第19話 長い旅

 翌日もまた店に行く。


「あんたに飲ませる酒は――」


「わかっています。ミルクを」


 エウファミアも同席し、ゆったりとした時間が流れる。


「ご主人さま。今日、食堂の裏から下手くそなギターが聞こえてきました」


「ほほう? 誰か練習していたのでしょうか」


「マリアナでした。すごく真剣な顔をして、ボクにも気付きません」


「それは良いことです。エウファミア様も、何か初めてみてはいかがです?」


 エウファミアは困ったような顔をした。


「ボクは……何をしたらいいですか?」


「お好きなことを。音楽でも絵画でも、執筆でも。スポーツもいいですね。何でもいいから、とにかく初めてみる事です。そうしているうちに、好きなことが見つかるものですよ」


「ご主人さまは、何が好き?」


 正一は少し答えに困った。ギターのことは言えない。

 しいて言えば、自動車に興味があった。しかし、この世界では難しい。


「さあ。私も色々と、探しているところなのです」


「ボクも探すの付き合います」


 ドアベルがカラン、と鳴った。入ってきたのは、驚くことにマリアナだった。


「マリアナ。どうしてここに」


「話はきいたよ。あたしをおいて行こうなんて、水くさいじゃない。それに……レイナのパパと、戦うかもしれないんでしょ。殺し合うかも……しれないんでしょ」


「できれば避けたいですけどね」


「レイナにだれか付いていてあげなきゃ。そうは思わない?」


 マリアナの言うとおりだった。


「わかりました。レイナ様のことを、よろしく頼みますよ。マリアナ」


「うん」


 よく見ると、マリアナの指先には小さな傷がいくつもできていた。

 色々とたわいのない話をするが、ギターの事など一言も話題に出さない。

 正一は指の傷を魔法で治してやろうと思ったが、やめておくことにした。

 しばらくすると、レイナが入ってきた。


「待たせたわね。ママが外務省に問い合わせをしていたのよ」


 少しずつだが電信が回復し、国外との連絡がつくようになっている。

 レイナはアラニヤ王国の地図を広げた。


「パパはこの後、アラニヤ王国のサポに向かうらしいわ」


「……なるほど、サボですか。都合がいいですね」


「どういうこと?」


「サポはモスキトから馬車で一日と、かなり近所です。モスキト伯爵はオクタビオさんでしてね。私の知り合いなので、色々と動きやすいと思います」


 レイナは顎に人差し指を当てて、視線を迷わせた。


「まさか……あなたの手下のチンピラ?」


「チンピラだったのは昔のことです。今は立派な紳士、伯爵様ですよ。電報を打ちましょう。そうすれば、誰も何も不審に思いません」


 *

 

 屋敷に戻ると、正一の机に一通の手紙が乗っていた。

 郵便受けではなく、直接机に乗っていたのだ。

 差出人は書かれていない。

 使用人の誰かが運んでくれたというわけでもない。

 誰もこの手紙を受け取っていないのだ。

 使用人の目に触れることなく正一の部屋に入り、手紙を置き、そして誰にも見られずに立ち去る。

 そんな芸当ができる人間など、そうそういるものではない。

 封を切ると、思った通りのことが書かれていた。


「どうかしたのですか? ご主人さま」


「いいえ。なんでも。それよりもエウファミア様。トランクを用意しますから、ご自分の荷物をまとめてください。私がやってもよいのですが……」


 エウファミアは頬をぷう、と膨らませた。


「もう。普通なら奴隷がご主人さまの荷物を持つはずなのです」


 *


 駅のホームには、すでにアラニヤ王国行きの汽車が待っていた。


「すごい! すごいすごい! あたし、汽車みるのはじめて!」


 ぴょんぴょんと他の客の迷惑も顧みず、マリアナははしゃいでいた。

 レイナは少し呆れた様子でそれを見守っている。

 エウファミアが正一を心配そうな顔で見上げた。


「あの……どうなさいましたか、ご主人さま」


「いえ。ほんの一〇年前に営業開始した割には、やけに洗練された車両だな、と」


「そうなのですか?」


 基本的にこういった複雑な機械は、度重なる試行錯誤の末に完成に至るものだ。

 地球の場合は蒸気機関車が完成の域に達するまで一五〇年ほど掛かっている。

 地球の歴史でいえば二〇世紀に入ってから作られたような形だった。

 地球の技術が使われているに違いない。


「新しい技術は結構です。が、それを扱う人間の精神が追いついていないようですね」


「古くさい価値観ね。だからオッサンって言われるの」


 レイナの冷たい横やりが耳に刺さった。

 二一世紀初頭、地球の老人たちも同じ事を言われていたのだ。

 事実、ホームに老人の姿は見られない。


「事実ですので。とにかく乗りましょう。発車間近になると混みますから」


 正一は三個のトランクを重ねた。


「あれ? ショーンの荷物がないよ」


 マリアナはキョロキョロと周囲を見回すが、そんな物は最初から無いのだ。


「私はこれと財布だけです」


 作業服のポケットから歯ブラシとタオル、軍手を取り出す。


「それだけ?」


「じゅうぶんです」


 胸ポケットには、出発の前日に届いた封筒が入っている。

 本命はこれだ。

 マリアナたちには決して知られないようにしなければならない。

 正一は重ねたトランクを抱え上げた。

 エウファミアが自分の荷物を持とうとするが、やんわりと断る。


「常に人の目があることを忘れないでください。お嬢様」


「ボクはお嬢様なんかじゃ……」


「素敵なお嬢様ですよ。どこからどう見てもね」


 三人は上等のドレス姿で、地球の感覚では旅向きの格好とは言いがたい。

 しかし、この世界ではこれが普通なのだ。

 マリアナは背中にギターを背負っていた。

 座席は寝台車の一等に女子三人が、三等の自由席に正一が座る。

 せめてタキシードなどがあれば執事のように見えただろうが、高級服は全てオーダーメイドであり、準備が間に合わなかったのだ。

 あからさまな労働者スタイルの中年が令嬢三人と一緒というのは不自然極まりない。

 席はボックス席で、五〇歳ほどの小太りの男が一緒だった。

 比較的上等のスーツに身を包んでいるが、腹の肉が目立つ。


「なああんちゃん、火貸してくれや」


「ありません」


「タバコ吸えへんやないか」


 それというのも、若い女の子と一緒の客室というのも問題がある気がしたのだ。

 かといって別の客室を取るのも勿体ない。


「なああんちゃん、栓抜き無いか?」


「ありません」


「ビール飲めへんやないか」


 男の瓶を取り、手で開けてやる。

 すると、男は立ち上がって拍手をした。


「なああんちゃん、缶切りあらへん?」


「ありません」


「せっかくモモ缶分けたろ思ったのに」


 出発の汽笛が鳴る。

 滑るようにして列車は走り出した。

 徐々に速度を上げ、景色が流れ始める。

 やがて石とレンガの町並みは消え、森や砂漠の単調な景色が現れた。


「なああんちゃん……」


「ありません」


「イジワル言わんといて、助けてくれへんか」


 いつの間にか覆面をした男たちが、小太りの男にナイフを突きつけていた。


「全員動くな。有り金を全部この袋に入れろ! 宝石もだ!」


 列車強盗だ。

 鉄道会社のセキュリティは雑なので、はっきり言って日常茶飯事である。

 正一は窓を開けると、強盗の襟首を掴んで外に放り出した。

 悲鳴が遠ざかっていく。


「助かったわ。あんちゃん、案外度胸あるんやな。何かお礼させてくれへんか」


「では、少し黙ってください。私はトイレに行きます」


 正一はトイレではなく、一等車へ向かった。

 さすがに三人娘の無事を確かめた方が良いと思ったのだ。

 ドアをノックする。


「私です」


「ショーン? 入っちゃだめっ! あたしたち、だいじょうぶだから!」


 マリアナの声は必死そうだった。

 ただならぬ雰囲気だ。

 正一はきびすを返し、最後尾の展望デッキに向かった。

 柵に足を掛け、天井に沿って走っているリブを掴んで逆上がりの要領で身体を屋根の上に引き上げる。

 耳の横を魔法で作られた火の玉がかすった。

 客車の屋根では強盗の仲間と、比較的上等の服を着た男が向かい合っていた。

 この世界において、決闘はスポーツの延長線のような扱いである。

 本人たちは真剣そのもので、人生の全てが掛かっている。

 しかし、関係無い者はいちいち気にしていられない。


「すいません、ちょっと通りますよ……」


 人命の軽い雑な世界である。

 人権という概念は、まだ受け入れられていないのだ。

 これについては、地球でも非常に長い時間を掛けた議論の末に生まれたものであり――地球においても、大衆が理解し受け入れているとは言いがたい――地球人が王になったからといって、そうそう簡単に根付くものではない。

 基本的には中世的な封建社会のまま、技術革新だけが進んでいる。

 二人は互いに魔力砲弾を放ち、相打ちとなって転げ落ちた。


「死んでしまえばそれまでなのに。……だがこれが、若さというものかもしれないな」


 だが、二人は生きていた。

 かぶりを振りながら立ち上がり、つかみ合いの喧嘩に移行する光景が遠ざかっていく。

 命に別状は無いらしく、正一は胸をなで下ろした。

 一等車の上に来ると、屋根に這いつくばって客室を覗き込む。

 ハンサムな若い青年が太った老婆と、抱き合ってキスをしているのが見えた。


「間違えた」


 隣の部屋を覗き込むと、水着ファッションショーの真っ最中だった。

 観客と審査員はレイナとマリアナで、エウファミアが真っ赤になりながらもモデルを務めている。

 ビキニ、ワンピースなど数種類を着せ替えて遊んでいるようだ。

 傍らには化粧セットの蓋が開かれ、レイナが楽しそうにエウファミアの顔をキャンパスにして創作に励んでいる。


「大丈夫そうだな」


 正一は自分の客車に戻った。


「なああんちゃん。ワイな、セールスマンやねん。女物の水着、買うてくれへんか」


「いりませ……いや、見せてください」


 エウファミアは水着を持っていない。

 好きな物を買えと言って小遣いを渡すと、いつも正一のためにプレゼントを買ってくるのだ。

 レイナやマリアナが着せ替え遊びを楽しんでいるが、自分用の物があってもいいはずだ。

 小太りの男はトランクを開けて、様々な水着を取り出した。


「最新素材やねん。伸びるから誰にでもピッタリやで」


 正一は紺色の水着を手に取った。


「これは……さすがに」


 隣の席に座っていた魔族の女が声をかけてきた。


「それになさい。おすすめよ」


 女と面識はない。

 しかし、なぜか正一は言われるがまま金を支払った。


 *

 

 旅は三〇時間続き、定刻通りアラニヤ王国に到着した。


「あんちゃん、おおきに! おおきに!」


 小太りの男は正一の手をきつく握りしめると、馬車に乗ってどこかへ去って行った。

 魔族の女も、いつの間にか姿が消えていた。

 アラニヤ王国は温暖で、背後に山岳地帯が迫っているため海岸沿いに街が造られている。

 おもな産業は漁業だったが、景観の良いところには富裕層の別荘やホテルが建ち並んでいた。

 旅行やバカンスなどはまだまだ富裕層の特権で、庶民には縁の無い事だ。

 しかし、産業の少ないアラニヤ王国にとって、観光は貴重な収入源になっていた。

 王都アラニヤの駅を出ると、下り坂の向こうに海が見える。

 白く塗られた桟橋がいくつも見え、ボートやヨットが無数に並んでいた。


「うみ! 海だよ! あたし海だいすき!」


 マリアナは大はしゃぎだ。

 正一は駅前広場でタクシーのように待っている辻馬車に声を掛けた。

 モスキト伯爵領まではほぼ一日の距離だ。

 御者は渋ったが、金貨を見せると快く引き受けてくれた。

 トランクを積み込み、三人とともにキャビンに乗り込む。


「疲れてるみたいね、ショーン。年かしら?」


「席が賑やかでしてね。レイナ様たちはどうでしたか?」


 レイナはとても意地悪そうな顔で、いびつな笑みを浮かべた。


「ええ、楽しかったわよ。……とてもね!」


 マリアナとエウファミアは、なぜか顔を伏せたり、窓の外に視線を移した。

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