第11話 狂言革命

 マリアナは寮でレイナの情報を仕入れてくれる。

 しかし、人目があるので技師室でしか話せない。

 いつも入り浸ってもらう訳にもいかないだろう。

 おいおい、相談できる相手というのはエウフェミアしかいなかった。

 その日の仕事を終え、屋敷の勝手口を開ける。


「お帰りなさいませ。ご主人さま」


 エウフェミアが待っていた。


「エウファミア様。……私をキモいと思いますか?」


「いいえ全く。誰ですか、そんなことを言うイカレポンチは。ボクが絞め殺してきます」


「やめてください。それより、さっきのは本当ですか? 気を遣わず、素直に思ったまま言ってくださって結構ですよ」


 エウファミアは顔を真っ赤にしてしゃがみこんでしまった。

 身体をくねらせながら、小声で何かをボソボソと言っている。

 ニヤニヤとした笑顔で、とても楽しそうだ。


「……す、……好――でも、できれば乱暴に――――です。は、恥ずかしい……うふ」


「あの、エウファミア様」


 正一が声を掛けると、エウファミアはかぶりを降って立ち上がった。


「コホン。ご主人さま、どうかなさったのですか? そんな悲しげな瞳をなさっては、ボクまで悲しくなってしまうのです」


「……いえ、大したことでは」


「差し支えなければ、お話ください。話すだけでも、心が軽くなるものです」


「……」


「無理にとは言いません。お話いただけないのでしたら、せめてボクを隣に置いてほしいのです」


 エウファミアは正一の部屋に入ると、ポットからハーブ茶を注いだ。


「どうぞ。ボクがご主人さまのために特別に調合したものです」


「ありがとうございます……」


 心がスッとするような香りだった。ミントがちょうど良い具合にきいており、頭がすっきりする。


「ご主人さま。その雑誌は何でしょう?」


「ああ、これですか。少女雑誌です。エウフェミア様にどうかと思い、読み終えた人からもらってきたんです」


「まあ。ボクのために?」


「いちおう目を通しましたが、荒唐無稽で幼稚かもしれません」


 エウフェミアは正一の横に腰を下ろすと、雑誌をめくり始めた。エウファミアはぎっしりと詰まった活字も一瞬で読むことができる。


「荒唐無稽で幼稚です」


 レイナも同じ事を言っていた。


「やはり」


「ですが、女の子の憧れが形になっています。現実にあり得ないからこそ、楽しいのです」


「あり得ませんか」


「あり得ません。ですが、仮に現実になったとしたら、どんな嫌っている相手であっても見直すと思うのです」


 正一はエウフェミアを見た。嬉しそうな顔をしてページをめくっている。


「エウフェミア様。じつは、今日こんな事がありまして――」


 正一はレイナとの事を話した。

 エウフェミアは、最初こそ素直に聞いていたが、レイナの態度には露骨に怒りを露わにした。


「信じられません! ご主人さまをそんな邪険に扱うなんて!」


「ですが世間一般的には、若い女の子はオッサンを嫌うものではありませんか」


「かもしれません。ボクとて、ご主人さま以外のオッサンに興味はないのです。ですが、それはあくまでも日常の中で関わらない存在だからなのです。マリアナも言っていました。オッサン好きの若い娘が、量子の泡の向こう側になら微粒子レベルで存在する可能性も完全には否定できない、と」


「それは本当ですか!」


 この宇宙には存在しないと言っているに等しいが、この時の正一は気付かなかった。


「はい。例えば、このページを見てください」


 エウフェミアが少し正一に腰を寄せた。微かな香水の香りがする。


「ヒロインが憧れるのは、担任の教師です。彼女の日常の中で、接点がある大人の男性は教師だけなのです。なので接点を作ることで好感度を上げることは可能です。ですが……」


「私は教師ではありません」


「はい。そこで、こちらのページをご覧ください」


 正一は雑誌を受け取り、当該ページを読み返した。


「まさか、これをやれと?」


「はい、ご主人さま。ちょうど、旧ビボラ団の残党が旧交を温めるべく王都に集っているのです。オクタビオを呼びましょう」




 翌日。

 寮の食堂に入った新任のウェイトレスが評判を呼んでいた。

 休暇中の生徒までもがことごとく押し寄せ、ウェイトレスを一目見ようと長蛇の列を作っていた。


「三番テーブル。日替わりA四つ。四番テーブル。フォアグラセット三つ。五番――」


 メイド服と同じエプロンドレスのエウフェミアは、まるでベテランのように注文を次々と捌いていく。

 調理器具を修理する素振りをしながら、正一は感心していた。

 エウファミアはマッチ工場で働いていた。

 労働環境は劣悪で、給料も休日もなく、一日一五時間ひたすら棒の先に火薬を着ける作業を、一三歳まで八年もの間繰り返してきたのだ。

 当然、この世界の事なのでオートメーション化はされていない。

 自分のことをボクと言うのも、その時の名残だった。

 工場では母の遺言通り髪を短く切り、男の子として振る舞っていた。

 長い髪が工場では危険なためと、幼女好きな男を避けるためである。

 正一自身、初めて会ったときは男の子だと思ったものだ。

 入り口の扉が開き、マリアナとレイナが入ってくるのが見える。

 マリアナは正一に目配せをした。

 レイナの食事が出たところで、テロリスト役が突入する手はずになっている。

 思わずため息が出た。

 果たして、エウファミアの案に従ってよかったのだろうか。

 荒唐無稽と自分で言っていたではないか。

 日本の中高生であれば、学校にテロリストが侵入して生徒――たいていクラスで一番美人の女子――を人質に取り、自分が無双して悪党を叩きのめす、という空想を必ずするものである。

 現実にはそうそうあり得ない。

 しかし、外国では例がない訳ではない。ましてや、ここは異世界なのだ。

 エウファミアが目配せしてきた。

 懐中時計で時間を確認する。


「……遅い」


 あまり時間はない。

 食事を終えるとレイナは出て行ってしまうのだ。

 マリアナが時間稼ぎをしてくれるが、限度はある。正一は心配になり、厨房から職員通路への扉を開いた。


「動くな。どけ」


 覆面をしたテロリスト集団がいたので、正一は両手を挙げて壁側へ寄る。

 武器は刀剣や弓矢だ。

 この世界に銃はない。

 銃があれば魔法使いは役割がなくなってしまうため、製法は秘匿され、所持も製造も厳重な規制が敷かれている。

 テロリストが厨房へ突入し、隣接した食堂は阿鼻叫喚の巷と化していた。

 頃合いを見計らって正一が突入し、テロリストを捕らえる事になっている。


「……変だな。人数が合わない」


 ドン、ドンとゴミ置き場の扉が乱暴に叩かれていた。

 中からうめき声が聞こえてくる。

 扉にはモップでかんぬきが掛けられ、中から開かないようになっていた。

 恐る恐るかんぬきを取り、扉を開ける。


「んん~! ふぉっふぇふふぇ!」


 覆面をしたテロリスト集団が縛り上げられ、猿ぐつわを噛まされて転がっていた。

 ビボラ団だ。正一は手近な一人の猿ぐつわを外してやった。


「大変だ、誰かがマジモンのテロリストに情報を流したらしい……! あいつら、本当に生徒を人質にとって王国政府を脅迫する気だ!」


「マジですか。オクタビオさんは?」


「ボスは倒れて入院した! 俺らだけでやろうと思ったが、あいつらが横やりを入れやがったんだ!」


 あのオクタビオが急病というのは気になったが、今はそれどころではない。


「わかりました、作戦は中止です。あなたたちは手はず通りに脱出してください」


「す、すまねえ……」


 茶番のテロ事件を起こした後、彼らは技師しか使わないメンテナンス通路から脱出させる予定だった。

 生徒の大半は貴族の子弟であり、捕まれば死刑である。

 彼らのノリの良さは見習いたい部分もあるが、あまりにも浅慮であった。

 しかしそれも若さゆえのなせる業と思えば、眩しくもある。

 食堂から悲鳴が響き渡った。

 厨房からホールへと出るドアは押さえられており、スタッフたちは壁際に集められていた。


「あのう……」


 出入り口を固めるテロリストは、正一に向けて弓をつがえた。


「これが見えるか? 平民を傷つけるつもりはない。おとなしく壁際へ寄れ」


「でも、中の様子が見えないと困るんですよ」


「何を言って――」


 魔法によって一〇〇倍に加速し、弓をへし折って当て身を入れた。

 時間を戻す。


「――ぐえっ」


 この技を使うと、当然だがその分だけ寿命が減ってしまうのだ。

 一回ごとの時間は微々たるものだが、若くはないので切実な問題であった。

 お金に例えれば、コンビニや自販機ではなくスーパーを使い、飲み物は自宅で用意して水筒に入れるような感じでこまめな節約が大切なのだ。

 ここぞという時にしか使うべきではない。

 お金と違って時間は増やすことができず、減る一方だからだ。

 厨房のスタッフたちが呆気にとられる中、正一は調理台の脚に気絶した男を縛り付けた。

 コック長のファルケが真っ青な顔で言う。


「ハリヤーさん、あんたいったい……」


「お静かに。ファルケさん、私に『何とかしろ』と言ってください」


「えっ?」


「早く!」


「な、何とかしろ……?」


「お任せを。……みなさん、聞きましたね? ファルケさんの指示を受け、ハリヤー、出ます!」


 そっとホールの様子をうかがう。

 その途端、ずん、と空気が重くなるのを感じた。

 牢の中に常に漂っていた、魔法を無効化する結界が張られている。

 食堂の四隅にそれらしき金属塊が見えた。

 特殊な重元素で、一定範囲内の空間を歪曲し魔法の発現を妨げる効果があった。

 重要拠点においては必需品であり、正一が入っていた牢の鉄格子も同様の仕組みだ。

 知らぬが仏だが、おそらく何らかの放射線が出ているのだろう。

 幸いガンになったという話は聞かない。

 つまり、体術だけでどうにかしなければならないのだ。

 魔法使いの多い生徒たちが抵抗しない理由もここにある。

 生徒たちとエウファミアがテロリスト集団に包囲されていた。

 人数は一〇人。

 なんともご丁寧に、一人がレイナの首筋にナイフを突きつけている。

 五〇代ほどの、目つきの鋭い男だ。


「わたしに刃を突き付けるのがどういう意味か、あなたはわかっているのでしょうね」


 レイナは口調こそ堂々としたものだったが、その男から死角になる右手は震えていた。


「ええ、ええ! 重々承知していますとも! あなたが死ねば、王様がお嘆きになる! せっかく終わった戦争を蒸し返し、わしの息子二人を死なせた王様も、人の痛みというものがわかることでしょう!」


「……お悔やみ申し上げるわ。政府から必要な補償を……」


「カネ? カネですと? カネで買えないものにこそ真の価値がございます! すなわち命! 王侯貴族がいかに勇ましいご高説をたれようと、戦の最前線で真っ先に死ぬのは、常に我ら平民にございます、姫。たまには学院に通うお貴族様も、無意味に死んでみるのはいかがでしょうな? 人間、死んでしまえば平民も貴族も平等ですぞ!」


「わたしを殺してもたいした意味は……」


「他の貴族が王位に就き、何も変わらないとおっしゃるか。ですが、民あっての国にございます。国とは民の集合体であることをお忘れなく。魔族は王様すら入れ札で決めるというではありませんか。極論、民さえいれば王など不要なのです。お亡くなりいただいた方が長期的にはお国のためになると思いますが、いかがでしょう? お答えください、姫! お答えいただけないのなら――」


 男のナイフが動いた。正一は手近なフォークを掴むと、男の額に投げつけた。男は白目を剥いて倒れる。


「あの、すみません。手が滑って」


「な、なんだお前は!」


 生徒たちを狙っていた弓矢が正一に向けて放たれた。

 正一は飛んできた矢を人差し指と中指で掴むと、放った本人に投げ返した。


「なんだと言われましても……ただの技師でして。ああ、急所は外してますんで、なにとぞお手柔らかに」


 数十本の矢が飛んできたので、テーブルを起こして盾にする。


「お前だって平民だろうに! こいつらに味方するのか!」


「そうですね、はい。でもその、生徒さんの中にも平民の方がいますし。二割くらい」


 剣を振りかぶって斬りかかってきた男に足払いを掛ける。

 転んだところを剣をもぎ取り、柄で当て身を入れる。


「学院に万が一の事がありますとね。その、私の仕事も無くなってしまうわけでして。ただ、皆さんのおっしゃることも理がありますので、ここはどうか、私に免じて剣を収めていただけると助かるかな、と。そのように――」


 正一は厨房のドアを指さした。コック長が心配そうに覗き込んでいる。


「――そのように、コック長のファルケさんがおっしゃっています!」


 一応嘘ではない。

 何よりも、食堂の責任者はファルケである。

 正一は残ったテロリストと一瞬で距離を詰め、一人、また一人と当て身を入れていく。

 全員を倒すのに三秒と掛からなかっただろう。

 マリアナを含む生徒たちがあんぐりと口を開けていた。

 正一はエウファミアとマリアナに目配せをした。

 二人は納得したように叫んだ。


「さすがコック長のファルケさんです!」


「すごい、ファルケさん! 賊を一人で技師に退治させるなんて!」


 正一は足早に厨房に戻ると、ファルケの背中を押して生徒たちの輪の中に押し込んだ。


「ファルケコック長、ばんざーい!」


 生徒たちの中からも万歳の声が上がり始めた。

 正一はファルケを残し、その場から逃げるように立ち去った。

 冷静に考えるまでもなく、この理屈は破綻している。

 しかし、人間を動かすのは理屈ではなく感情なのだ。

 また、その場の勢いというものは常に大衆を扇動してきたものである。

 貴族の子弟にしてみれば、平民の技師よりも、下級とはいえ貴族であるコック長の手柄であると思いたがるものなのだ。

 通報を受けた警備の兵士たちが、厨房に押っ取り刀で駆けつけた。

 ファルケコック長は後に英雄として祭り上げられ、勲章を受け取る事になる。

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