第15話 華麗なる饗宴
翌日、正一は理由を作ってレイナたちの部屋を訪れた。
マリアナは留守である。
学院にはクラブ活動のようなものがあり、色々と興味がって見学しているようだ。
レイナは紅茶のカップを口に付けた。
「ママに会いたいですって?」
露骨に嫌そうな顔である。
「会ってどうするつもりよ」
「相談事があるのです。じつは――」
さすがに量子コンピューターのことを話す訳にはいかない。
「私は熱心なクォンタム教徒で、神官からお告げを賜ったものですから。ぜひ王妃様のお耳に、と」
「ショーン、いいことを教えてあげるわ。事実は動かせないけど、神様のお告げは好きなように言えるのよ」
じつに合理的な思考である。
あまりにもあからさますぎて、むしろ正一は少し好感を持った。
古今東西、地球異世界問わず、宗教勢力と権力の癒着は枚挙に暇がない。
しかし、クォンタム教は王家や政府と距離を取っている。
神官と呼ばれる事実上の科学者たちは権力に興味が無く、好奇心の赴くままに学術研究に打ち込んでいた。
不思議なことに、科学を突き詰めると宗教家と同じような物言いになってくる。
真理を探究するという目的において、科学と宗教はアプローチの方法が違うだけに過ぎない。
科学の前には平民も貴族もないので、信者は平民が多かった。
教団の資金は信者の寄付を元手に運用されているが、権力者たちはその有効性にまだ気付いていない。
「無理は承知にございます。ですが、私はなるべく急いで王妃様にお目通りしたい」
レイナはカップを置くと、腕組みしながら脚を組んだ。
スカートはプリーツのミニである。
「クォンタム教の聖人を三人挙げなさい」
「ええと……アシモフ、クラーク、ハインライン」
「誰よそれ。こういう時はね、ハイゼンベルク、アインシュタイン、シュレーディンガーなんかを挙げるのが無難なの。あとはゾンマーフェルトとかディラックとか、フェルミとか。おわかりかしら?」
いずれも地球に同名の人物がいるが、関連は不明だ。
全く無関係というのも考えにくい。
「やけに詳しいですね。お父上の……いや、お母上の影響ですかな?」
「……あなたに関係ないでしょ。で、宗教なんて興味のかけらも無いショーン・ハリヤー。あなたの目的な何なの?」
「王妃様に意見具申があります。安全保障に関わることで」
「そう。でも、オルミガ王国がどうなろうと、あなたには関係ないんじゃない? 後ろ盾のオクタロウは、アラニヤ王国の貴族でしょ」
レイナは全く興味がなさそうな素振りでカップを空けた。
なお、正しくはオクタビオ・カルバハルである。
「ところで話は変わるんだけど。……ワクドってお店、知ってる?」
「カナリオ通りにできたハンバーガー屋ですね。何度か行ったことがあります――」
懐かしくて、という言葉を飲み込んだ。
どうやらこの世界に『ファストフードのハンバーガー』という概念を持ち込んだ何者かがいるらしい。
店の構造やメニューは地球のそれを踏襲しつつ、この世界の人間が思いついてもおかしくない程度にローカライズされていた。
「連れて行ってちょうだい」
「私がですか?」
「他に誰がいるのよ」
メニューの値段を思い出す。
「あの店は平民の労働者向けで、味も値段なりです。王女様が行くようなところではありませんよ」
「その王女が食べたいと言ってるのよ」
「はあ」
「はあじゃないでしょ。ママに会わなくていいの?」
「それは困ります。お待ちください、さっそく買ってきますので」
正一は部屋を出ようとした。
「ダメ。待ちなさい」
「はあ。テイクアウトではいけませんか」
「当たり前でしょ。明日の放課後、四時に駅前広場で待ってなさい」
明日は教員の会議があるため、午前授業である。
「駅前広場ですか? 別に今からでも構いませんし、明日だとしても私がお迎えに上がりますよ。何でしたら、技師控え室までお越しいただいても……」
レイナは机をバン、と叩いた。額に青筋が浮かんでいる。
「同じ事を言わせないで。明日四時、駅前広場じゃなきゃダメなの。そういうことだから、早く出て行って」
「はあ」
*
翌日、正一は仕事を早退けして駅前広場へやってきた。
オクタビオの名前で手を回せば、他の現場の応援などでいくらでも口実は付くのだ。
レイナはすでに来ていた。
「遅いわ。三〇分も待ったじゃない!」
懐中時計を見ると、三時四五分だ。
「申し訳ありません。急いだつもりだったのですが」
レイナは私服姿で、王都で最近流行のパーカーに似たジャケットと、膝丈のプリーツスカート姿だった。
上着はミントグリーンなど淡目の色だったが、中に来ているタートルネックはヴィヴィッドな赤だ。
髪にはパールの付いた髪留めが付けられている。
「素敵な髪留めですね」
「そ、そう? あなたも似合ってるわ。その…………作業服」
少し残念そうな顔だった。
「他の服がありませんのでね。早速ご案内しますよ、こちらです」
車道は馬車や自転車が行き交っており、交通量もそこそこだ。
車道側をレイナの歩く速度に合わせて進む。
暴れ馬が歩道に突っ込む事故が後を絶たないのだ。
街ゆく人々はほとんどが平民、ないしは奴隷である。
そんな中にあって、レイナの服装は比較的上手く溶け込んでいたが、それでも醸し出す雰囲気にすれ違う男たちがよく振り返っていた。
きっと親子か何かに見える事だろう。
そう思うと、正一は思わず自嘲した。
普通に生きて、普通に暮らしていれば、今頃こうやって娘と一緒に街を歩いていたかもしれないのだ。
レイナが袖を引っ張った。
「ねえ、あれは何?」
「大道芸人ですよ。長いゴム風船をねじって、動物や花など、様々な形を作るのです」
ピエロの格好をした芸人は、手押しポンプで風船を膨らませ、流れるような動きで花の形を作った。
「すごいわ!」
「そのまま受け取ってください」
ピエロはレイナに風船を渡すと、帽子を取って深くお辞儀をした。
正一はポケットから五〇〇シリング硬貨を取り出し、帽子に入れてやる。
「えっ……これ、わたしがもらってもいいの?」
「ええ。寸志を帽子に入れておきました」
「……大切にするわ」
レイナは風船を抱きしめた。
「いいえ、その必要はありません。明日にはしぼんでしまいますから。そういうものなのです。まあ、例えればお花を贈るようなものですかな」
「あなたが……わたしに花を?」
「受け取っていただけますか?」
「え、ええ。ゴムくさいけど、花に罪はないものね」
*
二人はそのまま『ワクド』の前まで来た。
「ドアボーイはいないのね」
「当然です。基本的にはセルフサービスの店ですよ。苦手なものはありますか?」
「いいえ。食べ物の好き嫌いはママが許さないの」
「結構なことです」
正一はカウンターでハンバーガーとポテトフライ、コーラに似た炭酸飲料をそれぞれ二つずつ注文した。
コーラ的な何かは重曹とクエン酸、カラメルなどで作っているらしい。
「待って。お金はわたしが」
「構いませんよ、私が。給料が出たばかりですから」
「女性に払わせるのは嫌?」
正一にしてみれば、男も女もありはしない。
子供に奢られるのには強い抵抗があったが、レイナの気持ちを汲み取ることにした。
レイナが払いたがっているように見えたからだ。
「それでは、ご馳走になるとしましょう。ありがとうございます」
「いいのよ。お礼と……あとはお詫びね」
支払いを済ませると、横にずれて出来上がりを待つ。
まだトレイに広告を載せたり、油紙にロゴを載せたりといった段階までは進んでいない。
しかし、それも時間の問題だろう。
二人は窓際の席に、向かい合わせに着いた。
隣の席では、魔族の女が本を読んでいる。
「こんな大きいの、どうやって食べるのよ。ナイフとフォークはないの?」
「頼めば出してくれるでしょうが……それは正しい食べ方ではありませんね」
正一はハンバーガーを両手で押しつぶし、ぺちゃんこにしてからかじりついた。
「……こうです」
「そんな、はしたないわ」
「お言葉ですが――」
ペーパーナプキンで口を拭いながら続ける。
「ボードゲーム好きの貴族がゲームをしながら食べられる物を、と料理人に命じたのが始まりとされています。ここは大衆向けですが、王侯貴族に相応しい由緒ある食べ物ですよ」
地球でも、サンドイッチが似た経緯で発明されている。
レイナは見るからに嫌そうな顔をしていたが、意を決したのか祈るように潰した。
かすかに震えながらも、ソースのしたたるハンバーガーにかじり付く。
「……おいしい!」
「でしょう? 私もそう思いますよ……」
確かに美味いのだ。
しかし、正一は少し不満があった。『決して美味い訳ではないが、時々むしょうに食べたくなる味』こそが理想だったのだ。
「ねえ、ショーン。今度は……」
二人は公園にやってきた。ベンチでは老人が日なたぼっこし、広場では若者たちがダンスを練習していた。
幼児を連れた主婦や、犬の散歩をしている少女の姿も見える。噴水のある広場で、一台の派手な馬車が停まっていた。
アイスクリームの移動販売だ。レイナはアイスクリームに興味があるようだった。
「不思議で仕方がないのよ。蒸気で動く製氷機は倉庫一つぶんの大きさだし、アイス売りはどう見ても魔法使いには見えないわ」
「氷と食塩を三対一の質量比で混ぜることで、摂氏マイナス二〇度程度まで冷やすことができるのです。魔法ではありませんよ」
「そうなの? 不思議ね」
正一はアイス屋に声を掛けた。
「四つください」
「ちょっとショーン! わたしは何も、そんな……」
レイナが気恥ずかしそうに袖を引っ張ってきた。
「ご馳走しますよ。先ほどのお礼です」
「だからといって四つも……二つでじゅうぶんよ」
「いいえ、四つ必要なのです。……そろそろ出てきてはいかがですか? 隠れているのはわかっています」
「えっ、何のこと?」
繁みがガサガサと揺れ、小柄な影が二つ現れた。
「私たちは、駅からずっと監視下にあったのですよ。そうですね? エウファミア様。マリアナ」
二人はばつが悪そうにしていた。
「だって、気になったんだもん」
「ご主人さま、ボクはたまたま……たまたまなのです……」
レイナは顔を真っ赤にしているが、正一は構わず二人にアイスを差し出した。
「二人とも私たちを心配してくれたのですよ。さ、溶けないうちにどうぞ」
レイナとマリアナを辻馬車で寮に送り届け、正一はエウファミアを連れて屋敷へと戻った。
エウファミアはそっぽを向いて頬を膨らませている。
「そんな顔はおやめください、エウファミア様」
「だって……」
「きれいなお顔が台無しですよ」
「だって、ボクだってご主人さまと遊びたいのです」
「いずれ埋め合わせはいたします。それに、収穫はありました」
正一は一枚のメモを机に置いた。
レイナから受け取ったものだ。
「この時、この場所に王妃は来ます。いかがなさいますか?」
エウファミアは膝の上で拳を握りしめた。
「……いい。何をするか……わからないです」
「では、私が会って話してきます」
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