第13話 魔王降臨

 そもそも学院で働き始めたのは、まずレイナとコネを作り、そこから王に会えるよう取り計らってもらうというのが目的であった。

 入学式には確実に王が現れる予定だったからだ。

 食堂で生徒たちを人質に取った集団も、同じ目的であった。

 王とはかくも恨みを買いやすいものなのだ。

 予定は多少狂ったが、香奈の近況を確認でき、連絡の手段も手に入れた。

 問題は学院のセキュリティが大幅に強化された事にある。

 軍から警備兵が増派され、定期的に巡回を繰り返している。

 おかげで動きにくくなってしまった。

 しかし、正一にはマリアナという素晴らしい仲間がいたのだ。

 一〇〇パーセント善意によってもたらされた状況である。おかげで戦略の練り直しを急遽迫られる事になった。


「いくよーっ! そ~れ」


 マリアナがボールをサーブし、レイナがレシーブをした。


「いいわ、その調子!」


「おっとっと……んもう、レイナのイジワル」


 レイナは父親に似て運動が得意のようだった。

 マリアナも農家の娘だけあって体力はあるものの、ボール遊びはあまり得意ではないらしい。

 地球と同様、オルミガ王国も七日が一週間とされており、会社員や役人の多くは土日が休みである。

 学生も同様で、休日は寮生も家に帰ることができた。

 ガスパルとダナの夫婦は、マリアナの入学を見届けるとルカニド村へと帰っていった。

 正一は馬車で夫婦を駅まで送り届け、マリアナに請われて学院の寮に馬車を回した。

 門から出てきたのは、なんとレイナである。

 レイナは週末をマリアナの家で過ごすという。

 マリアナの家というのは当然オクタビオの屋敷であり、そこには正一とエウファミアも住んでいる。

 庭に面した二階のテラスから、正一はボールで遊ぶ二人を見下ろしていた。

 テーブルではエウファミアが編み物をしている。


「エウファミア様はよいのですか?」


 エウファミアは手許から目を上げた。


「ボクが……どうかしましたか?」


「いえその……同世代の子と遊ぶことも、やはり必要かと」


「ご主人さまがそうせよと命じられるなら、奴隷のボクは従わざるを得ないです」


「いえ、無理して混ざる必要はありません。望むようになさってください」


「でしたら、ご主人さまと過ごします」


「……」


「差し出がましいようですが、ご主人さまもボクも、表向きはオクタビオの使用人という事になっているのです。使用人がマリアナお嬢様やその友達、まして王女様と遊ぶのは不自然なのです」


 正一は作業服の襟を直した。


「確かにその通りです。ですが……」


 それでもやはり、エウファミアにも同世代の友達がもっといていいはずだった。

 ボールが跳ね、屋敷の方に転がってくる。

 マリアナが駆け寄って拾うと、テラスを見上げて叫んだ。


「ねーエウフ、エウフもいっしょにやろうよ! レイナもそう言ってるよ~!」


 エウファミアは不安そうな色の混じった瞳を正一に向けた。


「混ざってはどうですか? 三人のほうが、遊びの幅も広がる事でしょう。それに――」


 正一は言葉を切った。


「レイナ様に罪はありません。彼女は無関係です」


 しかし、エウファミアは目を伏せたまま立ち上がる。


「……ボクは用事があるので失礼します。ご主人さま」


 *


 夕食を終えてしばらくすると、正一の部屋にノックの音が響いた。


「どうぞ」


 入ってきたのは、なんとレイナであった。

 レイナは室内を軽く見回す。

 粗末なベッドと机、着替えを入れる木箱だけが置かれている四畳半ほどの部屋で、屋敷の北側に位置していた。


「何か故障でもございましたか?」


「いいえ、何もかも完璧よ。明かりも、ボイラーも、電気設備も」


「設備は私がチェックしていますからね。学院の設備に比べれば単純なものです」


「……ここはずいぶん質素な部屋ね。暖炉すら無いなんて」


 レイナはそのまま木箱に腰を下ろした。


「使用人部屋などこんなものですよ。私はこのくらいが落ち着きます」


「一番豪華な部屋を使えばいいのに。だって、この屋敷の主は、あなたなんでしょう?」


「ハハハ、ご冗談を。オクタビオ様は、アラニヤ王国でモスキト伯爵領を購入したのですよ。さらに投資で稼いだお金でこの屋敷を買ったのです。同郷の私に学院のお仕事も紹介してくださり、マリアナの学費も負担してくださっています。ありがたいお方ですよ」


「成り上がりなのは知ってるわ。でも、どこからどう見てもそんなことができる人間には見えない。あからさまにバカだし、あんなのが株で稼ぐなんて無理よ」


「地方の下級貴族の九男ですから、そんなものですよ。都会の感覚とは違います。それに、売り買いを指図しているのはマリアナなんですよ。あの子はとても賢いですからね」


 レイナは箱を叩いた。


「いい加減にして! メイドやフットマンの態度を見ていればわかるわ。それに、オクタビオ本人が酔っ払って言ったのよ、『今のオレがあるのはアニキのおかげだ』って! ショーン・ハリヤー。あなたは……いったい何者なの?」


 レイナは怒っているような素振りだったが、その瞳は恐怖と不安の色が浮かんでいた。


「世の中には、知らぬが仏という事もあります」


「そう。なら、これで話す気になるかしら!」


 レイナは右手のひらを天に掲げた。バレーボール大の火球が姿を現す。


「おやめください、危険――」


「イクシード・ヘルファイア!」


 火球が急激に膨れ上がり、正一を押しつぶした。

 そのままの勢いで壁を破り、裏庭を横切って塀にぶつかって爆ぜた。

 並の人間であれば消し炭も残らない、強力なファイアボールである。

 炎の中で、正一は感心していた。

 両親から受け継いだ魔力は、本人のセンスと、おそらくは英才教育によって絶妙な形で組み合わされている。

 レイナは膝に手をつき、肩で息をしていた。


「ハァ……ハァ……くっ、本気、だった、のに……」


「威力、展開速度、命中精度ともに申し分ありません。見事な魔法ですよ。人間としてはトップレベルでしょう。さすがです」


「信じられない……無傷なんて!」


 レイナの血の気が引いていく。

 正一は身を起こすと、作業服の胸や腹を軽く払った。

 安物の服は炭化し、ボロボロと崩れ落ちた。

 しかし、身体には全くダメージがない。


「お言葉ですが、私を倒せないことを承知で魔法を放ったのではありませんか?」


「そんなわけ……ない……!」


「レイナ様。王侯貴族は、平民や奴隷に対して切り捨て御免の特権があります。が、それにはそれなりの理由が求められます。気に入らないからと好き勝手には殺せません。もっとも、王族の責任は内閣が負うことになっていますがね」


「くっ……」


「それに、敵は目の前の一人とは限りません。戦いにおいては常に余力を残すべきなのです。お父様から教わりませんでしたか? もっとも、私のこの力も与えられたもので、偉そうなことは言えないのですが」


「まさか……まさかあなた……勇者……!」


「元、ですよ。確かに私は、かつて勇者と呼ばれた時代があります。あなたのご両親と同じように、ね」


 騒ぎを聞きつけて使用人たちが駆けつけた。

 マリアナやオクタビオの姿も見える。先頭を走るのはエウファミアだ。


「ご主人さまっ! ご主人さまっ! ああ、なんてこと!」


 エウファミアはレイナを睨み付けた。

 正一ですらすくみ上がりそうになる。

 堅く拳を握りしめ、唇を噛みしめていた。

 肩は細かく震え、髪の毛が逆立っている。

 空気までも震えているようだった。


「エウファミア様、私は平気――」


「レイナ・アキハラ……許さない……ボクはお前を絶対に許さないっ!」


 鬼の形相というものを見るのは数十年ぶりであった。決して慣れるものではない。


「やめてください、大変なことになります!」


 エウファミアは完全に逆上している。

 何も聞こえていないようだ。


「父上と母上だけでは飽き足らず、世界で一番大切な……ボクのご主人さまに、傷を付けたな!」


 エウファミアは腰を落とし、右腰のあたりで両手を組み合わせた。

 手のひらの中で、太陽と見まごう光が生まれ、徐々に大きくなっていく。

 桁外れのエネルギー弾が形作られつつあった。


「いかん!」


 周囲の電灯はチラつき、ガス灯の火は消えた。

 それどころか、気温までもが急激に下がり始めた。

 人族は自分が持つ魔力の範囲内でしか魔法を使えない。

 しかし、魔族は違う。

 本人の魔力に加え、周囲の物質が持つエネルギーを上乗せして自由に使うことができるのだ。

 その威力は人間の魔法など比較にならない。


「元素に還れッ! 必殺! クォンタム・ディストラクション!」


 エウファミアの手から、周囲を昼間のように照らす光球が放たれた。

 正一は主観時間を一〇〇倍まで加速し、エウファミアとレイナの間に飛び込んだ。

 直接受け止めれば、正一であっても一瞬で全身が原子分解してしまうだろう。

 全身の魔力を残さず全て左手の甲に集め、直径一〇センチの障壁を展開する。

 限界まで強化した超々高密度の魔力障壁で、第一次魔族戦争においてすら使うことの無かった強度だ。

 それでも直撃には耐えられないだろう。

 障壁を斜めに傾け、光球を弾くようにして上方へ飛ばすしかない。

 受け止めるのではなく、運動エネルギーのベクトルを変えるのだ。

 また、斜めにすることで見た目上の厚みを稼ぐこともできる。

 正確に、障壁の中央に当てなければならなかった。


「ぐっ……」


 右手で左手の障壁を支える。

 トラックにはねられたかのような衝撃だった。

 どうにか上手くいったらしい。

 魔力が尽き、正一は膝を付く。

 同時に加速も解除された。

 複数の魔法の同時展開は負荷が大きい。

 エウファミアの光球は、まるでロケットのように天空高く昇っていく。

 やがて、夜空を完全に照らし、一瞬昼間に変えるほどの光が現れた。

 正一は胸をなで下ろした。

 どうやら成層圏を越えて宇宙空間で爆発したらしい。

 あれなら地上に被害はないだろう。

 エウファミアに魔法を教えたのは正一だった。

 マッチ工場にはアンチ・マジック・バリアが張り巡らされ、魔法を使う事は一切できなかったのだ。

 エウファミアを身請けした後、自衛くらいはできるようにと簡単な魔法を教えたのが始まりであった。

 元々才能に恵まれていたためか、エウファミアは短期間で正一の予想を遙かに超える魔法を身につけていた。

 なお、際だって強力な魔法を使う魔族のことを、人族は『魔王』と呼んでいる。

 魔族の国は大統領制に近いので、あくまでも俗称である。

 エウファミアが魔王であることに、疑問を挟む余地はない。

 ほどなくして夜空は戻ってきたが、この緯度ではあり得ないはずのオーロラが輝き始めた。


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