第5話 夜景と一線
彼女は祖父母と暮らす家へと歩き始めた。星々がいくつか昇り始め、その一つ一つが彼女に向かっているように見える。先導して歩く彼女にやっぱり買ったネックレスは似合っているだろうな、と考えていると彼女は突然振り向いた。
「ねえ、ここにはどれぐらいいるつもり?」
「1日だけだよ。そうじゃなきゃ疑われちゃいそうだし」
「そっか、残念」
その彼女の振り向いた姿に、驚きとも似つかぬ感覚が巡ってきた。それがどんなものなのかは私にはまったく理解できなかった。そして私は何も言いだすことができず、気づけば彼女の家の前に立っていた。
「じゃ、私が透明になればいいのね」
「そうそう。お爺ちゃんお婆ちゃんにバレないようにね。私の部屋行って」
「了解」
「ただいまー!」
「お帰り詩奈」
私は彼女の陰に隠れながら家に入り、彼女の部屋で床の上静かに座っていた。さっきの感情は何なのだろう。あの体の不調がやってくる。その胸の痛みが何度も襲ってくるのだ。もしこれを「恋」と呼ぶのであれば、私は、一線を……。
「どうしたの? そんな落ち込んで」
「いや、なんでもない。あ、そうだ、お土産」
そう言って私は彼女にずんだ餅の箱を開けた。
「え、ずんだ餅じゃん。わざわざ買ってくれたの? ありがとー。でも2人で食べようよ」
私は彼女と一緒にずんだ餅を食べる。味がよく分からない。彼女と何かを一緒に味わうという、絶対前もあったはずの行為が私をさらに不思議な気分、少なくとも自分の経験では語れないようなものにさせるのだ。
「めっちゃ美味しいよ。あ、頬っぺたについてる」
彼女はティッシュで私の頬を優しく拭う。胸の鼓動はさらに早まり、いてもいられなくなってしまった。
「あのさ、無理じゃなかったら、で良いんだけど。お願い、叶えてくれる?」
「命に関わることじゃなきゃね」
「あなたと空を飛んでみたいの。良い?」
「多分できるよ。ちょっと手繋いでくれない?」
私は彼女と手を繋いだ状態で透明化してみる。困ったことにこれでは誰かが確認することはできない。
「ごめん、これじゃ誰かに確認できないわ」
私は手を離し、そこにあった辞典を借り、透明化してみた。
「辞典消えたよ。多分大丈夫じゃない?」
「オッケー? どっから行こうか?」
「窓から行ってみようよ。窓の下屋根があるからさ」
「了解」
私は透明になって、半ばホバリングの状態で彼女を待つ。よくよく考えてみれば今まで自分は服を着ていたわけで触れたものが透明になるはずなのだった。そんなことを考えていると彼女は電気を消してから窓に足を掛ける。
「じゃ、よろしくね」
私は彼女をお姫様抱っこし、窓を閉めた。
「良いの? 泥棒とかに狙われない?」
「大丈夫大丈夫。東京とかじゃないんだからさ」
私は彼女と夜のフライトに出る。電線の巣を真っ先に抜け、市街のビル群の屋上さえマッチ箱のように思えるほど高度を上げていく。
「大丈夫? 酸素とか苦しくない?」
「うん。確か高山病って2000メートルぐらいだから」
私と彼女は夜の世界を旅していく。一瞬彼女と目が合った。彼女は少しだけ恥ずかしそうに頬を赤らめてウインクをした。私はその姿にまた鼓動がもう少しで彼女のことを離してしまいそうなほどに早くなる。
数百メートルの高度から見える夜の世界は人間様が暮らすために生み出される若干黄色を纏った白い光を下地に、青・黄・赤のLEDライトが輝いていた。
「すごく綺麗ね」
「ああ」
彼女が夜景を見つめる間、私は彼女を見つめることしかできなかった。とてもじゃないが街の景色を楽しむ余裕も無かった。この感覚がもし、もし「恋」であれば、私はどうなってしまうのだろう。間違いなく折檻を受けるだろうし、場合によっては地獄に堕ちる罪なのかもしれない。それ以上に彼女に罰が来るのが怖かった。
「ねえ」
「……何?」
「私は、あなたのことが好き。どうしようもないぐらい」
ダメだ、私はそう言うべきだった。そう言わなければならない。けれどもあの時のように即答できなかった私はもう、彼女のことが好きだ、彼女に恋したのだ。
「すぐ答えなくていいよ。うん、家に戻るまで考えてよ。次いつ会えるのか分からないからさ」
「分かった」
私は彼女の家へ向かう。白、黄、赤の星々の光は以前より影響を失っているものの、それでも私と彼女を照らしていた。
幸い彼女の言った通り泥棒は侵入しておらず、彼女はベッドに座り、私を隣に座らせる。
「私のお仕事、今教えるよ。私は人間とか神様の恋を繋げるお仕事、してる」
「キューピッド?」
「そんなもん。でもさ、例えば私が誰かのこと好きになったら本来あり得ない、略奪とかが起きるわけなの。それはダメでしょ。そうなれば秩序が乱れちゃう。だからね、私たちは恋愛が禁止なんだ」
「なら仕方ないね」
彼女は思ったより簡単に引き下がった。彼女は机の引き出しからあの時彼女に渡した羽を持ってきた。羽は丁寧に包まれており、1か月経ったものだとは思えなかった。
「じゃあさ、あなたがもし人間になれたら、その時は付き合おうよ。それまでこれのこと、あなただと思うから」
「そっか。うん、そうしよう。じゃあちょっと目瞑ってて。瞑らなかったら天使の力使っちゃうよ?」
私はそう少しだけハッタリをかまして、彼女の部屋に置いてあったカバンからネックレスを手に取る。この行為が彼女を縛ってしまうことは分かっていた。このネックレスを自分だと思ってほしいと言っている、と捉えられてもおかしくない。でも、私は彼女のことが好きなのだ。好きになってしまったのだ。
「目開けて」
「え……ネックレス?」
「そ。今着けてみてくれる?」
彼女は時間を掛けながらその飾りを首に通していく。ネックレスは私の想像通りに似合っており、彼女もそれをすごく気に入ってくれた。
「えへへ……。似合う?」
「似合うよ。とても綺麗で」
「良かった。あなたの傍でずっといられるその日まで……大事にするね」
彼女はそうやって笑う。それをずっと見ていたかったが、しかし時間というのは無情にも私と彼女の間を流れていく。
「じゃあね」
「また……会えるかな」
「言っただろ? こっちの方面で、といってもここを挟むような仕事じゃなかったら厳しいけど、その時はちゃんと来るから」
「うん」
彼女は私の頬にそっとキスをする。
「さよなら」
彼女は精一杯の笑顔を私に向けて、私は窓の外へと飛び立った。
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