第12話 王妃との謁見
技師室には正一しかいないのを確認して、エウファミアは心底呆れた素振りでため息をついた。
「オクタビオにも困ったものなのです。仲間と大衆居酒屋で、酒を飲みながら打ち合わせをしたようです。そればかりか二次会、三次会、四次会と店を移動し、泥酔してアンチ・マジック・バリアを店に置き忘れたのです」
「くわえて二日酔いで本人は入院、と。情報が漏れたのもどこかの酒場でしょう。テロリストがバリアを持っていたのもそのためですな」
「バカなのです」
「しかし、おかげでビボラ団のみなさんを犯罪者にせず済みました。結果オーライですよ」
「あまりオクタビオを甘やかしてはいけないのです。つけ上がるばかりです」
「私にはできないことをできる男ですからね。いいのですよ」
エウファミアは心配そうに正一の顔を覗き込んだ。
「どうしました? ご主人さま。浮かないお顔です」
「私は……間違っていたのではないでしょうか」
「なぜそうお思いですか?」
正一は椅子の上で膝の上に肘を乗せ、所在なげに指を握ったり離したりしていた。視線は床を向いたままだ。
「私は……かつて、戦場で多くの敵を、時には味方をも殺しました」
「仕方のないことです。戦争なのです」
「ですが、私が奪った命の一つ一つに、親があり、妻や子供が居たはずなのです。私は力に溺れ、その事を忘れて……いえ、考えないようにしていたのです。恥ずかしながら、梁屋和尚と出会うまでずっと。和尚様もエウファミア様と同じ事を言いました。仕方がなかった、と。ですが、それでも私が奪った命は帰ってこないのです。残された家族の悲しみは、決して消えることはない」
「でも、ご主人さまがいなければ、また別の犠牲が出ていたはずです。彼らは本気だったのです」
「わかっています。あの場合、彼らを止めるしかなかった。わかっているのですが……」
エウファミアは何も言わず、正一の前に立つと、そっと正一の頭を抱きしめた。
「彼らを哀れむのであれば、背負っていってほしいのです。背負いきれない時は、ボクがご主人さまを背負います。ボクがそうしたいのです。そうさせてください」
布地を通して、エウファミアの体温と心臓の鼓動を感じた。
その音を聞くうちに、不思議と気分が落ち着いてくるのであった。
「ありがとうございます、エウファミア様」
正一は立ち上がり、努力して笑顔を作った。
「私のほうがずっと大人なのに、情けなくて恥ずかしく思います」
「その情けなく恥ずかしい気持ちこそ、ご主人さまを人間たらしめているのです。泣きたければ泣いてください。笑いたいときは笑ってください。ボクは全て受け入れます」
エウファミアはにっこりと笑った。
「……ハーブティーを入れてくださいませんか。エウファミア様のお茶を、とても飲みたい気分です」
「お任せを。わがあるじ」
気持ちを落ち着かせる香りが漂ってくる。
茶器は備え付けのものだが、茶葉はエウファミアが選んで持ち込んだものだ。
明日は入学式。学内はにわかに活気づいていた。
「タイヘン! 大変だよお!」
控室に慌ただしくマリアナが飛び込んできた。
「どうしました? マリアナ」
「大変なの! 王様、入学式には来れないって!」
「なんですって? それは本当ですか!」
*
入学式は滞りなく行われた。
平民の新入生は、マリアナを含め二割ほどであった。
大ホールに生徒が集められ、レイナが総代挨拶を務める。
テラスに二つ並んだ貴賓席には、王妃だけが座っていた。
国王は急な首脳会談が入ったという。
正一は機械室のドアを開き、テラス席に視線を向けた。
香奈だ。
年齢を重ね美しさを増していたが、見まごうはずがない。
王妃の衣装も堂に入ったもので、威厳と慈愛に満ちていた。
王妃が国王代理として祝辞を述べる時間だ。
せめて声だけでも聞きたいと思い、正一はホールに出た。
近くで見ても、香奈は美しかった。
少女時代の面影を残しながらも、成熟した大人の女性となっていた。
正一の胸に痛みが走る。
誰よりも近くで、誰よりも一緒の時間を過ごした香奈。
生まれたときからご近所さんだった香奈。
親同士が仲良しで、幼稚園にも手を繋いで通った香奈。
小学校低学年までは、一緒にお風呂にも入っていた香奈。
中学に入る頃から、何となく気まずくなって距離ができた香奈。
二度と手の届かないところへと行ってしまった、誰よりも懐かしい幼なじみ。
ガン、という音がスピーカーから響いた。
王妃はばつが悪そうに肩を落としている。
「大変だショーン、王妃様がマイクのコードを引っかけちまった。ササッと行って差し直してこい! 早くしろ!」
主任に押され、正一はステージに上がった。
香奈は昔からこういった場面が苦手で、ひどく緊張してしまうたちだった。
「……っ!」
香奈と目が合ってしまう。
あの日から、全く変わらない瞳がそこにあった。
懐かしい瞳はかっと見開かれ、正一を捉えて放さない。
一瞬とも、永遠とも思える視線の交錯であった。
「………………正一?」
「失礼」
正一は聞こえないふりをしてコードの端を掴むと、アンプに差し込んでステージから飛び降りた。
「……ええと、ごめんなさいね。これより私が国王に代わり、祝辞を――」
香奈は何事もなかったように祝辞を読み上げ、拍手とともにステージを降りた。
*
控え室で正一は地に足の付かない様だった。
間違いなく正体を見破られたに違いない。
最後に顔を見てから二三年、過酷な投獄生活を経て正一の風貌はすっかり変わっているはずだった。
なのに、香奈は一目で正一と気付いたのだ。
主任が顔を出した。
「おいショーン。また寮の五〇一号室から呼び出した。なんか知らねえが、お前を名指しで呼んでやがる。お前、何かやったのか?」
「さ、さあ。何のことやら」
「ま、ファルケと間違えたのかもしれん。とにかく、早く行ってこい。仕事は俺が代わる」
正一はタオルで手の汗を拭うと、寮に向かった。
ドアの前で深呼吸をすると、五〇一号室をノックする。
「管理課です」
あえて名乗らなかった。
「開いてるわ。入って」
レイナの声に、正一はドアノブをひねる。
「失礼します」
思った通り、レイナとマリアナの他に香奈がいた。
マリアナは王妃を前にカチカチに固まっていて、まるで彫像のようだった。
「レイナ。マリアナさんも。私、少しこの方とお話があるの。席を外してくれないかしら?」
「……一〇分だけよ。色々とうるさいのが嗅ぎ回っているから。週刊センテンススプリングなんて、いくら圧力をかけても屈しないじゃない。売れてるからって生意気よ」
「レイナ。報道の自由を権力が侵害してはなりません。権力者の意のままに記事を書くのはただの広報。報道ではないわ。それにそもそも、私がそんなヘマをするとでも?」
レイナは不機嫌そうにマリアナの背中を押した。
「思わないわ。行きましょう」
二人は出て行った。室内には正一と香奈が残される。
「ごめんなさいね、生意気盛りの年頃なの」
「自立心が強く立派なお方です」
香奈は正一を見た。
「えっと。……正一……よね?」
正一は片膝をつき、深く頭を垂れながら言った。
「……人違いにございます、王妃様」
「顔を上げて」
香奈は、正一の顔にある古傷を撫でた。柔らかく、温かい指だった。
「普段はほとんど見えない傷よね。この傷はベヘタルの戦いで私をかばって――」
ぼくだよ。正一だよ。
そう叫びたくて仕方がなかった。
それをぐっと堪え、大きく深呼吸をする。
「人違いです。この傷は労災によるものです」
香奈は手を引っ込めた。正一は一歩後ずさる。
「私はショーン・ハリヤー。ただのしがない技師にございます。ルカニド村の農家に生まれ、長年農具の整備を生業としておりました。モスキト伯爵オクタビオ・カルバハル様に見初められ、一年前から王立学院管理課の職を得ている次第です」
「……そう。頭を上げてください」
顔を上げると、香奈は嬉しそうで、また寂しそうな不思議な表情をしていた。
「ハリヤーさん。少し私の昔話を聞いてもらってもいいかしら」
「王妃様の仰せのままに」
「私には、幼なじみの男の子がいました。ご存じでしょうが、私はオルミガ王国の出ではありません。やむにやまれぬ事情により、一五の時にこの国に来たのです。私たちは魔法の力がありましたから、第一次魔族戦争に駆り出され、各地の戦線を転戦しました」
「はっ。癒やしの魔法で、数多くの将兵をお救いになったと聞き及んでおります」
「あなたの傷も私が――」
「人違いです」
沈黙。香奈は正一を、頭のてっぺんからつま先まで、まじまじと見つめていた。
軽く息を吐く音がする。
「話を戻しましょう。ある寒い日の事です。私たちはベヘタルの戦線から後送され、王都で休暇を過ごす予定でした。しかし、幼なじみは急な転属を言い渡されてリリオへと向かい、そこで亡くなりました。少なくとも、私はそう聞かされたのです」
「……お悔やみ申し上げます」
「私は信じられませんでした。幼い頃からずっと一緒だった彼が、私に何も言わずに居なくなる訳がない。どこかできっと生きている。そう思って、何年も各地を探し回りました。……そう、何年も。戦争が終わってからもです」
「……」
正一は唇をかみしめた。
「どこかで生きている。そう思いたかったのです。彼は……結局見つかりませんでした。見つからないことを悟ってもなお、私は旅を続けました。ですが、いつしか報われる見込みのない旅路に、私は疲れ切っていたのです。かねてから私に求婚していた王に、私は嫁ぎ、レイナが生まれました」
「……」
「ですが、三年前の事です。ある男が、クカラチャ要塞の監獄を脱走したと騒ぎになりました。手配書を見て、私はすぐに気付きました。私が長年探し回った、あの幼なじみだと。私は憲兵隊を言いくるめて、似顔絵を描き換えさせました。一方で、思い出だけを頼りに別の似顔絵を描かせ、再び幼なじみを探し始めたのです。……ハリヤーさん。もう一度、私によく顔を見せて」
正一は顔を上げ、香奈を見た。
香奈の瞳には、大粒の涙が溢れていた。
「王妃様。……その幼なじみも、果報者にございますな。きっと、感謝していることでしょう。ですが……私はその男ではありません。ルカニドの技師、ショーン・ハリヤーなのです」
正一は踵を返した。ドアノブに手を掛ける。
「気をつけて。『この世界』に労災という概念は無いわ。怪我をして働けなくなった労働者は、そのまま捨てられるだけよ。酷い世界だと思わない?」
迂闊だった。
「ハリヤーさん。今はあえてそう呼びます。私に会う必要がある時は、娘に言ってください。私もあの子を通じてあなたに連絡を取ります」
「かしこまりました。……失礼いたします」
正一は部屋を出た。
壁に背を預け、深く息を吐く。
完全に正体を見破られている。
しかし、それはそれで良いような気もしてきた。
物事、なるようにしかならないのだ。
「ショーン……で合ってたかしら」
廊下にはレイナが壁に背中を預け、気難しげな顔で腕組みをしていた。
「はい。お嬢……生徒さん」
「レイナでいいわ。いいこと? ママに変な気を起こさないことね。わたしのパパは世界一強いんだから。あなた、確かにちょっとばかり強いけど、パパには及ばないわ」
「存じております。王妃様に色目を使うような真似は、あまりにも畏れ多く、私のような下賤の輩に許されることではありません」
「そうよ。だから、早く行って」
「仰せのままに。失礼いたします、レイナ様」
立ち去ろうとする正一をレイナは呼び止めた。
「やっぱり待って」
「まだ何か?」
レイナは少し頬を膨らませると、目をそらせたまま言った。
「食堂の時は、その……助けてくれて……ありがと」
「当然のことをしたまでです。私は学院の技師ですから」
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