第14話 災厄の日

 顔中をぐしゃぐしゃにして泣きはらしながら、狂ったように泣き続けるエウファミアを正一はようやくなだめ終わった。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


「もう良いのですよ。見ての通り、私は平気ですから」


「平気じゃないっ!」


 エウファミアは正一の左手を抱きしめた。

 包帯が巻かれている。


「こんな酷いやけどを……ボクが、ボクがご主人さまに怪我をさせて……!」


「明日には治癒魔法で治せますよ」


 光球は障壁を貫いて、正一の腕にやけどを負わせていた。

 正一は全ての魔力を使い果たし、動けなくなって屋敷のソファに横たわっていたのだ。

 リビングの扉が開き、オクタビオがやつれた様子で入ってきた。


「しっかしまあ、おっそろしいモンだぜ。街は大騒ぎだ。電信も使えなくなってよその事情がわからねえし、この世の終わりが来たんじゃないか、ってみんな言ってる。エウフ、アニキのためとはいえ、ちょっとばかりやり過ぎたな」


「……ぐすっ」


 エウファミアは鼻をすすった。

 オクタビオは正一のソファと向かい合うように置かれた専用椅子に腰を下ろそうとして、気が変わったのか立ったまま言った。


「アニキ。どうしてあんな事に? 姫様と何があっのか?」


「レイナ様が私の正体に疑問を持ったのですよ。ごまかしているうちに怒らせてしまいました。そもそも屋敷に来たのも、おそらく私の様子を探るためだったのでしょう」


「煮え切らない態度をとるからだ。で、姫様は?」


「マリアナとお風呂です。その、お召し物を少しばかり汚されましたのでね」


「ああ、ションベン漏らしたのか。当然だよな! オレだってチビったし全然普通だぜ! むしろ人間、大人になってから漏らしてこそ、優しさや思いやりを持てるんだ」


 せっかく言葉を選んだのに台無しである。

 しかも、何か良いことを言っている。

 オクタビオは新しいパンツとズボンをクローゼットから取り出して着替えを始めた。


「オクタビオさん。女性の目がありますよ」


「気にすんな。エウフはまだネンネだし、そもそもオレのちんこなど興味が無いはずだ。……おい、これじゃねえ。オレは今ブーメランパンツの気分なんだ。金ラメ入りのやつを持ってこい」


 フットマンは一礼してパンツを取りに行った。


「なぜそんなに偉そうなのですか」


「偉いからだ。もちろんアニキの次に、だがな」


 オクタビオはタオルで股間を拭き始めた。


「……?」


「どうしたアニキ。オレのハンサムな顔に何か付いているか?」


「オクタビオさん。電信が通じない、と言いませんでしたか?」


「ああ、機械が壊れたらしいぜ。停電も続いてる。ガス灯は直ったけどな」


「EMPだ……」


「何だそりゃ?」


 正一は立ち上がった。


「オクタビオさん。今すぐ早馬を飛ばして、カラコル島の神殿の様子を報告させてください」


「そりゃいいが、どうしたんだ?」


「高空で核爆発が起こると、電磁パルスによって電子機器が破損する場合があるのです。光球のエネルギーが同様の現象を発生させた可能性があります。電信の不通や停電はそのためでしょう。量子コンピューターにも影響が及んだかもしれません」


 オクタビオは心底嫌そうな顔をした。


「オレにわかるように言ってくれ。言ってることが難しいんだよ」


「こわれてないか、たしかめてください」


「おう、任せろ。早馬だと返事が来るのに一週間くらいか? すぐ手配するぜ」


 パンツを持ったフットマンが現れたが、オクタビオはお構いなしに部屋を出て行った。


 *


 風呂から上がったレイナは、マリアナの寝間着を借りていた。

 胸や腰回りが窮屈そうだが、やむを得ない。

 マリアナは自分の身体を見て、ため息をついていた。

 エウファミアを見て、レイナは身を固くする。


「大丈夫ですよ。先ほどのようなことはありません。エウファミア様、大丈夫ですね?」


 エウファミアは無言で頷いた。


「これ以上隠し立てするのも、お互いのためにならないでしょう。エウファミア様は、前王フェルナンドの忘れ形見なのです」


「嘘よ! フェルナンド王は息子が一人だけ、王子は革命で死んだはずだわ」


「革命ではなくクーデターです。政体は絶対王政が維持されたまま――」


「どうでもいいわそんなこと! それに、その子は魔族でしょ!」


「はい、魔族です。ただし、半分だけ」


 レイナは目を見開いた。


「ハッ……! まさか!」


「お察しの通りです。エウファミア様は、フェルナンド王と魔族の女性との間に産まれたのですよ」


「なぜ……?」


「王が魔族の女性を側室に娶ることで、魔族との講和条約を結び、やがては同盟を結ぶ予定だったのです。第一次魔族戦争は、お互いに失うものが多かったですからね」


「でも、魔族を側室にするなんて……」


「いずれは王妃と離縁し、正室にする予定だったという話も聞きます。もっとも、これは与太話の類いですが。当時の政府首脳部も、今のレイナ様と同じように驚いた事でしょう」


「そりゃあ、驚くわよ。何年も戦争をしていた相手と」


 エウファミアは無言のまま、正一の裾を掴んだ。

 大丈夫だと言い聞かせるように、軽く頭を撫でてやる。

 デリケートな話題に、正一は慎重に言葉を選びながら話を続ける。


「当時の首脳部はお父上を担ぎ上げ、クーデターを起こしました。フェルナンド王と正室、側室、王子は死亡。エウファミア様はからくも生き延びましたが、奴隷としてマッチ工場に売られ、政府の管轄を離れました。王国歴一三五年の事です。明けて一三六年、何が起こったかご存じですね?」


「第二次魔族戦争……!」


「おっしゃるとおりです。これは魔族による報復戦争でした。お母上は魔族の中でもかなり重要な人物でしたのでね。オルミガでは国内の報道はコントロールされ、国民は開戦の正しい理由を知りませんが。一三九年に休戦するまで、一〇万人近くの方が戦死、ないしは巻き込まれて亡くなりました。痛ましいことです」


「でもパパがそんなこと……」


「お父上は第一次魔族戦争で、人類側の英雄でした。貴族たちにとっても、旗印としてちょうど良かったのでしょう。なにぶん外様ですから、仮にクーデターが失敗しても自分たちは知らぬ存ぜぬを通せる、と。結果的にはクーデターは成功し、お父上……秋原透が王位に就いた――」


 正一はそこで言葉を切った。レイナの目をまっすぐに見つめる。


「国王陛下とお目通りしたく存じます。レイナ王女殿下」


 レイナは青くなった。我々の力をご存じですね? という強いメッセージが言外に含まれているのを感じたのだろう。


「わかったわ。でも、すぐには無理よ。パパは今、首脳会談をしながら人類諸国を歴訪しているから」


 正一は一見すると穏やかな笑みを浮かべた。


「待つことには慣れております」


 細かいことだが、正一は革命ではなくクーデターと言った。

 むしろフェルナンド王が目指していたことこそが革命であり、透はフェルナンドを殺し、体制を変革せずにその地位を奪っただけに過ぎない。


 *


 正一はその後も技師の仕事を続けた。

 エウファミアも時折食堂を手伝うことがあった。

 当然、レイナやマリアナも学院に戻っている。

 表面上、平穏が戻ったのだ。

 しかし電信は混乱し、遠方との連絡は昔ながらの早馬や飛脚に戻っている。

 外国との連絡ともなれば、数ヶ月はかかるだろう。

 ちなみに、電話はまだ発明されていない。

 仕事を終えて屋敷に戻ると、オクタビオが封筒をヒラヒラと揺らして見せつけた。


「アニキ、カラコル島の神官サマから返事が来たぜ。早く開けて読んでくれよ」


 正一ははやる気持ちで封を切った。

 システムに異常なし、の文字が目に入り、ホッと胸をなで下ろす。

 手紙には二枚目があり、普段は電信で送られる予測結果が記されていた。


「アニキ、次はどの会社の株を買えばいいんだ? 早く教えてくれよ」


「……売りも買いも手仕舞いして、現金に換えておきましょう」


「おいおい、戦争でもそんなことあり得ないぜ。オレだってそのくらいはわかるんだ。戦争なら武器屋、疫病なら薬屋が儲かるんだろ? それに人間が生きてる限り食い物屋は潰れねえよ」


「世界そのものが消えればどうでしょうね」


 正一はオクタビオに手紙を渡した。


「なんだこりゃ。……まさか。こんな事があるわけねえだろ」


「そう思います。ですが、量子コンピューターの予測が外れたことが、一度でもありましたか?」


「そりゃあ無えけどよ。でも、この間エウフがドカンとやらかしたろ。それがなんか、こう……エイキョウしてんじゃねーの?」


「確かに、その可能性はじゅうぶんにあります。むしろそうであってほしい。もう少し様子を見てみましょう。いずれにせよ、先の読めない時は手じまいするべきです。休むも相場、と言いますからね」


 オクタビオは両手を挙げて肩をすくめた。


「わかったよ、オレも長いこと休んでないし、ちょうどいいや」


「いつものことですが、あまり急激な取引は避けてください。相場へ与える影響を最小限に」


「あーわかってるわかってるって。任せな、ちゃんといつも通りやるって」


 オクタビオはうん、と伸びをし、腕をグルグルと回した。


「ま、いい機会だ。手じまいしたら、たまには領地を見に行ってやるかな」


「それもいいでしょう。皆さんによろしく」


 オクタビオが出て行くと、正一は息を吐きながら椅子に腰を落とした。

 量子コンピューターに走らせている計算式は、人間の行動、すなわち社会の変化しか予測できない。


「故障に決まっている。大量の核兵器も無しに、世界を滅ぼすなど不可能だ。だが……」


 魔王と呼ばれるほど強力な魔法使いが複数いれば、あるいは、という気もしてくるのだ。

 もちろん、魔王などそうそう生まれはしない。

 しかし、現に身近なところに一人いる。

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