第8話 聖地巡礼

「小さな島にしては、ずいぶんと乗客が多いようですが?」


 船室はすし詰めで、老若男女がまんべんなく詰め込まれている。


「それはね、カラコル島がクォンタム教の聖地だからなの! みんな一生に一度はおまいりするんだよ」


「なるほど。マリアナも巡礼者なのですね」


「うん! 船のチケットはね、三まい以上で割引なの! あたし、くるのはじめて!」


「なるほど、それが付いてきた理由ですか」


 カラコル島が近づくと、山頂に大きめの神殿らしき建物が建っているのが見えてくる。

 神殿を中心として、巡礼者たちのための宿や食堂、商店が並び、そこで働く人たちの家がその周辺に広がっている。

 さらにその人々に供給する食糧を作る畑、人が集まればもめ事も起こるので治安機関もあり、子供が通うための学校まであるようだ。

 神殿へ向かう街路は人混みでごった返している。


「マリアナ、オクタビオさん。はぐれないように気をつけてください」


 一行はまるで満員電車から吐き出されるようにして船から下りた。


「おっさん、これ持ってろ」


 見知らぬ男から渡されたのは、何かと思えばプラカードだ。

『最後尾一〇時間待ち』と書かれている。

 すぐに警備の兵士が現れ、正一のプラカードの数字を張り替えた。

 一二時間待ちだ。

 マリアナとオクタビオはげんなりした顔をしているが、正一にとってはこの人混みすら懐かしさを覚えるものだった。


「基本、島に来た初日は宿を取るものなんだ。住民の迷惑だからって、徹夜で並ぶのは禁止だとよ」


「オクタビオさんは来たことがあるのですか?」


「ああ、ガキの頃だけどな。でもぶっちゃけ、変なガラクタがあるだけだ。何がありがたいのかさっぱりだぜ」


 さらに後ろに並んだ人にプラカードを渡し、じわじわと進んでいく。

 正一はマリアナの口数が極端に少なくなっている事に気付いた。

 顔が赤くなっており、唇がひび割れそうに乾いている。

 呼吸も荒いようだ。熱中症になりかかっている。


「オクタビオさん。やはり宿を取って明日にしましょう」


「ああ? せっかく並んだのに、無駄じゃねえか」


「ずいぶん日差しが強いですからね。私はあまりこういうのに慣れていないのです」


「ちっ。本気出しゃああれだけ強いってのによ。仕方ねえ」


 三人は列を離れ、手近な茶屋に入った。


「らっしゃい」


 そこそこに雰囲気のよい店で、都会のカフェを思わせる内装だった。

 暖色系で統一された内装に、木の温かみを感じるファニチャー。

 おそらく、地球人のセンスが入っている。

 正一は、地球に居た頃に香奈がこういった店を好んだのを思い出した。

 一度だけ背伸びをして一緒に行ったことがあったのだ。

 店主はカウンターの中で、無言でグラスを磨いていた。

 青白い肌に赤い瞳、長く尖った耳は、典型的な魔族の特徴だ。

 もう一人、三〇歳ほどに見える魔族の女がテーブルを拭いている。

 オクタビオが店主に聞こえるよう、大きな声で言った。


「おいおい、ここの店は魔族がやってるのかよ。魔族が入れた茶なんか飲めねえっつの。アニキ、他の店にしようぜ」


 正一は無言でオクタビオの頭を掴むと――怪我をしない程度に加減してだが――思い切り顔を床にたたきつけた。

 ガン、と大きな音が響き、客や通行人の視線が集まる。


「痛ってえ! 何しやがグエッ!」


 もう一度叩きつけ、顔を床に付けたままにする。


「大変申し訳ありませんでした。私の監督不行き届きです。この男にはよく言って聞かせますので、不躾とは思いますがお許し願います」


 正一は深く頭を下げた。店主は逆に青い顔をして正一をなだめる。


「あのお客さん、私は気にしてませんから、どうぞお顔を上げてください。他のお客様もいますし……席についてご注文をお願いしますよ」


「はい。大変失礼いたしました」


 麦茶に似た飲み物を頼み、マリアナのぶんには魔法で作り出した氷を入れてやる。


「ここで少し休んでいきましょう。私のぶんも飲んで構いません」


「ショーン……ありがと……」


「気にしないでください。休みたいのは私なのですから」


 オクタビオは鼻を押さえながらも麦茶を飲んだ。


「アニキ。さっきのあれはいったいどういうことだよ」


「視野の狭い愚かな者は、自分と異なる民族を見下すものです」


「ハッ、でも魔族は魔族だぜ」


 正一は出窓で丸まっている猫を撫でた。


「人族も魔族もほとんど差はありません。もっと言えば、猫ですら人間と九〇パーセントは同じなのです。ネズミは八五パーセント。昆虫やバナナですら、六〇パーセントまで共通しています」


「はあ? バカ言うなよ」


「生命に上下の概念は当てはまらない、という事です。どれも環境に合わせて試行錯誤しながら進化を繰り返した結果なのですから。結局のところ、生命はDNAの入れ物に過ぎないのです」


 オクタビオは小首を傾げていた。この世界ではDNAなどという概念じたいが一般的ではないため、仕方がないことだった。


「ええとつまり、どっちも神様が造ったモンだから平等ってことか?」


「いえ……いや、そういった理解で構いません。いずれにせよ、ここは聖地なのでしょう。争いは慎むべきです」


「わかったよ。アニキがそう言うなら。店主、すまなかったな」


 一時間ほど休憩する。


 マリアナの調子が戻ったので、正一は勘定を済ませようとした。


「お客様。お客様も巡礼ですかな」


「はい。あまりの混雑に驚いております」


「もしよろしければ、私らの時間に行ってみませんか」


「私らの時間、ですって?」


「はい。参拝は時間を区切って行われています。余計なトラブルを避けるためですが。つまり日の出から日没までは人族が。日没から日の出までは魔族が神殿に行くことになっているんですよ。街で魔族を見ないでしょう。みんな寝ているんです。夜はあまり混みませんから、すぐに入れますよ」


「そうでしたか。無知をさらし、恥ずかしい限りです。ぜひお願いします」


 *


 店主からの紹介状を見せると、三人はあっさりと神殿の奥へ通された。

 厳密な掟や戒律ではなく、本当に余計なトラブルを避けるためだけに時間を分けたのだ。

 宗教施設にしてはやけに合理的であった。

 他にも魔族の参拝者が数人いるが、昼間ほどの混雑はない。

 明かり取りの天窓から月の光が差し込み、内部は意外に明るい。

 天窓は、この世界ではあり得ないような巨大な有機ガラスでできている。


「これは……」


 金色の配管とケーブルを無数に組み合わせた、巨大な円柱状の物体が鎮座していた。

 直径一〇メートル、高さは一五メートルほどあるだろうか。

 巨大な縦坑に本体は収められ、周囲は渦巻き状の機械がいくつも取り囲んでいる。

 半ばほどの高さのキャットウォークにはモニターとメーター、スイッチやキーボードがまとめられたコンソールがずらりと並ぶ。

 天井にはホイストクレーンが据え付けられ、地階にはいくつもの大型電動ポンプが並んでいた。

 原子力発電所の内部に似ているが、少し違う。

 マリアナは膝を付いて熱心に祈り、オクタビオはつまらなそうな顔をしていた。

 初めてだと告げると、人の良さそうな老齢の神官が説明をしてくれた。


「こちらがご神体の『クォンタムコンピューター』にございます」


「クォンタム……量子計算機……ですか。これが」


 量子の重ね合わせ状態によって情報を扱い、従来のノイマン型コンピューターを遙かに凌ぐ並列コンピューティングを行える。

 梁屋和尚との会話の中に幾度となく出てきた言葉だ。


「はい。遠い昔に魔族が人族と協力して造ったと言われております。ですので、人族の王侯貴族はあまり興味を示しません。まあ、彼らは魔族が嫌いですからな。ですが、これこそ古の時代、魔族と人族が仲良く暮らしていた証拠なのです」


 この神官も魔族の血を引くようである。


「これは、動くのですか?」


「かつては全知を実現したとされておりますが、今はその遺骸を残すのみです。残念ながら動きませんな」


「いくつか質問をしても?」


「望むだけどうぞ。全ての教義は公開されていますから」


 神官はベネディートと名乗った。

 正一はベネディート師を質問攻めにし、その横でマリアナとオクタビオは居眠りしていた。


「ベネディート師。これほどのものを動かす動力は何だったのですか?」


「海水を取り込み、重水を取り出し、水素をヘリウムに変える事で動いていた、と聞きます。物質とエネルギーは等価であり、発現のしかたが違うだけです」


「……核融合! まさか、実現していたなんて」


「さよう。『エンジニア』と呼ばれる神職だけが、神の声を聞くことができました。しかし、最後のエンジニアは五〇年前に逮捕され、それ以来神は沈黙したままです。ですが、今もその威光を――」


「そのエンジニアの名前は何ですか!」


「ハリヤー師……ですが」


「ああ! やはり!」


「ご存じなのですか?」


「はい。梁屋和尚は……亡くなりました」


「何ですって! ハリヤー師とは、どちらで?」


「はい。話せば長くなりますが――」


 正一は神官に牢でのいきさつを話した。


「そうですか……やはり」


「私が今生きているのは、全て梁屋和尚のおかげです。和尚が私を人間にしてくれたのです。獣同然だった、この私を」


「では、あなたなら、あるいは……」


 そう言って、神官は本棚から厚さ一〇センチもある分厚いファイルを取り出した。


「『聖典』とよばれております。失われた文字で書かれており、今では誰も読むことができません」


 聖典には『魔力複合式量子計算機・取扱説明書――簡易版――』とあった。日本語だ。


「内容は難しいですけど……読めます。目次には、使用上の注意……困ったときは……故障かな? と思ったら……とあります」


 もう一冊、紙ファイル――事務用のごく普通のA4紙ファイルだ――を渡される。


「ではこちらは? ハリヤー師の自筆で、複雑な記号のようなものが書かれていますが」


「表紙には……『心理歴史学概説および簡易計算式――暫定――』とあります。内容は……論文と、……とても複雑な計算式です」


 神官は深く頷いた。


「なるほど。あなたが後継者ですか。聖典は門外不出ですが、こちらのファイルはあなたがお持ちください。……ショーン・ハリヤー殿」


「よろしいのですか?」


「はい。聖典とファイルの文字を読める者にこれを与えよ、と。五〇年前、ハリヤー師はおっしゃっておりました。師が使っていた聖具もお持ちください」


「梁屋和尚の……」


 正一は計算尺とソロバンを胸に抱きしめた。何の変哲も無い、ごく普通のものだ。


「ショーン殿。あなたなら神を動かすことができるかもしれません。いつでもお好きなときにお越しくださり、好きなだけご滞在くだされ」


「ありがとうございます。梁屋和尚の遺産、確かに受け取りました」


 *


 三人は神殿内の一室をあてがわれた。


「ショーン! ショーンって、やっぱりスゴイひとだったんだね!」


 マリアナは目を輝かせていたが、オクタビオはいまいち状況を理解していないようだった。


「マリアナ、お前アニキの何がどうスゴイのか、わかってねえだろ」


「ええとその……うん」


「オレもだ。アニキ、そのファイルは何なんだ?」


 正一はファイルをめくりながら、目の間を揉んだ。

 軽く老眼が始まっている。


「私にもまだ詳しいことはわかりませんが……大雑把に言えば、未来がわかるのです」


「未来?」


「この論文によれば――」


 気体の分子の運動というのは、個々の分子の運動は全く予測できない。

 しかし、集団の気体となれば、平均的な運動を統計的に計算できる。

 これを気体分子運動論という。

 分子を人間に、気体を集団に例えることで、人類のたどる運命を予測しようという試みである。

 すなわち、個々の人間の運命は予測できないが、人類全体の未来であれば統計的な計算が可能だとする理論だ。

 地球人SF作家、アイザック・アシモフが作品中で使った架空の理論だが、梁屋和尚はそれを実際にやってみようと試みていたのだ。

 極めて難解な計算式を解かねばならず、また必要な処理能力も膨大になる。

 通常のコンピューターではとても間に合わない。

 しかし、量子コンピューターなら話は別だ。

 オクタビオは小首をかしげた。


「ほーん。人類の運命なんて、知ってどうするよ」


「オクタビオさん。大金持ちになりたくありませんか?」


「え? そりゃあ、あたりめーだろ」


「あなたは貴族に生まれながら、九人兄弟の末子として生まれたことで、何の財産も相続できなかった。上の兄弟たちを見返してやりたいと、そう思っているのでしたね?」


「おう。その通りだ。カネはいくらでも欲しいね。だがアニキはほぼ無一文だろ」


「このファイルの謎を解けば、大儲けできます。それも、国の一つや二つ丸ごと買えるような、ね」


「マジかよ!」


 正一はマリアナに向き直った。


「マリアナ。あなたには、私のことを色々手伝って欲しいのです」


「うん、いいよ」


 オクタビオはテーブルをやかましく叩いた。


「オレはいいのかよ!」


「あなたに大金を与えるのは危険ですから。マリアナなら安心できます」


「んー。でも、オクタビオも力仕事だけならできるよ」


「彼はあなたの指示で使ってください。どちらにせよ、今すぐというわけには行きませんから。時間は必要です。ですが、私は待つことには慣れている……」


 オクタビオはうんざりした様子でファイルをパラパラとめくるがかぶりを振って表紙を閉じた。


「なあアニキ。アニキはコイツで、何をする気だ? 何ができるかじゃねえ。何をしたいんだ?」


「過去の清算ですよ」


「ほほう、例えば?」


 正一の顔を見て、オクタビオは顔から血の気が引いていた。


「アキハラ王との対決です」


「……おもしれえ。王様に喧嘩を売るのかよ。やっぱりアニキ、ただ者じゃねえな」



 翌日から、正一は論文とマニュアルの解読に取りかかった。

 マニュアルには修理方法も記されている。

 まず第一段階として、日本語のマニュアルをオルミガ語に翻訳することから始めた。

 神官や信者の協力が無ければ、とても直せそうにないからだ。

 そして、三年の時が流れた。

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