第3話 血染めの手

 また時が流れた。

 散髪は年に一度、看守の厳重な監視の下ハサミが貸し与えられた。

 当然、自分で切るしかない。

 入浴は許されず、相当に異臭がするはずであった。

 しかし、正一の鼻はすでに麻痺していた。

 気がつけばいつの間にか、髭も伸びるようになっていた。


「ものは考えようですよ。ここにいる限り、戦争をやらなくて済むんだから」


「そうじゃな。戦争ほど嫌なものはない。じゃが、本当にそう思うかね?」


 正一は答えなかった。囚人が幸せなはずがないのだ。


「魔族は人間じゃない。でも、だからといって、いい気分じゃなかった」


「当然じゃな。それが人間というものだ」


 全て見透かされているようだった。


「和尚、魔族とは何なのですか?」


「魔族と呼ばれる種族は、読んで字のごとく魔法を得意とする。この不安定な宇宙に適応し進化してきたからなのじゃ。しかし人族は違う。地球のある宇宙から、何かを逃れてやってきた。疫病、戦争、不況、飢饉……」


「つまり、元々は魔族こそがこの世界の本来の住民なのですか?」


「そういうことになる。しかし、魔族もまた遠い祖先は地球から来たのじゃ」


「魔族が地球人なのですか?」


「うむ。人類と別系統の亜人類は、かつて地球にも存在したのじゃよ。全て絶滅してしまったがね。ネアンデルタール人という言葉を聞いたことはないか?」


「あります。確か、ヨーロッパの原始人でしょう」


「原始人だったのは昔のことじゃ。原始時代は人類もやはり原始人であり、そういう時代だった、ただそれだけのこと。彼らは必ずしも原始的で劣った種族ではない。むしろ彼らの脳容積や知能は人族を凌駕しているのじゃよ。魔法に大きく影響する認知能力もな。人族の祖先がアフリカを出て彼らと出会い、混血したことで人種という概念が生まれたのじゃ。魔族のルーツとして最も可能性が高いのは、純血のネアンデルタール人じゃ……」


 *


 また、時が流れた。


「バカだ、ぼくは。もう少し自分で考えるということをしていれば」


「誰しも似たような経験はあるものじゃ。何をやった?」


「恥ずべきことですよ。でも、どうしてああなったのか、今でもわからない」


「ワシは僧侶じゃからな。懺悔があれば聞くとしよう」


 梁屋和尚は仏教の僧侶だったという。つまり『お寺さん』だ。


「思ったんですけど懺悔って、つまりカウンセリングですよね。だとすれば、べつにキリスト教に限らない」


「よく気付いたな。それは映画なんかのイメージじゃろう。懺悔は仏教にもある。人の心を軽くするためにな。本来、宗教とはそうあるべきものじゃ」


 *


 戦争が終われば地球に返してくれるという王の言葉を信じて、正一たちはひたすらに戦い続けた。

 時にくじけそうになることもあった。

 だがそんな時、いつも透と香奈が支えてくれたのだ。

 魔族との戦争は膠着状態に陥っていたが、正一たちが現れると一気に戦線が移動した。

 三人は多くの戦いで一緒に行動し、前線においてはバランスの取れた編成と言えた。

 すなわち正一が切り込み、透が中距離から支援する。

 敵の攻撃を受けても、香奈が治療してくれるため、多少の負傷があってもすぐに戦線復帰できた。

 正一たちは人類軍の切り札とされ、次々と重要な戦線に投入された。

 階級は面白いように上がっていき、最初は伍長相当からだったのが、一年が経つ頃には少佐にまでなっていた。

 重要拠点を次々と失い、魔族軍の降伏は時間の問題となっていた。

 しかし、あと一歩といったところで冬が訪れ、決戦は春期に持ち越されることとなった。

 正一は頬の傷を撫でた。

 戦闘で負ったものだ。香奈が治療をしてくれたが、どうしても痕が残ってしまうらしい。

 普通にしていればほとんど目立たないので、問題ないといえば問題ない。

 三人は馬車で王都に向かっていた。

 魔族領の奥地にある、ベヘタルという村での戦いを終えたばかりだった。

 戦いは凄惨を極め、民間人の犠牲も多数出た。

 しかし、この世界の戦争ではそんなことは日常茶飯事だ。胸は痛んだが、いつしか慣れてしまっていた。


「前線を放っておいて、ぼくたちが戻っていいのかな」


 透は気にするな、と言いたげであった。


「敵も冬場はろくに動けないさ。季節を問わず移動するには、やっぱり自動車が無いとな」


「透、車とか好きだったもんな。一八になったらすぐに免許を取るって」


「夢、さ。今となっては」


「……そうだね」


 寂しそうな顔をしていた。

 きっと、正一も似たような表情をしているのだろう。

 透は背もたれに身を預け、頭の後ろで手を組んだ。


「ま、こっちの世界に来てからこっち、ずっと戦いっぱなしだ。休暇くらいもらえないと、やってられんよ」


 正一は香奈を見た。

 かなり疲れているのだろう。静かに目を閉じ、眠っている。

 香奈がかすかに身じろぎし、膝掛けがずり落ちた。

 正一は起こさないようにそっと戻してやる。

 香奈は眠ったまま、かすかに微笑んだ気がした。


「よく寝てる」


「疲れたんだろうな」


 正一は香奈の寝顔を見るのが好きだった。

 小学校低学年までは一緒に風呂に入ったりもしたものだ。


「せめて年末年始くらい、家に帰れないかなあ」


「無理だろうな……こちらの世界から地球に行く方法はないらしい。王様は帰してくれるって言ってたけど、どうも怪しいんだ」


「下手すりゃ、一生この世界で生きていかなきゃならないわけか」


 まるで想像も付かない。


「割り切ったほうがいい。だが考えてもみろ、こっちの世界もそう捨てたものじゃないぜ」


「と、いうと?」


 透は右肘を撫でた。


「野球のできない俺に、いったい何の価値がある。推薦の話も無くなった。だが、この世界じゃみんな俺を認めてくれるんだ」


「透……」


「それに、な」


 透は嬉しそうに笑った。


「この世界にも、クリスマスや正月に似た祝日の風習があるそうだ。その日は、夫婦や恋人たちが一緒に過ごすんだと」


「そうなんだ。去年はいっぱいいっぱいで、そんなこと気にする余裕も無かったよ。もう一年になるんだなあ……って、まさか透?」


「ああ。王都に戻ったら、告白する」


「相手は誰だい?」


「それは……後でのお楽しみさ。付き合えるかどうかもわからないし。じつは以前に告白してるんだが、色々あって返事をもらいそびれた」


「誰であろうと、ぼくは応援するよ。な、親友!」


 正一は透の幸せが、まるで自分の事のように嬉しかった。

 香奈を、透を、それぞれあてがわれた屋敷の前で下ろす。

 三人の屋敷は近所同士で、いつでも自由に行き来することができた。


「あの透がねえ。ま、戦争も終わりそうだし、そろそろ自分の幸せを考えてもいい頃だよな。……ぼくもか」


 正一も自分の屋敷にたどり着いた。


「ショーイチ・サトー殿。あなたに逮捕状が出ています。ご同行願います」


 ドアを開けると、使用人ではなく武装した憲兵隊が馬車を取り囲んでいた。


 手錠には魔法を封じる仕掛けが施されていた。

 物理的にも強固であり、壊すのは難しいだろう。

 王都の司令部で軍法会議が始まった。

 罪状は、魔族領ベヘタルにおける非戦闘員の虐殺である。


「何かの間違いです! ベヘタルの住民は全て退去していたはずです!」


「トール・アキハラ少佐。証言台へ」


 透が証言台に向かった。

 正一は透が証言してくれさえすれば、無罪放免になることを当然のことと思っていた。

 なにせ、自分たちは決戦兵器だ。


「佐藤正一少佐は、民間人に向けて魔法を放ち、家々を燃やし、略奪と虐殺の限りを尽くしました。私は見ていられず止めようと思いましたが、佐藤少佐の魔法を受け負傷、意識を失いました。目が覚めた頃には、全てが焼け野原となっていたのです」


 信じられないことだった。透は、全く正一の弁護をする気がないらしい。


「違う! 何を言ってるんだ、いい加減なことを言うな! ぼくがそんなことするわけが――」


 係員が持った警棒が振り下ろされ、背中に激痛が走った。


「被告人は勝手な発言を慎むように。サトー少佐、弁明は?」


「ゲリラの拠点を襲撃した際、敵民間人の犠牲者を出したことは……あります。補給線を絶たれ、食料を現地調達した事も……あります」


「ふむ、やはりな。報告通りだ。アキハラ少佐、他には?」


 透は淡々と答えた。


「リベルラ市での戦いで、味方将校を殺害するところを見ております」


「嘘だ!」


「いいや嘘じゃない。キローガ大佐を殺したろう」


 将校に促され、正一は供述した。


「大佐は魔族軍に機密書類を流していました。状況から見て間違いありません。そもそも現場指揮官の指示でした」


「証拠は? 指示をした指揮官の名前は?」


「証拠は今は……ありません。ロエラ中佐の指示でした」


「ロエラ中佐は戦死した。キローガ大佐に対する上官殺しだけでも、通常は現場で裁判なしの死刑だ。アキハラ少佐。他には?」


 再び透が証言台に立つ。


「はい。モスカ市において、領主の屋敷を放火しました」


「モスカ領主の屋敷は細菌兵器で汚染されてたんだ! 魔族領にしかいない菌で、敵の攻撃だった!」


 将校は手元の資料に目をやった。


「その時の報告書は無いようだが?」


「……それは、極秘作戦でしたから……無いはずです」


「お前の気分で燃やした可能性も大きいな」


 透だった。


「違う! 嘘ばかり言うな! なあ透、お前はそんなやつじゃない! きっと何か理由があるんだろう? そうだと言ってくれ!」


 透は額に青筋を浮かべ、台を叩いた。


「理由? お前がチート能力でやりたい放題やっているのを見ていられなかったんだ。罪のない多くの人たちが犠牲になっている。これ以上の横暴を止めるのは、親友の俺の勤めだ!」


「やめろ、この嘘つき!」


 再び警棒が振り下ろされる。

 軍法会議で裁判官役を行う将校が、冷たく言い放つ。


「ショーイチ・サトー少佐の軍からの不名誉除籍、階級および勲章の剥奪、全財産の没収、および仮釈放無しの終身禁固刑を言い渡す」


「透! 何とか言え、透! トオルッ!」


 透は正一と目を合わさず退廷した。


 *


「そうして今に至るわけか」


「はい。透はなぜぼくを裏切ったのでしょう?」


「何か理由があったのは間違いあるまい。まずは知ることじゃ」


「何を?」


 一瞬の間を置いて、梁屋和尚は答えた。


「ワシが教えられる、あらゆることを。そして待て。しかして希望せよ」

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