第5話 出会い

 海岸づたいに街道が延びている。

 いつなん時、人が通るかわからない。なるべく人目は避けたかった。

 少し山に入ると、農家の作業小屋があった。

 鍵は掛かっていないようだ。

 そこで見つけた古い作業服を失敬することにした。

 今着ている服は、すでにとても服とはいえないボロ布だ。

 それに、囚人服は人に見られる前に処分しなければならない。

 小屋の中にバーベキューコンロのようなものがあったので、そこで燃やす。

 着火には魔法を使った。

 すぐに燃え尽きてしまうが、ついでに多生暖をとることもできた。

 小屋はしばらく使われていないようだった。

 ひとまず、ここで眠ることができそうだ。

 ムシロをかぶり、正一は寝息を立て始めた。

 夢は見なかった。

 いや、あるいは数多くの夢を見たのかもしれない。

 しかし、正一は全身の力を使い果たし、文字通り泥のように眠っていた。


「おい起きろ」


 目を開くと、鋭い槍の穂先が目の前にあった。


「動くな。お前も山賊の仲間か!」


「山賊?」


 正一に槍を突き付けているのは、三十代半ばほどの男だった。

 筋骨隆々で、いかにも強そうだ。


「とぼけるな! ビボラ団、これ以上俺たちの村を荒らさせはしないぞ!」


「待ってください、私はそのビボラ団とかいうのとは関係ありません」


「なら、なぜこんなところで寝ている?」


「旅の者です。名前は――」


 本名を名乗ることはできない。ショーイチ・サトーはお尋ね者の脱獄犯だ。


「名前は……ショーン・ハリヤー。オルミガの王都を目指しているところです」


 梁屋和尚の名前をもらうことにした。

 これで自分自身、道に反する事はできなくなる。名を汚すことになるからだ。


「ですが、盗賊なのは間違いありません。ここに置いてあった服を、つい失敬してしまいました。償う方法があれば償いたいのですが」


 男は一瞬小首をかしげると、正一を頭のてっぺんからつま先まで見据えた。

 いや、見ようとして鼻を覆った。


「ふん。いらねえよ、そんな汚え服。それにしても臭えな。確かに連中もお前みたいな臭いやつを仲間にする訳がねえ……。おい、ちょっと来い。面通しだ」


 槍で追い立てられるかのように、正一は村の広場へ連れてこられた。

 村と言っても粗末な板小屋が並ぶばかりで、裕福そうには見えない。

 広場では村人たちが集まっていた。


「おい! こいつはどうだ。誰か見覚えがないか!」


 誰も首を縦に振らない。


「……そうか。どうやら本当に違うようだな。おいショーン、すまなかったな。俺はガスパル。ガスパル・オルモスだ。お詫びに風呂でも入っていってくれ。というか、臭くて迷惑なんだ。このままじゃ話もできねえからよ」


 風呂は村の共有設備らしいが、ガスパルが管理しているという。

 地面に掘られた穴に水をため、焼けた石を入れることで湯が沸いた。


「ほらよ、石けんだ。取っておきだからな、あんま無駄にするんじゃないぜ」


「ありがとうございます。あの、できれば……」


「ああもう、しゃーねーな。みなまで言うな。ほら、ハサミとカミソリも貸してやる。全部剃っちまえ」


「ありがとうございます。一つお聞きしたいのですが、今は王国歴何年でしょうか?」


「ああん? 一四二年に決まってるだろうが。ええい、いいから早く入ってくれ。じゃ、後でな」


 風呂に入って身体を石けんで洗い、髪を切る。髭も剃り落とした。


「……一四二年か。あれからもう……二〇年も……経ったのか」


 青銅を磨いて作られた手鏡は、地球のものと違って少し歪みがある。

 正一は、自分の顔をずいぶん長いこと見ていなかった。


「オッサンだ……」


 牢で過ごした時間は長かった。少年の面影はすっかり消え、鏡には中年の男が写っていた。


「オッサンだ……オッサンだ……オッサンだ……!」


 自分が三六歳だなどと言われても、全く実感が沸かなかった。

 しかし、それは動かせない事実だった。失った時間は二度と取り返しが付かないのだ。

 頬に古い傷跡が浮かび上がった。

 戦争の時の古傷だ。ほとんど目立たなくなっていたが、感情が高ぶると浮き出るらしい。

 それを見て、ようやく正一は自分が泣いていることに気付いた。

 

 風呂から上がると、正一は母屋のドアを叩いた。


「あの、ガスパルさん」


「はーい!」


 母屋から出てきたのは、栗色の髪を頭の両脇で縛った女の子だった。

 年齢は一二歳ほどだろうか。


「おじさん、だれ?」


「失礼。私はショーン・ハリヤーという者で、ガスパル・オルモスさんに世話になった者です」


「あたしのお父さんだよ! すぐよんでくるね!」


 パタパタと元気よく少女は奥へと入っていく。


「おとーさーん!」


「おう、ショーンが風呂から出たのか。マリアナ、中に入れてやれ。今ちょっと手が離せねえんだ!」


「はーい!」


 マリアナと呼ばれた少女はパタパタと正一のところへ戻り、手を引いて中へ引っ張り込んだ。

 中では、三十代ほどの女性がかまどで鍋をかき回していた。


「あら、いらっしゃい。あなたがショーンさんね。どうぞ、お掛けください。私はガスパルの妻、ダナと申します。大した物はありませんが、どうぞお召し上がりくださいな」


 ダナは豆のスープを出してくれた。


「こ、こんなモノをいただいても……よ、よろしいのですか?」


「えっ? はあ。あまり上等なものは出せませんけど……」


 正一は震える手で木製のスプーンを受け取った。

 そっと一口すくい、恐る恐る口に運ぶ。

 出汁の風味が鼻腔を包み込み、香辛料の味と、柔らかな豆の食感が口中に広がっていく。


「う、美味い! なんて美味いんだ! これが……これこそが、人類の食べ物! 素晴らしい、豆のスープがこんなに美味しいだなんて! ああ美味い! こんな美味いもの、初めてだ!」


 目の前がかすむ。あまりの美味さに、正一は涙を流していた。

 牢の中では、温かい食事など一度も出たことがない。


「美味い……美味い……! それに、温かい……! ああ! 美味いよお……」


 気がつけば皿は空になっていた。


「あの……もう一杯食べます?」


「そんな! こんな美味いスープを二杯もいただいては、申し訳が――」


 腹は正直なようで、ググウとスープを催促した。


「ずいぶんと気に入ったらしいじゃねえか。ま、ダナは俺の妻になるような女だ、料理が上手くて当然だぜ。ハハハ」


 ガスパルとマリアナも席に着き、同じスープを飲み始めた。


「ショーンさん、その顔の傷は……」


「戦争の時の古傷です。普段は目立たないんですけどね」


「そうでしたか。ごめんなさい」


 ダナはそれ以上訪ねなかった。


 食事を終えると、ガスパルがルカニド村の置かれた現状を話し始めた。


「三年くらい前からかな……領主が交代してな。長男が継いだんだが。先代に隠し子が発覚してよ」


「よくあることです」


「で、その妾の子、末っ子の九男がひでえやつでな。近所のチンピラを集めてやりたい放題だ。家畜は盗む、村の女に手を出す、村民から金を巻き上げる……」


「それはひどいですね」


「軍人崩れの奴らが、戦争が終わってあぶれた武器を盗んで、あっちこっちで盗賊をやってるうちにこの辺まで流れてきたんだ。領主の九男がそいつらを仕切るようになって、それが……」


「ビボラ団、ですか」


「そのとおりだ」


 どうやら魔族との戦争は、少なくとも三年前に終わっているらしい。

 と思いきや、一度停戦し、数年後に再び戦端が開いたようだ。

 正一たちが戦ったのが現在では第一次魔族戦争と呼ばれるようになり、第二次魔族戦争が三年前に終結した、とのことである。


「お前、何も知らねえのな」


「世間知らずを恥じております」


「変なやつだ。お前もどこぞの没落貴族か? それとも囚人か? 脱走奴隷か? あんな豆のスープをありがたがるなんてよ」


 正一は話題をそらした。


「ようはビボラ団が村を襲い、ガスパルさんたちはそれを警戒しているということですね」


「そうだ。困ってるんだよ。作物は諦めがつくにしても、妻や娘に万が一のことがあったら、と思うとな……」


 正一はダナとマリアナを見た。

 二人とも年齢相応に美人で、確かに盗賊に狙われるだろう。


「なあショーン。お前、腕は立つのか?」


「人並みだとは思います」


「よかったらよ、一緒に村を守って戦わねえか? 寝泊まりはお前が使ってた小屋を使えばいいし、飯はうちで出してやるぜ。風呂も好きに使っていい」


「食事と風呂に加え寝床まで? ……わかりました。このショーン・ハリヤー、必ずやビボラ団を殲滅してご覧にいれます」


 ガスパルは吹き出した。


「ガッハッハ! 誰もお前なんかに期待しちゃいねえよ。殲滅? バカ言うな。首領のオクタビオは化け物みてえな魔法使いだぜ。お前はせいぜい俺たちが見張りに入れない時に、村を見ててくれりゃいいんだ」


 ガスパルは村の男たちに正一を紹介した。

 警備に当たっている間は当然農作業などできないので、歓迎されているようだ。

 領主に陳情してはいるものの、そもそも首領が領主の息子なのでどうしようもない。

 結果、村人が自己責任で武装するしかなくなっているのだ。

 村人に請われるまま農作業を手伝いつつ、数日は何事もなく過ぎた。

 陽の光を浴びられる。新鮮な空気を吸える。

 それどころか、温かい食事までもらえる。

 素晴らしいことだった。そして、何よりも素晴らしかったものは。


「おーい、ショーン! こっち手伝ってくれ~」


「はい。畑のうね作りですね」


 クワをふるい、畑に作物を植えるためのうねを造っていく。

 最初は拙かったが、慣れるに従って少しずつ効率よくできるようになっていった。

 手を動かし、それによって形あるものが出来上がっていく。

 正一は自分の右手を見つめた。

 この手は今まで破壊しか知らなかった。

 今はものを生み出すことを知っている。

 梁屋和尚の教えに実感を持つことができたのだ。


「ショーンおじさん、ちょうしはどう?」


「異常ありませんよ、マリアナ殿」


「マリアナどの、だって! あっはは、大人なのにヘンなの!」


「変? ですが、大人だろうと子供だろうと、マリアナ殿は私の恩人の娘です」


「そういうのいいからさ~。もっと、リラックス、リラックス! わたしのことは、マリアナでいいからさ~」


 可愛らしくて人なつっこい子だ。思わず笑顔になってしまうが、それは誰しも同じらしい。


「ええと、じゃあその……マリアナ」


「うん! ところでショーン。ちょっと気になることがあるんだけど……」


「何ですか?」


 マリアナは棒で地面に図を書いた。

 長方形に斜めの線が入っている。


「お父さんがね、家具つくるときとかに、板をナナメにきるの。でも、いっつもヘンな形になるの。でもあたし、タテとヨコのながさをくらべたら、ナナメのながさがわかることにきづいたの。でも、だれもしんじないの」


 それは三平方の定理、地球で言うところのピタゴラスの定理であった。

 正一は数学が苦手だったが、牢の中で梁屋和尚の教えを受け、面白さに気付いていた。


「そうです。それで合っています」


「ほんと?」


「本当ですよ。マリアナが自分で考えたのですか?」


「うん、そうだよ。あと、お風呂にはる水の量とかもけいさんできるの」


 正一も入った浴槽の穴は楕円形で、底も丸くなっていた。

 単純な箱形ではない。


「素晴らしい! あなたは天才だ、マリアナ! 私があなたくらいの頃には、こんなものは何一つ理解できなかった」


 マリアナは赤くなった。


「でもお父さんは、そんなのてきとうでいい、って」


「それはいけませんよ。三平方の定理や積分法を自力で発見するなんて、あなたには才能がある。高等教育を受けた方が……」


 しかし、マリアナはかぶりを振った。


「ダメだよ、お金ないもん。それよりさ、お母さんがよんでるの。てつだってほしい、って」


「……わかりました」


 よその家庭の問題に、あまり深入りはできない。

 ダナは井戸のポンプの前で待っていた。

 青銅製で、手押しポンプを使って汲み上げるものだ。


「ごめんなさい、どうも調子が悪くて。ちょっと見てくださらない?」


「え、ええ……」


 二人でポンプの前にしゃがみ込む。

 肩が触れそうな距離だ。吐息が聞こえ、微かに石けんの香りがした。


「……ショーンさん。どうかしました? 顔が真っ赤ですよ」


「えっ、その、な、何でもないです。分解、分解しましょう」


「熱でもあるんじゃないですか? 声も上ずってるし、変ですよ」


 ダナの手が額に当てられる。耳まで真っ赤になっているのが自分でもわかった。

 何も言えないし、何もできない。


「あの……ええと……」


「というか、そもそも分解とかやめてください。あなた、素人でしょ」


「すいません……」


 その時、不意に悲鳴が聞こえた。


「悲鳴ですって? 何も聞こえませんわ」


「いえ。確かに聞こえました。ダナさん、農具小屋に隠れてください。絶対に顔を出さないように」


 正一は悲鳴のした方へ全力で走り出した。

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