第4話:テケリ・リ

 トリストの作る喫茶店。僕は店員として働くつもりであるけれど、経営面は完全にトリストに任せている。

 必要だったという届け出や、今後の仕入れの契約など、僕は関与していないわけだし。


 僕としても手伝えることは手伝いたいのだけれど、トリストは「こういう作業も楽しいから」と言って、自分でやってしまうのだ。



 今日は集中して事務作業がしたいと言うので、僕は暇をして街を散策することにした。

 まだこの国にも、そもそも住んでいる地域にだって慣れていない。

 一番近くの商店街で買い出しくらいはするのだけれど、他にどこかへ行っただろうか。


 中央商会の支部へ行ったのと、シビーユのお店に行ったのと。それだけだろう。




 どこか行ったことが無い場所へ行ってみようかと思いながらも、結局よく行く商店街の方へ向かう。そこで買い食いして、お洒落なバーを見つけて、今度トリストと来てみようかと思いながら、また適当に歩く。


 中央区の方まで行ってみようかとも思ったのだが、なんとなくそういうのは楽しみに取っておきたい。どうせまたトリストとどこかへ遊びに行くし、その時に新鮮な驚きを残していないと勿体ないだろう。


 ウルヌ王国の首都エディン。

 中央区と、東西南北の国分けられていて、僕とトリストが住んでいるのは東区。移住者が多く、商業が活発なので、中央商会も中央区から見て少し東寄りに存在しているのだとか。


 他の区にも特徴があるのか、僕はあまり知らない。


 そう思うと、僕はそもそも移り住んできたこの国のことすら詳しくないんだな。


 いよいよ喫茶店も開店間近で、これから忙しくなりそうだから、あまり見て周る時間もないだろう。この国で過ごしているうちに、分かることもあるか。


「うーん……やっぱり一人だとつまらないな。帰ろう」




 ☆





 僕とトリストの購入した家は、三階建て。中央区から東区に伸びている大きな道路沿いにある、立派な建物だ。煉瓦が綺麗に輝いて汚れ一つない。これはトリストが掃除してくれたからなのだけれど。


 商店街まで距離は遠くないし、人通りも多い。


 そもそもこの家を買ったときは、喫茶店をする何て思ってもいなかった。一日で一階を喫茶店に改造できるのは、トリストくらいだろうな。突然そんな風になって、よく周囲に怪しまれなかったと思うが、人というのはそもそもあまりどこの建物に何があったのかを覚えていないらしい。

 それに、昨日まで普通の住居だったのが突然開店準備中の喫茶店に変わっていたとして、まずは自分の記憶違いを疑うだろう。


 やっぱりトリストの錬金術は破格の性能だ。


 僕も彼女の錬金術を完全に理解しているわけではないし、そもそも理解できないだろうと諦めてもいる。普通の人間には理解できないものだとは、トリストから聞いているし。



 僕が知っているのは、彼女は何もない空間から簡単な構造のものなら生み出せること。金属を簡単に金に変えられることや、一日で家をリフォームできること。


 それと――戦闘ならおそらく世界最強だということ。


 まあ、そういうことに巻き込まれないためにこの国に来たのだし、ここでのんびり過ごそう。



 家に入ると、当然と言うか、トリストは書類仕事を終わらせて退屈している様子だった。カウンターの向こうで、椅子に座ってぼうっとしている。

 カウンター台にはサンドウィッチが作られていて、既に一口齧られていた。


「お帰り……ほら、サンドウィッチ。作ってみたんだ」

「じゃあ、頂きます」

「あ、待って……こっち来て」


 サンドウィッチを食べようとした僕を止めて、トリストは手招きした。それに素直に従って、カウンター席の裏にある流し台へ。



「そこに手を出して」

「こう?」

「両手」

「こう……?」

「はいばしゃー!」


 言われたとおり両手を突き出すと、トリストは手に持っていた瓶から液体を思い切り振りかけて来た。


「わっ……冷た。なにさ急に」

「消毒、殺菌だよ」

「さっきん……あー、なんか前に言ってたね」


 病気の原因は小さな生き物で、それを対策するために手を洗えと。汚れているように見えなくても、目に見えないほどの生き物がいるとのことらしい。


「ミフルが疑うのなら、学会が使っているものよりも高性能の顕微鏡を作って、ついでに論文の一つでも送りつけてやろうかな」

「疑っていないよ。トリストが間違っていたことなんてそんなにないんだし……特にこういう知識は」


 錬金術の副産物らしいのだけれど、トリストは人類の知らない何かを知っている。副産物というのは、これらは錬金術を扱うにあたって必要のない知識で、他人に話してもその人の精神に何ら影響がないからだと言っていた。

 逆に、トリストは何か知識を話すだけで、その人の精神状態に影響を与えられるのだろうか。


 それとも、もしも彼女の言うその知識を理解できたのなら、錬金術師に成れるのだろうか。


「とりあえず食べてみるよ」



 今度こそトリストの作ったサンドウィッチを一口食べてみた。シビーユのお店で食べたものと同程度においしいのだけれど。


「どう?」

「うーん、あとちょっと何かが足りない感じがするかなぁ」

「うん……でもそのあとちょっとに悩んでて……ズルできないことは無いんだけれど」

「ズル?」

「バランスが壊れちゃうから流石にやらないけれどね。そういうのをやったら面白くなくなっちゃうから」

「ふうん?」

「要は調味料だね」


 僕は胡椒やハーブが強く効いた肉よりも、少しくらいは臭みがあった方が好きなのだが、少数派の意見なんだろう。

 

「そろそろ、準備も整ったね」


 トリストは僕の食べかけのサンドウィッチを奪って、大きく頬張り言った。食べながら喋るのは行儀が良くないが、その一言だけ言って黙ったので注意はしない。


 トリストが喫茶店(予定)内を見渡すのにつられて、僕も改めて観察する。



 外から見える位置にあるテーブル。そこの席が嫌だと言う人もいるだろうけれど、気にならない人には広告代わりになって貰える。


 以前、串に刺した鶏肉を焼いて調理している屋台を見かけた。誰もその屋台で買っていなかったので少し不安だったが、匂いにつられて注文した。ちょうど焼き始めたばかりだということで、屋台の前で出来上がりを待っていると、だんだんと人が集まって来て、飛ぶように売れ始めて――――つまり、僕が最初に思ったように、誰も買っていないと不安に思うのだ。誰かが買っているのならば、それを利用する。


 その経験があって、トリストの言っていることはすぐに理解できた。誰かがいるお店なら安心なのだ。どうでもいいが「ミフルにしては理解が早いね」と言われたことはちゃんと根に持っている。


 話が逸れたが、そんな窓際のテーブルが四つ。二人連れか、相席でも可能ならば、最大で八人は窓際に座れる。


 カウンターに席が四つ。

 ホールにも四つの席。これには最大で四人が座れるから、理論上は十六人いける。


 一応いるかもということで、誰にも見られない奥の席と個室もそれぞれ二つ。



 机はニスが輝く上品なものだし、椅子も悪くない。照明には格子状の飾りのついた、上品なランタンを使っている。ガラスの透明度もかなり高いもので――もちろんトリストが作った、ギリギリ怪しまれないもの。本当はもっと透き通ったガラスにもできたらしい――かなり立派な喫茶店になっている。


 いや、内装はだいぶ前からできていたのだ。

 それに加えて手続きだとかがあって……それも終わって。


「だから、問題はメニューなんだよな」


 僕が言うと、トリストはメニュー表を僕に渡した。


「一応コーヒーが三種類。産地ごとの契約だったからね。もしも繁盛したら増やせるかも。後は、サンドウィッチなんかの簡単な食べ物と、お菓子があるくらいかな。

 一緒に行ったシビーユのお店みたいな感じじゃなくてね、ふらっと立ち寄って、ちょっとだけ過ごして、ふらっと出ていくみたいな。そんな喫茶店にしたいなぁ」

「……結果として悪くないけど、本当にあの時のコーヒーは出さないの?」


 僕としてはかなりトラウマだ。


「これ?」


 と、トリストは厨房の向こうから、コーヒーカップを持ってきた。


 中には、濁った色合いの虹色が蠢く何かが入っている。


「テケリ・リ! テケリ・リ!」

「おい……最初から喋るじゃないか」

「……なんか勝手に喋りだしたんだよね。裏メニューとしてありかな?」

「なしだバカ!」

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錬金術師の喫茶店 本居鶺鴒 @motoorisekirei

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