馬小屋で、大工の息子として生を受けた。

 心身ともに治る見込みもない病気の人を救ったあげく、人からは「この人こそ、救い主であり、英雄であるユダヤ人の王かもしれない」という妙な期待をかけられた。

 しかし、イエスキリストが地上に降臨したのは、そのようなことが目的ではなく、なんと人類の罪をあがなうためであった。

 イエスが十字架に架けられたのは、紀元前から預言されていたことであった。


 イエスは十字架に架けられた後、墓のなかから三日目に蘇った。

 これが四月に訪れるイースターである。

 イエスは単なる昔の偉人などではなく、現在でも生きてらっしゃるのである。

 祈ると、イエス様は来て下さる。

 イエス様と一緒なら、どのような過去があっても、この世を生きていくことができると、すがるような気持ちだった。


 残念ながら少年院を退院した女性のなかには、再び悪質なヒモにつきまとわれたり、風俗に身を沈めたなどとの悪い噂から、反対にキリスト教の神学校に入学し、将来は女性牧師を目指しているという珍しいケースもあったという。

 私の場合も、覚醒剤とは縁が切れたが、ときおりフラッシュバックに悩まされることもある。

 今はコンビニでバイトをしているが、いつまで続くのであろうか?

 もし少年院出身ということが暴露すると、クビになるかもしれない。

 私の生きていく場所は、果たして存在するのだろうかというどうしようもない不安にかられることもあった。

 そんなときには、決まって 

「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私は災いを恐れません」(詩篇23:4)

の御言葉を唱えることにした。

 そうすると、不思議と黒雲のような不安感から解放され、神からの力強い聖霊が全身にみなぎってくるのを感じた。


 コンビニでの仕事が慣れてきた一か月後、同年代の女性ゆりえが、つくり笑いをしながら話しかけてきた。

 ゆりえは、まるで昔からの知り合いのように妙に馴れ馴れしく、私のことを聞き込んでくるのだった。

 ひょっとして、ゆりえは私の足を引っ張るのが目的で近づいたのではないかと危惧感にかられた。

 同年代同志だと、どうしても比較されてしまう恐れがある。

 私は、表面は笑顔を取り繕っていても、内心は地獄の炎に追いかけられているようだった。

 

 そんなある日、何気なしに教育番組を見ていると、自ら女子少年院出身と名乗る女性ー中里ゆりが出演していた。

 中里ゆりは元、中学のときは不登校になり、レディース(女暴走族)リーダーであり、雑誌にも掲載されるほどの、暴走族仲間では知る人も知る有名人だった。

 しかし、敵方のチームにケガを負わせた加害者でもあり、女子少年院送致となってしまった。

 一年後、退院してきたら、自分を待っている筈の暴走族仲間に戻りたい、いや戻ることができる筈だと思っていた。

 しかし、待っていた仲間からのリンチであり、除外であった。

「お前だけがチヤホヤされて、さぞ気持ちよかったろうよ。

 こちらは、お前のお陰でどれだけ苦労したかわかってるのか」

 そりゃあ、暴走族が世間に受け入れられるはずがないのは重々承知の上であるが、リンチを受けるというのは、そうとう恨まれていた証拠だろう。

「もうこの街を二度と歩くなよ。見つけたら即、リンチだからな」の捨て台詞を吐きながら、仲間たちは去っていったという。

 そのとき、中里氏はなかば絶望的な気分になった。

「ああ、私は要らない人間なんだ。

 私がこれから社会で生きていくことに、何らかの意味でもあるのだろうか」


 それから中里氏は、隣町のコンビニでバイトをしていたが、やはり同年代の人とは話が合わない。

 不登校だったので、英単語や歴史の年表の話をされてもチンプンカンプン。

 少年院出身ということが、いつ暴露するだろうという不安感から、当時付き合いだした男性に勧められるまま、覚醒剤に手を出すようになったという。

 あげくの果て、中絶し、再び少年院に入院することになった。

 退院しても、私はやり直せるだろうかという不安にかられていたが、退院間際に教官から

「彼女は大丈夫、やり直せるでしょう」と励まされ

「この人を裏切ったら、私は人間の心を失くしてしまう」と思ったという。

 中里氏は、現在は、自分の過去をすべて暴露した上で、女子少年院に講演に行っている。

 入院中の少女は食い入るように、中里氏の話に耳を傾けているが、ときおり

「幸せになっていいんですか」と尋ねられるという。

 中里氏はすかさず励ますように

「人は変われる。幸せにもなれる。幸せになるために、私たちと頑張ろう」

 この言葉に、涙を流す院生さえいたという。

 

 


 

 

 




 



 

 


 

 

 

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