第7話 新しい旅


 正一は事のいきさつをガスパルに問われるままに話した。


「……そうだったのか。裏切りで二〇年も牢獄に……なんてこった」


「偽名を名乗っていたことをお詫びします」


「いいよ、そんくらい。俺にとってお前はショーン・ハリヤーだ。これからもずっと、な」


 ガスパルは正一の背中を優しく叩いた。


「私はその時のことを問い詰めるため、かつて親友と呼んだ男に会わねばなりません」


「会ってどうする?」


 正一は拳を握りしめた。


「会って、事の次第を問いただします。場合によっては……」


「殺すのか」


「……」


 殺生は慎むべし、との梁屋和尚の教えを破る事になるかもしれない。

 だが、それでも会わなければならないのだ。

 ガスパルは顎に手を当てた。


「まあ、当然だわな。それで、その裏切った男はどこに? なんて名前だ?」


「居場所はわかりません。生きているのかどうかすらも。名前は秋原透。この国の発音ではトール・アキハラ」


 ガスパルは口から飲み物を吹き出した。


「は? 何だって、トール・アキハラ? おいおい、それはマジで言ってるのかよ」


「はい。その、何か?」


「このオルミガ王国の、今の王様の名前だ。で、王妃様の名前がカナ・ユリハラだ」


「香奈が……王妃ですって!」


 目の前が真っ暗になった。


「トール・アキハラは第一次魔族戦争で大手柄を挙げて、それで貴族になったらしい。で、その後の第二次魔族戦争で、敵国と密通していた旧王家を粛正して王様になったそうだ」


 二〇年という時間は長い。それだけの時間があれば、どんな事でもやってのけるだろう。何が起こっても不思議はない。全て受け容れなければならない。それがどんなに衝撃的なことであっても。


「もう一つ教えていただきたいことがあります。カラコル島という場所に行く方法はご存じありませんか?」


「ああ、それなら隣町から定期船が出ているぜ。神父が残した遺産があるんだったな」


「和尚です」


「どう違うんだ? まあいい。この金を受け取ってくれ。船代と数日分の宿代くらいにはなるだろう」


「ですが……」


「お前は村を守ってくれた。村のみんなから集めた金だ。こんな形でしか礼をできなくて、悪いとは思ってるんだ。それというのも……」 


 ガスパルは回覧板を取り出した。


「領主の家来が持ってきた手配書だ。凶悪脱獄犯、ショーイチ・サトー。生死を問わず、捕らえた者に一千万シリング。似顔絵は……あんまり似ていないな。だがショーン。お前は俺とマリアナの命の恩人だ。村を救った英雄なんだ。金欲しさに売り渡すなんてことは、絶対にしないから安心してくれ。ただ……」


「はい。わかっています。すぐに村を発つつもりです」


 ガスパルは頭を深く下げた。


「すまない。本当にすまない!」


「いいのです。自分と家族の暮らしを何よりも優先させてください。それがきっと、夫や父親というものなのでしょう」


「許してくれ……!」


「顔を上げてください、ガスパルさん。私はその気持ちだけでじゅうぶんです。お金は決して無駄にはいたしません。ありがとうございます」



 カラコル島行きの船は、隣町のバボサから出ている。

 海岸伝いに街道があり、半日も歩けば着くという。

 正一は笑顔で手を振り、ルカニド村を離れた。

 過ごしやすい季節。

 穏やかな風。暖かな太陽。

 そして何よりも、足を交互に動かすだけで自由にどこへでも行くことができる。


「生きていることは、素晴らしいことだ」


 誰に言うでもなく、言葉がこぼれ出た。

 前方の茂みに誰かが潜んでいるのがわかる。

 隠れているつもりだろうが、隠れ切れていない。

 臭いから察するに、おそらくオクタビオだろう。


「オクタビオさん。そんなところで何をしているのですか?」


 いささか不意を突かれたような顔をして、オクタビオが出てきた。


「へっへっへ、さすがショーンのアニキだぜ」


「私はあなたの兄ではありません」


 腕をへし折ったつもりだったが、どうやら脱臼していただけらしい。

 頑丈な男である。


「いや、そういう話じゃねえ。オレあよ、もっと強くなりてえんだ。弟子にしてくれねえか。弟子がダメなら、使いっ走りでもいい。とにかく、オレを連れて行ってくれ」


「強くなってどうするのです」


「オレあよ。誰にも負けたことがなかったんだよ。魔法だって腕力だって、敵なしだった。なのに、あんなモン見せられちゃあよ」


「言ったはずです。私の魔法など大したことはない。より強い魔法使いを私は知っています」


 オクタビオは両手を挙げて首をすくめた。


「ハッ! 慎み深いじゃねぇか。さすがアニキだ、人間できてらあ。でもよ、アニキだって道案内が必要だと思うぜ?」


 確かにそうだった。正一は現代の社会を何一つ知らない。

 しかし、この男を信用しろと言われても無茶というものだ。


「何でもしますか?」


「おう!」


「では、今すぐルカニド村に戻り、村人に謝罪して赦しを得てください。そして奪った物を全て返すのです。加えてビボラ団は解散してください」


「あんだって? そりゃねえぜ」


「何でもすると言ったはずです」


「ぐ……でもよお……」


「あなたを裁くのは私ではない。私にはそんな権利もなければ資格も義務もない。奪われた者だけが赦すことができるのです。それで赦されなければ、同行は諦めてください」


「わ、わーったよ。行きゃいいんだろ」


「私はここで待ちます。もしまた村人に危害を加えるようであれば……」


 正一が右手を握りしめて見せると、オクタビオは真っ青になった。


 帆船に混じって、煙突から黒い蒸気を吐き出している汽船も何隻か浮いている。

 正一が投獄される前には見なかったものだ。

 地球ではほとんど廃れた、外輪式が主流のようだ。

 そして、水平線の近くに目を向ける。

 夕日を浴びてきらめく海面の上に、大きめの島が見えた。

 丸い大小の島がつながったような形らしい。


「あれがカラコル島だぜ、アニキ」


「あれが……」


「船で三時間ってところだ。定期船は一日一往復だから、今日はもう行けねぇけどよ」


 バポサは坂の多い港町で、斜面に張り付くように家が並んでいる。

 港の近くは船乗りたちがたむろする酒場が数多くあり、中には宿を併設しているところもあった。

 翌日の乗船券を提示すれば宿代が割引になるという看板が出ていたので、船着き場に近い宿に決める。


「オクタビオさん。宿帳にあなたの年齢を記入しなければなりません」


「おう、一八だ」


 なんと、正一の半分である。

 内心三〇歳くらいだと思っていたために、かなりショックであった。


「あたしのぶんも書いておいて。マリアナ・オルモス一二歳」


「マリアナ。何度でも言いますよ。お帰りください」


 マリアナは自慢げに胸を張った。


「だって、オクタビオが本当にくいあらためたのか、村の人にほうこくしなきゃだもん。それにお父さんもショーンをしんぱいしてるし、手紙で色々しらせることになってるの」


「ですが、万が一の場合あなたを守り切る自信がありません。もう夕方ですから仕方ありませんが、明日送り届けます」


「ダメだよ~。セキニンあるもんね~。それに何より……」


 マリアナはオクタビオを指さした。


「村をねらってるのは、ビボラ団だけじゃないの。ショーンといるほうが、ずっと安全だって、お母さんもいってた。それに――」


「それに?」


「ううん、なんでもないの。とにかくあたしは、お父さんとお母さんの言いつけをまもらなきゃなの!」


「……仕方がありませんね」


 荒くれ者が多い船乗りたちの中にあっても、オクタビオに絡む者は皆無だった。

 むしろ逆に、あからさまに見ないふりをする。

 怖がっているのだろうが、トラブルを避けるためにはむしろ役に立っていた。


「おいおい、酒も無しかよ!」


「飲みたければ自分で買ってください。ガスパルさんからいただいたお金を無駄にはできません。タバコも同様ですが……麻薬はやめていただきましょう」


「オレが無一文なの知ってるだろ! 殺生だぜ、アニキい」


「置いていってもよいのですよ。その方がマリアナも家に帰れます」


「ちっ、それを言われちゃしゃあねえ」


 定期船は昔ながらの帆船である。

 貨客船なので、様々な物資を積み込むために大勢の作業員が行き交っていた。

 パタパタとマリアナが慌ただしく走ってくる。


「まずいよショーン! 兵隊さんが手配書ひろげて、船にのる客をひとりずつチェックしてるよ!」


「静かに。慌てなくても大丈夫ですよ」


 マリアナの言うとおりだった。

 タラップの横には、頭頂部に一本角の付いたヘルメットを被った兵士たちが見張っている。

 ヘルメットの形は昔と変わらないようだが、かつては金属地の光沢仕上げだったものが、濃緑色のつや消し塗装になっている。

 制服も地球で見慣れたオリーブドラブになっていた。

 かつては赤や青の原色が使われ、モールなどの装飾もついた派手なものだったのだ。

 兵士たちは乗客の顔と手配書を見比べているようだった。

 正一は何気ない顔をして横を通り過ぎるが、兵士たちは気付く様子は全くない。

 むしろ、オクタビオに怪訝な目を向けていた。


「おいおいマジかよ。すげえなアニキ」


「手配書の似顔絵を見ましたか? おそらく、一六歳の頃の姿から想像して描かれたものでしょう。実際の姿とは違うのです。私の本当の姿は歴代の看守しか知りません」


 そう言いつつ、船室の壁にも貼ってある手配書を見る。

 かなり恐ろしげな顔に誇張して描かれていた。

 想像とはいえ、あまりにも違いすぎる。


「なるほどなあ。ま、乗っちまえばこっちのモンよ」


 定刻通りに錨が上がった。なお、時計を持っていないので街の時計塔で時間を知るのだ。



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