第10話 王立学院

 翌朝。正一は作業服に着替えると、自転車にまたがった。

 ペダルを踏んでクランクとチェーンで車輪を回す、地球ではおなじみの物だ。

 しかし、チェーンやベアリング、被覆されたワイヤーなどは、規格化された高度な工業技術が無ければ作ることができない。

 かつてこの世界では夢物語だったものが、今は当たり前のものになっている。

 さらに量産されることでコストが下がり、庶民でも買える値段になっていた。

 町並みは急激に移り変わりつつある。

 遠くの山へと目をやれば、もくもくと黒煙を上げてトンネルから汽車が現れるのが見える。

 少し遅れて汽笛の音が響いた。

 足下を見れば石畳はアスファルトに取って代わり、夜にはガス灯が灯るようになっている。

 電線を伝ってモールス符号が行き交い、馬車鉄道が通勤の足になっている。

 先日など路面電車が登場し、ついには電気を使った照明まで普及し始めた。

 現在の国王が即位して以来、急速な技術革新が進んでいたのだ。

 まるで地球の歴史をなぞっているかのように。

 しかし、科学技術の発達はちぐはぐだ。

 技術の発達に人々の精神が追いついておらず、そのアンバランスさはまるで舞台の書き割りのようだった。

 一言で言えば、色々な部分で雑である。

 正一は王立学院の通用門に自転車を止めると、ポケットから偽造の身分証を取り出した。

 入り口の警備員に提示して中へ入る。

 春休みだからか、生徒たちはまばらだった。

 主任が蓄音機――学院の備品だ――でジャズを聴きながら正一に指図する。


「ショーン。出張から戻ったばかりで悪いんだがな、寮の五〇一号室で電球切れだ。行ってきてくれ」


 正一は倉庫から白熱電球を取り出し、脚立を担いだ。

 寮は学院の敷地内にある五階建ての建物だ。

 石造りの伝統的な外観とは裏腹に、最新の技術が盛り込まれている。

 窓は全て透明な板ガラスで覆われ、電動モーターを使ったエレベーターまで設置されている。

 もっとも、生徒と教員しか使うことはできない。

 階段を使って最上階へ向かうと、軽く息が切れた。

 五〇一号室の部屋番号を確認し、呼び鈴を鳴らす。


「管理課のショーン・ハリヤー技師です。電球交換に参りました」


「開いているわ。入ってちょうだい」


「失礼します。お嬢様」


 きらびやかな内装に、わかっていてもため息が出る。

 広さは二〇畳ほどで、部屋の西側は、机と空のベッドがあるだけで何も無い。

 二人部屋なのだ。

 規則で身分を問わず相部屋ということになっている。

 部屋の東側では、ようやく引っ越し作業を終えたらしい新入生が、椅子で紅茶を飲んでいた。

 腰までの黒髪に、つり目がちの黒い瞳。

 正一とは初対面だが、どこかしら懐かしい雰囲気をたたえていた。

 形のよい脚を組んで、膝の上には雑誌を広げている。

 豊かな胸に思わず目が行きそうになるのを必死で堪えた。

 予想外だ。たかが小娘と思っていたのに、予想以上に大人っぽい。

 この年頃の女の子というのは、正一にとってはマリアナが基準になっていたのだった。とても同い年には見えない。エウファミアが特別なわけではなかったのだ。


「あそこよ」


 壁のスイッチを入れると、部屋の中央に吊り下げられたシャンデリアに光が灯る。

 いくつかの電球が切れていた。


「あっはい。ただいま交換いたします。お嬢様」


 カバーを取り外し、切れた電球を外していく。

 交換は程なく終わった。


「ついでに読書机のスタンドライトも換えてくださらない? 前の住人はよほど早寝早起きだったようね」


「かしこまりました。ですが、電球の規格が異なります。取りに行きますので、少々お待ちいただけますか?」


「別に急いだりしないわ。でも、粗悪品はやめてちょうだい」


 正一は倉庫に行って小ぶりな電球を手に取った。

 わざわざ本当に取りに行かなくとも、あらかじめ用意してどこかに隠れ、頃合いを見計らって戻るべきだったかもしれない。

 当然、切れやすいように細工をしておいたのだ。

 スタンドは複雑なデザインで、半ば分解しなければ交換できない仕様になっている。


「お、お待たせいたしました。お嬢様、少々お時間を頂戴します」


「ええ、適当にやってちょうだい」


 正一はドライバーを手に、スタンドの分解を始めた。

 机の上にネジや部品が並んでいく。

 特に難しい作業ではない。しかし、この世界でネジが使われ始めたのは、ここ二〇年ほどの事らしい。


「面倒なのね」


 来た。


「高級品ですからね」


「光れば何でもいいわ。こんなのは無駄よ」


「仰るとおりでございます。ですが、生徒さんたちが快適な学院生活を送れるよう支えるのが私どもの仕事ですので。デザインもまた、機能の一つでございます」


「そう。立派じゃない」


「恐れ入ります。ですが、お嬢様こそ将来の国を背負って立つお方です。私どものような下賎の輩とは異なります」


「それは違うわ。人間は本質的に、社会における役割を演じているに過ぎないの。王には王の、技師には技師の矜持があるのではなくて?」


 正一は大げさに感心したような素振りをした。


「目から鱗でございます、お嬢様。お嬢様のようなお方がいれば、まだまだわが国も安泰ですな」


「お嬢様はやめてちょうだい。せっかく寮に入って多少は自由に振る舞えるのに、お嬢様扱いはうんざりだわ」


「それでは、どうお呼びしたらよろしいでしょうか」


「生徒さんでいいわ。終わったら早く出て行って」


 よく考えるまでもなく、電球を交換に来た技師と生徒が会話する必要など無い。

 彼女の――レイナ・アキハラの信頼を得るという目論見は早くも崩れ去った。

 そもそも根本的に、一六歳の頃から二〇年間も引きこもっていた中年男が、思春期の少女を上手く言いくるめられる訳がないのだ。

 女性の前に出ると顔が真っ赤になって何も言えなくなってしまうのを、相手は子供だと何度も自分に言い聞かせてきたのに、完全に無駄であった。


「失礼いたしました。……完了でございます」


「ご苦労様。また何かあったらお願いするわ」


 このまま引き下がるわけにはいかない。

 何かしら、次の一手を考えなければならなかった。ヒントだけでもいい。

 レイナは読んでいた雑誌を屑籠に放り込んだ。


「捨ててしまうのですか?」


「ええ、もう読んだから。それに、内容が幼稚で荒唐無稽なのよね。欲しければあげるけど、まさかあなたが読むの? キモいわ」


「……その、私の家にもお嬢様……生徒さんと同年代の娘がおりまして。話題に困っておりましたので、願ってもないことです」


「へえ、意外じゃない。とても人の子の親には見えないけど」


「血のつながりはありません。あの、親戚の子を引き取ったのです」


 レイナはそそくさとドアを開けた。早く出て行けという明確な意思表示だ。


「そう。いいことを教えてあげる。あなたのパンツを、その子のものと一緒に洗うのはやめなさい」


「は、気にとめておきます」


 正一は雑誌を手に部屋を出ようとした。


「待って」


「他に何か?」


「あなたくらいの男の人って、誕生日に何をもらったら嬉しいと思う?」


「そうですね。野球のボールやグローブなどいかがでしょう」


「バカじゃないの。そんなもの……あっ」


 レイナは怪訝な視線を正一に向けてきたが、すぐに視線をそらした。


「……なんで知ってるのよ」


「さて、何のことやら。では、失礼いたします」


 レイナ・アキハラ。

 彼女こそオルミガ王国王女にして、秋原透と香奈の一人娘であった。


 国王夫妻への謁見は簡単ではない。

 少なくとも貴族でなくてはならず、従者であっても事前に身元を詳細に洗われる。

 戦争で大手柄でも立てれば別だが、現在は平時である。

 だが、いくつかの抜け道はある。

 王立学院の入学式と卒業式には、国王夫妻が揃って訪れる。

 そして、そのセッティングをするのは学院のスタッフである。

 実際に授業を行う教師や助手以外は、民間への委託が進められていた。

 コスト削減を目的とした、現国王による改革の一環である。

 そして、その会社の株の八割をオクタビオが握っているのだ。

 ましてや、今年はレイナが入学する。

 二人揃って必ず来るはずなのだ。

 その時、透に近づく機会は必ずある。

 透に詰め寄ってどうするつもりなのか。

 何を言うつもりなのか。

 言いたいことはたくさんある。

 しかし、具体的な考えがあるわけではない。

 少しでも動きやすくするため、レイナの信頼を得る必要があった。


「クソ。こんなところで三九歳童貞という足枷が邪魔をするとはな」


 正一は独りごちた。しかし、いくつも張り巡らせてある策の一つが潰れただけに過ぎない。

 一階に降りると寮の入り口が開き、トランクを持ったマリアナが入ってきた。

 マリアナは正一に気付くと笑顔で駆け寄ろうとしたが、正一は口の前で人差し指を立てる。

 マリアナはハッとした様子で軽く咳払いをすると、何も言わずにエレベーターに乗った。

 行き先は五階。今日からマリアナはレイナのルームメイトとなる。

 マリアナは状況を逐一報告してくれるのだ。

 彼女こそが、次の策の鍵であった。


 *


 夕方、マリアナは技師控え室を訪れた。

 マリアナはすぐにレイナと仲良しになったらしい。

 一緒に食事をすることにしたそうだ。

 これはマリアナの才能としか言いようがなく、誰にでも愛される天使のような子だ、と正一は思っている。


「ねえショーン。レイナに何かヘンなことした?」


「いいえ、何も」


 マリアナは言いにくそうに言葉を絞り出した。


「その。なんかレイナがね、あの。……技師がキモいっていってる」


「そ、そんな……」


「あ、あたしがいったんじゃないよ。おもってもいないし。ショーンのことは、お父さんの次の次の次くらいに好きだよ。だから、あんまりおちこまないでよ」


 マリアナの態度が逆に苦しかった。


「信じていますよ」


「とにかく、さっきゅうに手を打たなきゃ。あたしはもうちょっと探りを入れるけど、あんまりレイナに近づかないほうがいいかも」


「……わかりました。次の手を考えます」


 正一が部屋を出ようとするのを、マリアナは引き留めた。


「まって。何かする前に、かならずあたしかエウフに相談するんだよ。かってなことしちゃダメ。女の子は一度キモいとおもったら、それをふっしょくするのが難しいんだからね」


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