第23話 あるいは、あり得た物語

 この世界で人類が居住する惑星も、やはり地球と呼ばれる。

 もちろん、正一の地球とは異なるものだ。

 この惑星を滅ぼしたのは、小さな原子の灯だった。

 しかし、いつしか全宇宙規模の広がりを見せつつあった。

 その惑星は太陽の周りを巡る岩石でできた惑星であった。

 岩石も海水も、全ては元素で形作られている。

 すなわち、原子核の周りを電子が回っている構造は全ての物質で共通だ。

 太陽の核融合は、水素がヘリウムに変換されている。

 岩石や海水を構成する物質も、核種変換が理論上は起こりうる。

 エウファミアの放った光球のエネルギーによって、地球を構成する物質が核分裂を起こし、その高熱によって今度は核融合が始まった。

 地球は恒星に変化した。

 質量が消滅し、軌道の安定を失った地球は、いつしか全ての惑星を飲み込んで燃やし尽くした。

 太陽は連星になったのだ。

 やがて、重力干渉によって銀河を巡る軌道から太陽が逸れ、近隣の恒星系の軌道にも影響を与えた。

 衝突と融合を繰り返し、かつて太陽だった星は果てしなく質量を増していく。

 やがてその質量に自身が耐えきれなくなり、内へ内へと果てしなく密度を高めていき、光さえも脱出不可能な時空の穴となった。

 ブラックホールの誕生である。

 新たなブラックホールは、さらに周囲の星を飲み込みながら加速度的に質量を増大し、やがて銀河核にあったブラックホールと重力干渉を起こした。

 結果、崩壊は加速し、やがて銀河系そのものが崩壊した。

 かつて銀河系だったブラックホールは周辺の銀河団を飲み込みながら暴走を続け、やがて全ての銀河を飲み込むと、宇宙のすべては事象の地平線の向こうへと落ちていった。

 そこでは時間は流れない。

 したがって何も起こらない。

 未来永劫、永遠の停滞があるだけである。

 しかし、その死んだ宇宙も、無数に存在する超次元の泡の一つに過ぎなかった。

 やがて泡は弾けて消えた。

 しかし、泡が一つ消えただけでは全体に何ら影響は無い。

 人間の細胞が一つ壊れたところで、気づきもしないのと同じだ。


 *


 近くにある別の宇宙のとある惑星では、こんな光景が繰り広げられていた。


「ちょっと、真面目にやってよ!」


「ごめんごめん」


 プンプンと頬を膨らませる香奈に、正一と透は向き直った。

 放課後の図書室は、雨が降っているということもあって、ひどく冷え込んだ。

 苦ではないが、資料整理が終わらない事には、いつまでも帰れない。

 すっかり日が暮れた頃、図書室の扉が開いた。

 若く美しい女教師が顔を出す。

 中学生の正一は密かに彼女に憧れていた。


「本当にごめんなさい! すっかり忘れてたわ。さあ、鍵を閉めるから早く下校して」


 中学校の校門を出て、自転車で走り去る透に手を振る。

 正一と香奈は、何を話すでもなく肩を並べて歩き出した。

 ただ、何となく。

 幼なじみで、家も近所だ。

 だから、わざわざ別に帰る必要も無い。

 それだけの理由だった。


「ねえ、正一」


「うん?」


 雨は上がっていたが、かなり冷え込んでいた。

 香奈はマフラーを鼻まで上げており、表情はよく見えない。


「彼女とか、いる?」


「いや、いないけど」


「そう。じつはね。私……透に告白されたんだ。付き合ってくれって」


「……そうか。どうするんだ?」


「うん。……迷ってる。いい人だし、ちょっと良いな、とは思ってるんだけど」


 何も言わないまま、一〇秒ほど二人は歩き続けた。

 時計が刻むのは一〇秒でも、正一にとっては永遠とも思える時間だった。

 意を決して口を開く。


「香奈。ぼくは――」


「ごめん。私、ちょっと寄るところがあったんだ。じゃ、また明日学校でね」


 香奈は正一に手を振ると、角を曲がって小走りに友人たちのところへ向かっていく。

 いつも香奈とつるんでいる女の子たちで、正一と話すことはあまりない。

 香奈は友達と楽しそうに話しながら、商店街の方向へと去って行った。


「……」


 胸に、微かな痛みを感じる。

 しかし、正一にはその痛みの正体がわからなかった。

 家に帰ると、カレーの匂いがする。


「ただいま」


 台所では母が鍋をかき回していた。


「あら、おかえり正一。もうすぐできるから、手を洗ってらっしゃい」


「うん」


 正一は手を洗うとテーブルに掛けた。

 付けっぱなしのテレビでは、流行りのアイドルが都会のレストランで食レポをしていた。

 正一には縁の無い話だ。


「ただいま~。ふぃ~つかれたつかれた」


 父は上着を椅子の背に掛けると、冷蔵庫からビールを取り出した。


「……どうした? 正一。父さんの顔に、何か付いてるか?」


「泡。間が抜けてるよ」


「ハハハ、いずれお前にもわかる日が……う~ん、来ないかなあ」


 そうこうしているうちに、母が鍋を鍋敷きに乗せた。


「さ、できたわよ。おかわりはたっぷりあるから、どんどん食べなさい」


「やったね! 母さんのカレー、ぼくは世界で一番好きなんだ」


「あら、褒めても何も出ないわ、オホホ……」


 カレー皿に山盛りのライスと、たっぷりのルウを乗せ、フクシン漬けを乗せる。


「いただきま~す!」


 世界一のカレーを一口、また一口と口に運ぶ。

 カレー粉は市販のものだが、母には独自の隠し味がある。

 以前聞いたことがあるが、それは内緒だと教えてくれないのだ。

 食事を終えて風呂に入り、上がると安売りのスーパーでまとめ買いしたアイスを食べる。

 母は父と一緒にビールを飲みながら、ママ友とのたわいのない話を身振りを交えて大げさに話し、父はそれを聞いて腹を抱えて笑っている。


「明日もあるんでしょ。早く寝なさい」


「うん。おやすみ」


「お腹冷やさないようにね、暖かくして寝なさいよ!」


「わかってるわかってる」


 正一はリビングを出て自室に戻った。

 見慣れた部屋は、何の変哲も無い六畳間だ。

 日曜大工が趣味の父が作った学習机の上には、作りかけのプラモが置きっぱなしだ。

 大ヒットアニメに登場する主役のロボットで、接着剤無しで組み立てられる。

 本棚には教科書と図鑑、それに新刊が出るたびに買い集めている漫画本。

 部屋の片隅には、奇怪なギターが埃を被っている。

 ラジカセで流行のJ―POPを聴きながら、明日の支度をした。


「ふあ~あ……」


 今日は少し疲れたので、早めにベッドに入る。


「少し冷えるかな?」


 編み物が好きな母が作ったカーディガンを布団の上に載せる。

 気恥ずかしくて外では着られないが、暖かくて寝るときによく使っているのだ。

 アラームをセットし、延長した紐を引っ張って明かりを消す。

 庭で鳴く虫の声を聞きながら、正一は目を閉じた。

 明日も学校だ。


「……うん、暖かいな」


 翌日から、香奈と透は付き合い始めた。

 美男美女の、どこから見ても完璧なカップルと評判だった。

 幸せそうな香奈。

 笑顔の香奈。

 透はいいやつだ。

 とても頼りになる。

 肩を並べて帰る二人を、正一は見送る。

 年が変わると、受験一色だ。

 香奈と透は、県内トップの進学校を目指して、いつも一緒に勉強している。

 正一の希望は中堅の高校で、学力的にも通学距離も無難なところだが、油断は禁物だ。

 案の定受験前日に熱が出たが、当日には奇跡的に回復し、試験をこなすことができた。

 そして、春。

 新たな生活への期待に胸を膨らませ、家を出る。


「うおっ」


 曲がり角でバイクに引っかけられそうになり、正一は尻もちを付いた。

 バイクはとっくに絶滅したかと思われた暴走族仕様で、竹槍のようなマフラーと段付きシート、極端なアップハンドルが付けられている。

 運転手は二メートル近い筋肉質の大男だった。


「おい、気をつけろ!」


 運転手の頭を後ろの少女が叩いた。


「ちょっとお兄ちゃん、きをつけろじゃないでしょ! 事故じゃん!」


 後部席の少女が飛び降り、正一に駆け寄った。

 髪を二つに縛った小柄で痩せ型の少女で、正一がこれから通う学校の制服を着ていた。

 バッジを見ると、正一と同じ学年だ。


「ごめん、だいじょうぶ?」


「ああ、大したことないよ」


 正一は、その少女に初めて会った気がしなかった。

 だが、どこで会ったのかは全く思い出せない。


「あたし遅刻しそうだったから、お兄ちゃんにおくってもらうつもりだったの。そうだ、おわびにおくらせるよ」


「は? でもバイクは二人乗り――」


「早く乗れや。妹が遅刻しちまうだろ」


 筋肉質の大男は正一の襟首を掴むと、強引にバイクの後ろに乗せた。

 正一と男に挟まるようにして少女も乗り込む。

 恐怖の三人乗りである。

 こんなところを警察に見つかったらとんでもないことになるのだが、幸いにして何事もなく学校に着いた。


「じゃあな、マリアナ。何かあったらすぐオレに言うんだぞ」


「奥太郎お兄ちゃんが来たら、おおさわぎになっちゃうよ!」


 大男は少女の頭を撫でると、ウィリーしながら走り去った。

 正一と少女がその場に残される。


「あたし、折茂おりもマリアナ。これからよろしくね」


「ぼくは佐藤正一。よろしく」


 開幕からトラブルはあったが、どうにか平凡な高校生活が幕を開けた。

 マリアナは別のクラスだったが、廊下などでたまに話すこともある。

 人懐っこい性格で、友達も多いようだ。

 正一は友達を作るのが苦手だったが、マリアナを介して多くの知り合いができた。

 それなりに充実した高校生活と言えなくもない。

 香奈とは家が近所なので、時折立ち話をすることもあった。

 透との仲は順調のようだ。

 寂しくはある。

 今更正一は気付いた。

 きっと、正一はずっと香奈のことを好きだったのだ。

 しかし、香奈の幸せそうな笑顔を見るたびに、これでよかったのだという気持ちになりつつあった。

 このまま何事もなく、平穏な日々が過ぎていく。

 そう正一が思っていた矢先のことだ。


「転校生を紹介しよう。留学生だ」


 教師が一人の少女を教室に招き入れる。

 銀色の髪に、赤い瞳のエキゾチックな美少女だった。

 教室がざわつく以上に正一の胸もざわついていた。


「――――――です。まだ日本に来て日が浅いので慣れてないです。よろしくです」


 留学生は教師の指示で空席だった正一の隣に腰掛けた。


「よろしくおねがいします。正一さん」


「あれ、前に会ったっけ」


 もし以前に会ったことがあるのであれば、こんな美少女を忘れるはずがない。


「そうですね……ボク、どうしてキミの名前を知ってるんだろう。きっと、夢で見たのです」


 彼女はにっこりと笑い、その笑顔は正一の心をしっかりとわしづかみにした。

 こうして彼女やマリアナを巻き込んでの、楽しい日々が始まったのだ。

 時に笑い、時に泣き、日々は続いていった。

 そしてまた、長い時が流れた。

 正一のもとに、一通のハガキが届いた。

 香奈だ。今は透と結婚し、秋原香奈となっている。

 ハガキは裏面が写真になっていて、生まれたばかりの娘が写っていた。

 娘は、玲奈と名付けられた。


「玲奈か。いい名前だ」


「この子とも、きっと友達になれるのです」


 正一の妻となった彼女は、大きく膨らんだお腹を優しく撫でた。


「そうだね。この子にとっても、ぼくたちにとっても、人生はまだまだこれからだ」


 その間に社会は激動した。

 好景気もあれば不景気もあり、時に戦乱が起こり、疫病が流行し、大きな災害も何度もあった。

 それでも正一は家族を守るために働き続けた。

 子は成人し、やがて孫を連れてきた。

 正一も妻も、気付けばすっかり老人になっていた。

 やがて年老いた正一は、家族に囲まれながら安らかに人生を終えた。

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