天使の赤い糸

かけふら

第1話 バードストライク

 私はカバンから薄手のジャンパーを取り出した。後ろに付いている翼を隠すために。

 私は人間様や神様の恋と恋を繋ぐ仕事をしている。人間様の言語であれば「キューピッド」なり「エロース」で表されるような存在だと思ってくれて構わない。

 ただ人間様が絵で表すような例えば……裸の少年で、弓矢を持っている、という姿はしていない。今時、裸で歩き回るなんてとんでもない話だし、弓矢を出すだけで大騒ぎだ。恐らくそのイメージと適合するのは翼を持っていることだけだ。普通に女性もいる。


 その日の仕事も今までと同じような内容だった。まず、強く恋焦がれている人――今回は高校生の女子だったのだが、その人から延びる赤い糸を掴む。そしてその相手――今回は同級生の男子の糸も掴み、そしてそれを結ぶのだ。そうすれば二人の恋は結ばれる。一応本部側でその恋を成就しても構わないのか、そういった適正調査をしているが、こちらからすれば「エラー」にあたる状況は100組に一組は起きるものだ。だから私たち「下」はマニュアルに沿って、互いに問題が無さそうかチェックし、その可能性をできるだけ排除している。ただ問題は「下」の天使に恋愛感情が分からないことだ。だからマニュアルでしか人を判断できない。


 神様だって恋愛をする。ギリシャ神話を理解しようとすれば神様の系図で倒れそうになるし、日本神話もかなり知恵熱を出しそうな勢いで複雑だ。そんな恋が必要かどうかは分からない。ただ人間様も神様も恋の力でネガティブにもポジティブの方向にも動くことができるようだ。

 私たちはどうだろうか。私達は天命を持って最高神から創造されたものだ。その天命が誰かと誰かの恋を繋げるものだ。一応神様同士の恋も担当している。そのため縛り、というか禁止事項が設けられている。恋愛をしてはいけないのだ。それをすることで本来結ばれるはずのない恋が私情で変化するかもしれない。それで発生する「エラー」を削減するため、私たちは恋愛が禁止されているのだ。

「お疲れ、373番」

「ああリーシェルさん。どうもありがとうございます。奥さんとはどうですか?」

「順調だよ。君に繋いでもらったからね」

 リーシェル、という神様は森を管理する神様だ。彼は神様の方では優しい方であり、すれ違った時には声を掛けてくれる。数年前、いや数十年前だろうか、あまり年数は意味を成さないから詳しく覚えてないが、彼の恋の成就に取り組み、つつがなく仕事を終えた。

「君に言うのは筋違いだと思うが……、君みたいな天使は辛いと思うよ。だって恋愛ができないんだから」

「そうですか」

「恋を知ってから世界が素晴らしく見えたんだ。だから、それができない、というものはね。最高神様に今から報告に行くんだけど進言してみようかな」

「しなくて構いませんよ。別に恋をする必要もありませんから」

 私はその手の話を何度か聞いたことがある。曰く神様や天使の中で話題になる精神衛生的にブラックな仕事ランキングの中で私たちはトップ3に入っている、ということだ。どこまで皆恋愛に浮かれているのか、と首を傾げたくなる。


 その日の仕事はかなり面倒なものであった。両片想いでしかも遠距離恋愛、だという関係性だ。私はジャンパーを脱いで、空を駆ける。どのような仕組みかは分からないが、地上にいた時間分、より正確に書けば地上時間の2倍、誰にも視認されない状態でフライトできるのだ。その理屈を聞かれても、全て最高神様の思し召しだから被造物の私には理解のしようがない。最高神様の名前を名前で呼ぶのは不敬極まりないし、そもそも正しい発音さえ分からないのだが。


 空をある程度気ままに、それでも行き先まで正しく飛んでいる私のはるか頭上で旅客機が抜けて行った。今や人間様の技術は神様の世界よりも異常な速度で発達している。神様は性質上基本的に不便だ、と思うことがほとんどない。だから何かを便利にしようとは思わないし、言い方は悪いが――そこまで気も短くない。もちろん鍛冶とか機械の神様もいるが、だからといって人間様の進歩には敵うことは無いだろう。

 神様たちからして人間というものはさほど邪魔な存在、というわけではない。恐竜の時代には大量に酸素を吸っていたわけだし、それ以上に人間様の時代が未来永劫と続くわけではないのだから。

 ガン! 鈍った音は遅れてやってきて、景色が一変するまで何が起きているのか理解できなかった。態勢を整えようとしたその次、さらに6、7の音がやってきた。私は完全に態勢を失い真っ逆さまに地上へ落ちていく。何が起きたのか、目を凝らしながら考える。一緒に数個の物体……いや、数羽だった。バードストライクだ。あの時、私は旅客機の影響を最大限避けるため低空飛行をしていた。まさかそれで? だとしてもおかしくないか、と思案するも今はそれどころではなかった。天使であれ人間様より頑丈ではあるが普通に死ぬ。この世で死なないのは最高神様だけで、他の神様だってべらぼうに寿命が長いだけの話だ。せめて最悪を避けるため私は最も速度が緩まるようなポーズで、やがて。


「はあ、はあ……」

 気づけば私はどこかのベッドに眠っていた。起き上がると、そこには一人の少女が立っていた。

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