第20話 別れの時
「アニキ! 待ってたぜ、オレの領地によく来てくれたな!」
アロハシャツに似た花柄の服に半ズボンという、浮かれきったオクタビオこそが当地の領主である。
領主の館は海岸のすぐ近くに建っている。
白い砂がまぶしい砂浜まで、徒歩三分といったところだ。
プライベートビーチである。
マリアナが興奮した様子で正一の腕を引っ張った。
「ねえねえ! これ、泳いでもいいの? ねえ!」
「さあ。オクタビオさん、どうですか?」
オクタビオは力こぶを見せつけた。
「サメならオレが退治したぜ。今年だけで八人も殺した化け物だったが、オレの手にかかればなんてことはねえ。アニキにも見せたかったぜ、オレのパワーアップした魔法をよ」
「マリアナ、泳ぐのは諦めましょう」
可哀想なほどに落ち込むマリアナを背に、正一はトランクを屋敷に運び込んだ。
屋敷というのは白壁に橙色の屋根瓦が並んでおり、南仏のリゾート地を思わせる。
住人はオクタビオだけだが、使用人たちは数十人いるようだ。
「空き部屋はいくらでもあるから、好きなところを使ってくれ。で、メシだが……これでどうよ!」
敷地内にはいくつか物置があり、オクタビオはその一つを開けた。
中には半分に切ったドラム缶に脚を生やしたような物体がある。
バーベキューグリルだ。
しかし、レイナは小首をかしげていた。
「オクタロウ……だったかしら?」
「オクタビオだって言ってんだろ、オレは領主で人食いザメを退治した村の英雄だぞ」
「あっそ。これはいったい何なの?」
「おいおいネエちゃん、冗談もそこそこにしておけよ。バーベキューの台じゃなきゃ何だってんだ。さ、手下どもに肉を用意させるから、オレとアニキは支度だぜ! こういうのはやっぱ自分でやらなくちゃよ! サメのカマボコもあるぜ!」
女子三人は着替えをすると言って屋敷に入っていった。
正一とオクタビオはリヤカーに焼き台と木炭、日よけテントなどを積み込み、海岸に向かう。
森の中の曲がりくねった道を抜けると、視界が開けた。
雲一つ無い空から降り注ぐ日差しが、海面に細かく反射している。
「ほほう、これはこれは」
「良い場所だろ? オレも気に入ってるんだ。だから海を荒らすサメを許せなかった。三日三晩ボートに乗って待ち続け、四日目の朝ついに――」
テントは運動会などでよく見る壁のない単純なもので、屋根は帆布にゴム引きだ。
使用人を使わず自分たちで組み立てる。
自分でやることが大切なのだ。
「そっちを押さえてください」
「おう、さすがアニキだ。持ち主のオレより詳しいじゃねえか!」
「技師ですから」
折りたたみ椅子と組み立て式のテーブルを並べ、焼き台を囲むように設置する。
ビーチチェアとパラソルもついでに設置してみる。
焼き台に炭を乗せようとする頃、キャッキャと賑やかな声が聞こえてきた。
「ほほう、これはこれは」
「マネしないでください」
「アニキだって本当は嬉しいんだろ? 正直に言えよ」
「ご冗談を。みんなまだ子供です」
オクタビオはなれなれしく、正一の肩に肘を置いた。
「ほほう? みんな結婚できる年齢だがな、この国じゃあよ」
「貴族が政略結婚に利用するためです」
「まあ、ぶっちゃけそれはある。だがレイナなんて、このオレですらヨダレが出そうなボンキュッボンだ。エウフもいいカラダしてやがる。初めて見るが、着痩せするタイプだったとはな。ああいうのをトランジスタ・グラマーっつうのか? マリアナは……将来に期待だな。だが、その手のマニアには受けるぜ」
「静かに。聞こえますよ」
三人は色とりどりの水着姿であった。
レイナは赤のビキニにサングラス姿で、母親譲りの大人びたスタイルを惜しげも無く披露していた。
形のよい胸はかなり大きく、それでいて脚が長い。
思わず視線が行ってしまい、目が合うとレイナは微かに笑ったように見えた。
全てが平坦なマリアナは、黄色のフリル付きワンピースだ。
サメが出るかもしれないと聞きつつも雰囲気作りのためか、浮き輪を抱えている。
エウファミアは正一が買った水着を着ていた。
「センスいいなアニキ。エウフの水着が貴族どもの間で一番流行ってるんだ。なにせ、ここはリゾート地だからな」
エウファミアは正一の前に立つと、頬を染めて俯いた。
「ご主人さま……。素敵な水着、ありがとうございます。大切にするのです」
エウファミアが着ているのは紺色のワンピースタイプだ。
一言で言えば、旧型スクール水着である。
「ちょっとマニアックかなと思いましたが」
「なぜですか? レイナもマリアナも褒めてくれます。ボクも気に入っているのです」
エウファミアはにっこりと微笑んだ。
「よし女どもがそろったところで、オレ様がカッコよく火を付けるぜ!」
オクタビオは腰を落とし、両手を炭に向けた。
「サメを瞬殺したオレの技を見よ! はああああああっ……!」
額には青筋が浮き、魔力の高まりがひしひしと感じられた。
「やめてください。台が吹き飛びます。それに、魔法を使うのは味気ないと思いませんか?」
「でもアニキ。それじゃどうやって燃やすんだよ」
「枯れ草と松ぼっくりを混ぜ込みましょう。あれば、古新聞も」
松ぼっくりは脂分が多い上に気泡も多く、燃えやすい。
枯れ草は言わずもがなだ。
「ご主人さま」
呼ばれてエウファミアに目をやると、ポーチからマッチ箱を取り出した。
「これは……」
「酒場のおじさんが言ってたこと、ずっと考えてたんです。マッチ工場の日々はつらいものでしたけど、おかげでボクはご主人さまと出会えました。だから、ボクには必要なことだったんです」
「エウファミア様……」
「それに、マッチに罪はないです」
「わかりました。では、エウファミア様が火を付けてください」
エウファミアはマッチを数本すり、枯れ草に火を付けた。
最初は煙が多かったが、団扇で扇ぐと徐々に火が燃え広がっていった。
メイドたちが持ってきた肉をマリアナが切り、レイナはおぼつかない手つきで串に刺していた。
「野菜が見当たりませんが」
オクタビオは両手を挙げて肩をすくめ、さも呆れたという素振りを強調した。
「オレはバーバキューに野菜を入れろ、なんてスカしたヤツが許せねえんだ。どうせアレだろ? 健康がどうこうとか、結局『やってる感』だろ?」
「私も一〇代の頃はそう思っていました。ですが、オクタビオさんにもいずれわかる日が来ますよ」
「ハン! そんなずっと先のハナシされたって、その頃には忘れてらあ!」
「すぐですよ。あっという間です」
「ケッ。ま、アニキがそう言うなら用意させるぜ。だが勘違いしないでくれ。アニキが言うから仕方なくだからな! オレは野菜なんて、どうだっていいんだからな!」
ウシカモシカやカバブタなどの肉を、香辛料やソースで味付けし、焼く。
おそらく、ヒトという種族が誕生したその瞬間からある料理だ。
一〇〇万年の昔から変わらない。
そして、その頃には人類も魔族も無かったはずなのだ。
一行は山のような肉とサメかまぼこをたらふく食べた。
日が暮れると、マリアナが自慢のギターの腕を披露する。まだまだだ。
満腹になると、エウファミアがハーブティーを入れてくれた。
月が高く昇ると、誰ともなくあくびが出始める。
明日からの仕事に備え、早めに寝ることを提案すると、皆がそれに従った。
*
「さて……」
誰も居なくなった浜辺で、正一は一人星空を見上げていた。
波の音を聞きながらの星空は、牢を脱走した夜を思い出す。
あれから、すでに三年の時が流れていた。
未来を切り開いてくれた梁屋和尚の鍵は、今でも胸に下げられている。
大切なお守りだった。
封筒を取り出し、また中身を確認する。
差出人は透だった。
内容は正一を呼び出すものだ。
忙しい国王が、わざわざ時間を割いてくれた事がありがたくもあり、また何ともいいがたい感情を呼び起こすのだ。
「アニキ。頼まれてたモノ、用意できてるぜ」
「ありがとうございます」
正一はオクタビオからもう一つの鍵を受け取ろうとした。
しかし、オクタビオはキーホルダーを握って離さない。
「なあアニキ。本当に……本当に行っちまうのか」
「ええ」
「やめちまえ。復讐なんてよ」
「復讐、ですか」
正一は空を見上げた。
星はまるで、ビロウドに細かいダイヤモンドをばらまいたかのよぅであった。
「――そんなもの、今更どうだっていいのです。いや、最初からどうでもよかったのです。今にして思えば、軍法会議で透が証言したことは、全てそれなりに妥当性があります」
「それでもよ、二〇年だぜ。一六から三六、人生の一番楽しい時じゃねえか。さっきはやめろって言ったけど、オレなら復讐するね。それが人間ってもんだ」
「そうですね。確かにそうです。ですが、私は陽の光も差さない牢獄の中にあって、幸福を見いだした人を知っている」
「それなら行かなくたっていいだろ。行ってどうなるもんでもねえ」
「それでも私は透に会わなければなりません」
「なんでだよ!」
オクタビオの顔は、今までに見たこともないほどに真剣だった。
「けじめ、ですかね」
「けじめだと? やけに個人的な話じゃねえか。エウフのためとか言うと思ったが」
「それだと、エウファミア様を利用しているような気がしますからね。結局、人間は個人的な理由でしか動かないものですよ。人が大義名分を掲げて動く時、その中心には必ず利己心があるものです」
「ああ、なるほど。でもよ、結局は戦うんだろ」
「そうですね。おそらくは。たぶん」
不意に、オクタビオの巨大な拳が迫ってくる。
闘気によって周囲の空気が歪み、拳圧だけで吹き飛ばされそうなほどだ。
しかし、正一は指一本でそれを止めた。
「さすがアニキだ。……けっこう本気だったんだがな」
「初めて会ったとき、言ったはずですよ」
「遅い。……ってな。あん時はたまげたもんだぜ」
正一とオクタビオは笑い合った。
やがて肩を並べ、腰を下ろした。
「私が負ければ世界そのものが危ない。確かにそれはあります。でも、今日明日どうこうというわけじゃない。あなたや、あの子たちが生きている間は、何事も無いかも知れません」
「そうか。……そうだよな」
オクタビオは転がっていた小石を海に投げた。
二度、三度と跳ねて沈む。
「なあアニキ。あの三人……みんなアニキのこと好きみたいだぜ」
「まさか。私はいい年した中年オッサンですよ。若い娘の相手は務まりません。常識で考えてください。そんなことは、あり得ないのです。いや、あってはならないのです」
「また訳のわからんことを。あ~、ったく!」
オクタビオは言葉が見つからないのか、頭を掻きむしりながら浜辺をゴロゴロと転がった。
やがて空を指さす。
「あっ流れ星じゃん」
「流星は宇宙空間を漂う塵や小石が大気圏に突入し、断熱圧縮で燃え上がる現象です」
「ほー。難しいこと知ってんんだあ」
「私も人から聞いたのですよ。牢の中で」
「牢、ね。アニキはそればっかだな」
「そうですよ。私の人生の半分は牢の中です。あるいは、今も」
時折、夢を見る事があった。
夢の中で見る景色は、必ず狭く暗く湿った牢の中だ。
囚人であった時の記憶は消えないし、無かったことにはできない。
今さら普通に生きようとしたところで、そう簡単にはいかない。
牢の中にあっては外の世界に憧れ、嫌で仕方がなかったはずの牢の中を、今になって思い出すのだ。
なぜ。
どうしてこうなった。
中でも外でも常に問い続けたが、答えは出ない。
人生についてある程度の答えを出してしかるべき時期など、とうに過ぎているはずなのに、だ。
子供の頃に見た周りの大人たちは、どうだったのか。
彼ら彼女らは大人に見えたというのに、いざ自分がその年齢になってみても、一五の頃から驚くほどに内面は変わっていない。
何も。
また、星が流れた。
「よし、決めたぜ。やっぱ言う。なあアニキ」
オクタビオは立ち上がると、正一の襟首を掴んだ。
背が高いのでつま先が浮きそうになる。
「誰でもいい、一緒になれ。そして、どこかで――なんならここでもいい――幸せに生きるんだ」
「世迷い言を。オッサンの私に何ができるというのです」
「何だってできるさ。好きなことを。好きな場所で、好きな相手と。……それで、いいじゃねえか!」
「手遅れですよ。すでに私たちは世界というシステムの歯車に組み込まれ、望むと望まざるに関わらず、その役割を求められる。勇者などその最たるものです。私の投獄も、透によるクーデターも、集団心理によって形成された、レールに則って行われた事に過ぎない。コンピュータで予測できるのもそのためです」
「運命だとでも言うのか? そんなものはクソ食らえだ! なあアニキ頼むよ、素直になってくれ! オレが聞きたいのはタテマエじゃねえんだ! 悟ったようなフリをするなよ!」
星明かりの影になって、オクタビオの表情は読めなかった。
しかし、時折海面に反射する月光が、目の下で何かを光らせていた。
「なあアニキ。あの三人をなんでここに連れてきた?」
「……」
「アニキ自身気付いてないのかもしれねえから、オレが言ってやるぜ。あいつらを安全地帯に避難させたかったんだろ。レイナの前で親父と戦いたくなかったんだ。マリアナを巻き込みたくなかった。エウフの手を汚させたくなかった」
「人が良いですね、オクタビオさん。レイナ様がその場にいれば、当然父親の側に立つと判断するのが自然ですよ。マリアナがいれば彼女をこの場に釘付けにできます。エウファミア様は激昂すると行動が予測できませんからね、つまり不確定要素です」
「結論ありきの理論武装ってヤツだ。マンガで読んだから知ってる」
「かも、しれません」
「……ここは、平和だ。サメは出るけどよ」
二人は肩を並べて、水平線を眺めた。
やがてまた、星が瞬いた。
「オクタビオさん」
「……なんだ、アニキ」
「透が来る時間と場所、じつはデタラメなんです。正解はカラコル島。逆方向です」
「だろうなあ。アニキはよ、大事なものを、安心できる場所に置いておきたいんだろ。後で恨まれたって、泣かれたって、それでも守りたいんだろ。自分自身より大切なんだろ。そのキモチをなんて言うか、アニキならわかるだろ?」
正一は目をそらした。
「……さあ。私には人生経験が足りませんからね。なにせ、牢屋に引きこもりでしたから」
オクタビオは正一の背中を叩いた。
「まァたソレかよ。こりゃそうとう重傷だな。ガキかよ」
「そうですよ。私は大人になりきれていない。人の成長には、他者との関わりが欠かせないのです。私にはそれが足りない。だから人とどう接して良いのかも、わからない」
オクタビオは苦笑いを浮かべ、頭を掻いた。
「オレじゃ役不足かよ」
「それは誤用ですよ。そもそも私は、あなたのせいで囚人になったわけじゃないですからね。さっきも言ったとおり、個人的にけじめをつけなければならない。とにかく一度、会って話さなければならない。それだけの話です」
「……なあアニキ。帰って、来るよな?」
オクタビオは笑っていた。
初めて会ったときの、あの凶暴な面影は完全に消えていた。
「……さあ。オクタビオさんだから言いますが、透は手加減して勝てる相手ではありません。どちらかが死ぬでしょう」
「……そうか」
「後のことは、頼みます」
正一は、その機械を撫でた。
シリンダーの内部で圧縮した混合器を爆発させることでピストンを動かし、クランクシャフトの回転に変える。
それをギヤを介して減速し、タイヤを回す。
パワーは馬の数十倍、時に百倍にもなる。
馬を持たない馬車、次世代の主力重工業。
地球では、それを自動車と呼ぶ。
設計思想にまだ馬車の影響が残っているようで、外板は木製、屋根のないオープンカーだ。
「鍵を」
今度はオクタビオも素直に渡してきた。
鍵穴に差し込み、捻る。
ニュートラルランプが点灯した。
チョークを引き、わずかにスロットルを開いてセルを回す。
豪快な音を立ててエンジンが目覚めた。
「では、行ってきます。あとはよろしく」
「アニキ! 行くな! オレを、オレを置いていかないでくれ!」
顔は見なかった。
見たら、きっとブレーキを踏んでいただろう。
オクタビオの声は、だんだんと小さくなっていった。
「ショーン! 帰ってこいッ……!」
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