第9話 三年後……

 オルミガ王国首都、王都オルミガ。

 その高級住宅街に建つ白亜の豪邸の前に、一台の馬車が停まった。

 四頭立ての豪奢な馬車の扉には、隣国アラニヤ王国の貴族、モスキト伯爵家の紋章が描かれていた。

 御者によって扉が開かれる。


「とおっ!」


 着飾った良家の令嬢が勢いよく飛び降りた。

 スカートの裾を翻しながら空中で一回転し、完璧な着地を決める。

 カツン、と石畳にかかとの音が響いた。


「こら、マリアナ。はしたないぞ」


「あっ、いけない。今日からは静かにおりるんだった。ついいつもの癖がでちゃって」


 令嬢はマリアナだった。

 マリアナに続いて降りてきたのは、父親のガスパルと母親のダナだ。

 二人とも立派な紳士淑女といったいでたちである。

 屋敷の入り口までの広い前庭は、出迎えのメイドたちがかしずいている。

 ドアが開き、一人の紳士が威風堂々と歩いてきた。

 身長は二メートル一〇センチ。

 三年間で背が伸びた、オクタビオ・カルバハル・オブ・モスキト伯爵である。

 あまりにも発達した筋肉のために、特別にあつらえた伸縮素材のタキシードを着ていた。

 かつてはモヒカン刈りがトレードマークだったが、今は黒髪をポマードで丁寧にセットしている。


「久しぶりじゃねえか……いや、お久しぶりっす。ガスパル殿。ダナ様」


 ガスパルは呆れたような顔をした。


「やれやれだ。変われば変わるものだな、オクタビオ」


「昔のことは言いっこなしっすよ。オレの恥なんでね」


 オクタビオは隣国で爵位と領地を購入し、名実ともに貴族となっていた。


「立ち話もなんだ、まあ入ってくれ」


「邪魔するよ。ふん、屋敷も服装も、嫌みな成金趣味だ」


「御者にもそう言ってやれよ。……できるものなら」


 三人はオクタビオに続いて屋敷の中へと入っていった。

 マリアナは王都にある全寮制の王立学院に入学することになっていた。

 ダナとガスパルは入学式に参列するべく上京したのだが、式までの数日間をマリアナも暮らすこの屋敷で過ごすのだ。

 御者は空になった馬車のドアを閉め、屋敷の裏手にある馬房へと向かった。

 馬車を車庫にしまい、馬を馬房に入れる。

 四頭それぞれに、軽くブラシを掛けてやった。

 馬がお返しの毛繕いをしてやろうという好意は、人間にとってはありがた迷惑なものである。

 四〇の足音が迫りつつある御者、すなわち佐藤正一にとっては、重要な問題であった。


「……よし」


 正一は裏口から屋敷に入る。

 厨房を抜け、ホールとつながる扉を開いた。

 そこには、一人の少女が立っていた。

 肩まで伸びた銀色の艶やかな髪と、少し尖った耳、赤い瞳に陶器のように白い肌の、一五歳ほどの少女である。

 外見の要素は魔族の特徴を色濃く残しているが、全体的な姿形から受ける印象は、人族のそれに近い。

 黒地に赤いフリルで装飾されたドレスは上質の絹で、王都で最も評判の高い職人の力作である。

 服の黒が銀の髪を引き立てていた。


「お待ちしておりました。お帰りなさいませ、ご主人さま」


 少女は正一の前に跪き、深く頭を下げた。


「頭を上げてください、エウファミア様」


「メス豚とお呼びください」


「無理です」


 そんなことは不可能だ。正一は続けた。


「そもそもエウファミア様。私はあなたの主人ではありませんよ」


 しかし少女はかぶりを振った。


「ですが、それでもボクをお買い求めくださったのはご主人さまです。エウファミアはショーン・ハリヤー様の所有する奴隷であると、王国政府は正式に登記しています」


「他に方法が無かったのです。マッチ工場からあなたを合法的に引き取るためには、やむを得ないことでした。人間は人間を所有することはできないし、してはならないのです」


 エウファミアは俯いてハンカチを噛んだ。

 目尻には涙が浮かんでいる。


「ボクはもう、いらないのですか? ご主人さまは、ボクを廃棄処分になさるのですか? それならせめて、ご主人さまの手に掛かって人生を終えさせてください」


 エウファミアは手を組んで頭を垂れた。


「違いますよ、そんな話ではありません。あなたは誰のものでもない。エウファミア様はご自身の望むように、自由に生きるべきなのです」


「だとしたら、なおさらボクは正一さまの奴隷であり続けたいのです」


 エウファミアは正一に乗馬用の鞭を握らせた。


「これは馬に使うものですよ」


「中年のオッサンは女奴隷をせっかんするものと相場が決まっているのです」


「そんなことしたら正義のヒーローが現れて私をやっつけますよ。それも若いイケメン」


「正義と悪は相対的なものだとご主人さまはおっしゃいました。もしそうなれば、ボクがその不届き者を消します。これも用意しています」


 エウファミアはロウソクと荒縄を取り出して並べた。


「しまってください。そもそも私がエウファミア様を叩きたくないと言っているのですよ」


「……ちっ」


 何か聞こえた気がする。

 ブツブツと不平を言いながらも、ようやくエウファミアは顔を上げた。


「……かしこまりました。主人の手を煩わせる奴隷は悪い奴隷です」


 正一は帽子を取ると、エウファミアの肩に手を置いた。


「とりあえず、部屋に戻りましょう。メイドたちが困っていますよ。それから、私のことは、ショーンと呼ぶよう言ったはずです」


「申し訳ございません、ショーン様。ですが、せめて屋敷の中では、ご主人さまと呼ぶことをお許しください」


 正一は頬を人差し指で掻いた。


「どうしてもですか」


「はい。ご主人さまにお仕えすることが、ボクの一番の幸せなのです」


「仕方がありません。屋敷の中だけですよ」


「ありがとうございます、ご主人さま。でも、ボクは忘れっぽいので、つい外でもご主人さまと言ってしまうかもしれません。でも、それはうっかりの過失なのです。罰してくださいまし」


 エウファミアは再び乗馬鞭を正一に握らせた。

 洗濯籠を抱えたメイドが通りかかったので鞭を渡し、元の場所にしまっておくよう伝える。


「さて。では部屋に戻りましょうか」


「はい。その、お許しいただけるのであれば、お手を拝借してよろしいでしょうか」


 正一が右手を差し出すと、エウフェミアはそっとその手を取った。


「ところでエウファミア様。このやりとりは五度目なんですが」


「よい話は何度でもしたいものです。ご主人さまは全てに絶望していたボクを、暗闇の中からすくい上げてくださいました。ボクの人生の全ては、ご主人さまのためにあるのです。……正一様」


 正一は肩を落とした。

 この奴隷少女とどのように接してよいのか、未だににわかりかねているのだ。

 

「なあアニキ」


 オクタビオが正一を呼び止めた。

 紙ばさみに綴じられた手書きのメモを持っている。


「アニキのオレ宛てのメモ見たんだがよ。カラマル電設はもうダメだろ。高値から三割も下げてる。まだまだ落ちるぞ」


 答える前に、マリアナの顔を見る。マリアナはかぶりを振った。


「そう思うなら、すきにしたら? あたしはとめないよ。でも、分けてあるじぶんの口座でやってよね」


「マリアナはこう言っていますよ、オクタビオさん。コンピューターの導き出した予測数値とマリアナの相場観に従うことで、あなたは現在の地位を手に入れた。それをお忘れなく」


 コンピューターは平均的な株価指数を予測することはできても、個別銘柄の動きは予測しない。

 そこに意外な才能を発揮したのがマリアナである。

 しかし、この国では平民の株取引は認められていない。

 したがって、取引は全て貴族であるオクタビオの名義で行われていた。

 マリアナや正一は、形式上使用人として証券会社の窓口に赴いているのだ。

 オクタビオが自分自身の手で管理している三つの証券口座は、全て破産状態である。


「やすくかってたかくうる。そんな単純なことなのに、どうしてできないの?」


 オクタビオは肩をすくめて両手を挙げた。


「わーったよ。言うとおりにするよ」


「べつに好きにしたらいいよ。オクタビオのお小遣いだもん」


「いや、マリアナに従うぜオレは」


「だから自分でかんがえてよ」


 正一は、最初の種銭を作るためにオクタビオと汗を流した日々を思い出した。

 鉱山、工事現場、それにマッチ工場。

 脱獄以来、身許もおぼつかない正一は、オクタビオを王都における事実上の後ろ盾として追跡から逃れている。

 軽口を叩きつつも、内心では感謝しているのだ。


「それよりもマリアナ。衣装部屋に仕立屋が来ています。制服のサイズを確認してもらってください」


「やったー! たのしみにしてたんだよね!」


 マリアナはパタパタと衣装部屋に向かった。

 ガスパルは落ち着かない様子で頭を掻いた。パリッとしたタキシードも窮屈そうだ。


「しかし、俺の娘が王立学院とはね。信じられんよ。俺が言うのもなんだが、ありゃただの田舎娘だぞ」


「とんでもない。マリアナの能力に見合った教育は、王立学院でしか受けられませんよ」


「読み書きと釣り銭の計算だけじゃダメか?」


「はい。私にはどうしても優秀で、かつ信用のおける同士が必要なのです。マリアナならば申し分ない」


「信じられん。ショーン、お前はいったい何者なんだ」


「ただの技師ですよ、今はね」


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