第2話 bar ひゞき

年季の入った木造りのドアを開け、バーの中に入った。


店内は真っ暗で、まだ店支度を始めていない様だった。


「あ、ごめんごめん今つけるね」


一言言い、彼女は暗闇の中店の奥に入る。すると、程なくして店の明かりが灯された。


「わぁ。これは…」


思わず感嘆の声を漏らした。


ドアの年季をそのままに、ヴィンテージな雰囲気が目の前に広がる。


店全体はオレンジ色のライトで淡く照らされていて、まるで夕日の木漏れ日の下にいる様だった。


欅で作られたであろう一枚板のカウンターが、店の端から端まで一直線に伸びていた。奥にはテーブル席もあり、合計で10人弱はお店に入れそうな感じだった。


店の厨房、つまりはカウンターの向かいには、人の背丈ほどの高さがある酒棚があり、そこには多種多様なボトルがひしめき合っていた。


そして、その酒棚の前にして彼女は俺に向かってニヤニヤと笑っていた。


「えへへ、ザ・圧巻!って感じだね」

「えぇ。そりゃバーなんて入ったのは始めてですから…」

「ま、高校生だしね。あとさ、私に敬語なんていらないよ」

「…?いやだって、お姉さん俺より年上じゃないですか」

「そうだけど…なんか、君があんまり年下に見えないのさ」


今までそんなこと言われたことはなかったので、意外だった。まぁ恐らく、さっき苦悩して散々泣いたから、また目尻に皺が残って、それが大人っぽく見えたのだろう。


しかし、かと言って彼女にタメ口をきくのも忍びない。


「いえ、ここは礼儀として敬語で行かせて下さい」

「ふぅん、まぁそれでもいいけど。あ、ささ座って。ほら」


彼女はカウンターの席を手で指し示した。


少し高さがある椅子だった。座ると足が浮いた。


俺より少し高い目線にいる彼女は、まるでバーに同化している様に見えた。照明のライトの色が、彼女の髪と目と同じ色だったからだろう。


このバーは、恐らく彼女自身でもあるのだ。


「さ、呑も呑も。何呑みたい?好きな酒とかあったら言ってよ」

「へ?」


俺は呆気に取られた。


「ん?何でそんな驚くの。バーに来たら酒でしょ」

「いやいや、僕未成年ですよ?てっきりノンアルとか普通のジュースを飲ませてくれるのかと…」

「はっ!な訳ないじゃん!世の中舐めんな!」

「えぇ……」


しかし、飲みたい酒はあるかと言われても、何も分からない。そもそも酒の種類なんてビールとワインとウィスキーぐらいしか知らない。厳密な酒の名前など、尚更知らない。


いや、知っている。一つだけ。


「あ、ストゼロ!」


「ねぇよ」


バッサリと切り捨てられた。


「ま、わかってたけどねー。逆にこれでガチの酒名出されてたら困ってたよ」

「不良少年の酒イキリは僕の通った道ではないですから…」

「それはそれで健全」


彼女は収納からグラスを取り出し、カウンターの上に置いた。そしてパチンと両手を叩いて、


「ってな訳で、完全私のお好みで行きたいと思いまーす」

「やったー」

「あ、アレルギーとかある?」

「特には」

「なら大丈夫だ」


そうと決まれば、彼女はせっせと準備を進めた。


まずシェイカーを取り出し、そこに透き通った氷を入れる。そして、酒棚からいくつかのボトルを取り出し、それを金属でできた測り(後に分かるのだが、これはジガーと言うらしい)で測って、これもシェイカーに注いだ。


そしてシェイカーに蓋をして、リズミカルにシェークする。思っていたほど音は派手ではなく、しかし洗練された動きだった。


ここに来て、流石の俺も彼女がカクテルを作ろうとしていることを理解した。


ひとしきりシェークが終わると、またしても彼女はニヤついて、シェイカーの蓋を開けた。「死なないでね〜」の一言を付け加えて。


え?死なないでね?どういう意味なんだ。


俺はゴクリと唾を飲み込む。


彼女はグラスにシェイカーの中身を注ぐ。色は鮮やかな薄いピンク色で、少し濁っていた。


「はい、『ベルモント』で〜す」


『ベルモント』というのがどうやらこのお酒の名前のようだ。


「ぱっと見ただのジュースの様ですが…」


俺は率直な感想を述べた。


「まーまー、呑んだらわかるって」

「そうですか…」


俺はありありとグラスを見つめ、「頂きます」と言い、その液体を一気に呑んだ。


が、俺は酒の呑み方を知らなかった。


「ガハッ!」


嚥下したコンマ数秒後、喉に強烈な痛みを感じた。まるで、火傷したかの様に。


「あは!あはははは!」


俺の反応を見るや否や、彼女は涙目になりながら大笑いした。


「うっ…うううん……」


喉の痛みは治らない。もしかして、彼女毒を盛ったのか?


「えは、あはははは!ひぃ、ふふふ。あぁごめんごめん、今お水出すね」


彼女は笑いをこぼしながら、コップに水を入れて俺に渡した。俺はすぐさまそれを受け取り、胃に流し込んだ。


カン、とコップをカウンターに置き、一言。「貴様…毒を持ったな!」


「毒ぅ!?あははは、まぁあの呑み方したらそう思うのも無理はないよね」

「え、飲み方ぁ…?」

「カクテルってね、ジュースみたいにゴクゴク飲まないんだよ。ましてやこういう度数が高いやつだとね」

「し、知りませんよそんなこと……」

「えへへへ、ま、わざと度数を高いやつ選んだんだけどね」

「なんてことを…」


俺はこの時、一気にお酒に対して(彼女に対してかも)不信感を募らせた。


しかし、後になって理解してくる。さっき呑んだお酒の、魅力というものを。


アルコールの苦さは勿論あるが、柔らかなフルーツの甘さにヨーグルトのような優しい舌触りがある。決して、そこら辺に売っているジュースにはあり得ない複雑怪奇で奥ゆかしい風味だった。


「…だんだん理解してきた様だね。お酒の美味しさってやつが」

「……面白い……」


『面白い』、というのが俺の出しうる最大の表現だった。面白い。お酒の深みのある感じが、面白い。


まぁ、ちょっと苦いけど。


「ふふふ、いいね。その感想。面白い、かぁ。そうだよ、お酒は面白いんだ」


彼女はさっきのニヤつきとはまた違う、哀愁漂う微笑みを浮かべていた。ガラスのボトルを眺めながら、目は遠い空を見ている様だった。


俺は彼女のかおを見て、もっとお酒が呑みたくなった。


「…もっと呑みたいです」


自分でも意外だが、俺は彼女にねだった。


「いいよ。とことん呑ませてあげるよ」


艶なヨイの幕が、今上がろうとしていた。





以下作者からの注意喚起





❌未成年へ飲酒させる様な真似は絶対にやってはいけません。ましてや、アルコール度数の高いお酒は、心身の発達が完全ではない未成年には悪影響を及ぼす可能性があります。絶対にやめましょう。



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