第2話 自分の名前

「あ、起きましたか! 心配しましたよ?」

「ここは……?」

「福島県の……町ですよ。まあ、田舎ですからご存知ないと思いますが」

「そうですか」

「家の田んぼにドスン、と落ちてきて。それで……あなたのお背中が」

「あ」

 私は気づいた。今私は明らかに人間の姿をしていない。ジャンパーで隠していた、この翼が見られてしまった、ということは……。

「それで病院にお連れしてもなんだか、とは思いまして。ケガも内出血も一通り無かったので、一旦は寝かせましょう、と」

「心遣いありがとうございます。あれ、あなたのご家族は?」

「……事故で」

「辛いことを聞いて申し訳ございません、すぐ出ていきますので……」


 そうやって私は部屋を出て行こうとした。正直ケガはないとはいえめちゃくちゃ痛い。それでもお世話になるわけにいかないため部屋を出ようとすると彼女に裾を掴まれた。

「ねえ、お兄さんって天使さんなんでしょ?」

「まあそうです」

「天使さんなら私のお父さん、お母さん、生き返らせられるの?」

「……ごめん。人の命を変えることは絶対しちゃいけないんだ。天使であっても、偉い神様であってもね」

「そっか。無理なお願いしてごめんね」

「こちらこそ。恩ばっかり貰って、何にもできなくて」

「そんなことないよ。ねえ……お願いしたいことがあるんだけどいいかな?」

「命とか以外なら」

「今この家、とても私だけじゃ片づけられなくて。それまでここにいて欲しいの」

「それだけ? 分かった」

「ありがとね。でも今日はまだ寝ててよ。湿布も付けたから」

 彼女は私を再びベッドに座らせ、微笑んでから部屋を出て行った。今のうちに仕事を遂行しなければ、ともう一度立ち上がる。一瞬フラフラしてしまったがさほど問題ではない、と一つ深呼吸する。しかし窓から出るにしても、そこから不法侵入されたら責任が持てない。どうすれば良いかとしばし思案すると、バタッとベッドに倒れこんでしまった。


 次の朝、完全に眠ったおかげかだいぶ痛みも取れた私は完全に昨晩のことを後悔していた。期限まではまだ余裕があるとはいえ、かなりのミスだ。

「おはよう。朝ごはんあるけど食べられそう?」

「うん。ありがとうございます」

「わざわざ敬語使わなくて良いんだよ。私の名前はシイナ」

「私の名前は……」

 はた、と口が止まった。今まで人間様の言うような名前で呼ばれたことは無い。基本的に識別コードのように373番、そう呼ばれているだけだ。

「無いの?」

「付ける必要が無いからね。……番号ぐらいなら」

「それは?」

「D48の373」

「なら……」

 彼女は顎に手を当てしばし考えた後、

「そうだ。み、な、みでミナミ。ミナミ君って呼ばせて」

「ミナミ……」

 そういう発想は今までなかった。天使や神様の世界で自分の個性などとっくに埋没しているし、それが当たり前の所で生きていたからだ。ミナミ、ミナミと自分の名前を反芻する。なんとなくストン、と腑に落ちる感覚がした。

「ありがとシイナ」

「こちらこそ、さ、ご飯ご飯」

 食卓につくと彼女が作ったのだろう、野菜炒めとスープ、それから炊き立てのご飯を彼女は笑顔で出してくれた。

「天使ってご飯必要なの?」

「必要だよ。こういうご飯も」


 本来天使は食事を必要としないし栄養にもならないが、折角彼女がわざわざ出してくれたのだから頂かない方がかえって失礼だと思って、そう返す。別に食べたところで消化されずに……なんて悲劇は起きない。すると彼女は私の頬に触れて、

「嘘。目が泳いでるもん」

「ご、ごめん」

 彼女の言葉に意表を突かれてしまった。天使だから、という言葉で括れるかは分からないが、仲間たちは総じて人間様より表情は豊かではない。人間様の社会で「『驚く』という感情が無い」と言えば笑われてしまうというが、私にとっては本当に久しぶりであった。

「ごめんごめん。別に怒ってないし、そこまで気にすることないって。ほら食べよ?」

 彼女の笑顔に押され、私は箸を手に取った。

「今日からお掃除?」

「本当にごめん。実は……」

 私は詳細な仕事内容こそ伏せたが、天使としての仕事を遂行しなければならないこと、移動計2時間、仕事の遂行に1時間ほどかかる旨を彼女に伝えた。

「そっか。じゃあ行ってくるしかないね」

「良いの? いや、そっちの方がありがたいけど」

「じゃー、あ、そうだ。私の名前、シイナって言ったじゃん。漢字表記当ててみてよ。チャンスは3回」

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