第3話:シビーユの店
ミフル・ソロイア。二十歳。前職……は一旦置いて、現職、一応喫茶店の店員予定。つまりは無職なのだけれど。
トリストと共に
今日僕は、商会を訪れていた。
トリストは今までに何度か商会を訪れているが、僕は今日初めて来た。ウルヌ王国で最も大きい、中央商会。
「前々から予約していたんだけれど、今日は商会に仕入れの相談をしに来たんだよ。いいところを紹介してくれると良いんだけれど」
僕はその辺の仕組みを知らないので、トリストに説明を頼む。
「今日は契約をしに来たの。来月から、毎週コーヒーと茶葉を届けてくれるようにね」
「ん? でも……どれくらい客が来るのか分からないのに」
「もしかしたら一人も来ないかもね」
「そこまでとは思わないけれど……」
「具体的な量は後から申請できるんだってさ。最初は少なめにして、必要だったらさらに多く……場合によってはもっと少なくすればいいの」
少し機嫌が悪そうなトリストだが、特に理由があるわけじゃないんだろうな。
気分屋なところがあって、天気よりも激しく機嫌が変わる人だから。
訳もなく機嫌が悪い日もあるのだ。
「じゃあ、手続きして来るから」
そういって相談窓口の方へと向かって、商会の人間に案内されて奥の方へと消えていった。こちらに手を振ったトリストに手を挙げて返事をして、暇なので周りを観察することにする。
中央商会について僕は詳しくは知らないけれど、建物が大きく三階建て。うち一階は、今トリストがやっているような事務手続きに充てられているらしい。
いくつも窓口があって、広場みたいに人が多い。
この中央商会を外から見た時にも思ったが、内側から見ても非常に細かい装飾が壁に彫られているし、すごくお金をかけている。儲かっているんだろうなぁ。
ちなみに、僕が今いる中央商会の施設は、トリストがやっているような契約や仲介を専門に扱っているもので、本体は別にあるらしい。
本体はウルヌ王国中央広場にある、十階建ての百貨店だ。まだ行ったことが無い。
商人向けの市場もまた別にあって、殆どこの国の経済は中央商会が牛耳っている。
「お待たせ」
「え……早かったね」
「そりゃあ書類に名前を書くだけだし。じゃあ、行こうか」
「帰ろうかじゃなくて? まだどこかに行くの?」
僕の質問にトリストは大いに驚いた。大げさなくらいに目を見開いて。
「ミフルが言ったんじゃない。近所に挨拶しようって」
「あー、えっと、近所の喫茶店ね」
もちろんやってきた当初に、すぐ近所の人には軽く挨拶をした。けれど、少し離れた場所にあるらしい喫茶店や、コーヒーショップなんかには何も言っていない。改めて考えると、わざわざライバルになりますと言いに行くようなものかな……
「その辺りも商会の人に聞いてみたんだけれど笑われたよ。ご自由にしてくださいってね」
「まあ、無理に行かなくてもいいとは思うけれど」
「敵情視察も兼ねて行ってみよう。フェアじゃないから、正直に言ってからね」
☆
僕とトリストの家兼喫茶店。ウルヌ王国東区の、中央区寄りの場所。
人通りが多くて、道も大きい。立地条件が良いだけに――それもこちらの身分を誤魔化したのを見逃してもらうための賄賂もあって、かなりの高額だった。
商会は中央区にあり、そこから家に帰るまでの道に、一つの店がある。飲食店? 酒場? 曖昧な感じだ。
夕方から夜にかけてと、朝の早い時間だけに開いているらしいので、少し面倒だけれど一度家に帰って日が落ちてから、もう一度やってきた。
中央区から東区へ戻ってくる労働者が主な客みたいで、日中の疲れを癒すという感じではなくて、随分と活気に満ちていて騒がしい。
店内はかなり広くて、ざっと見ただけではテーブルの数を数えきれない。三十、もっとあるのではないか。
カウンター席を除いて五脚くらいしかテーブルのない、うちの喫茶店とは大違いだ。
騒がしさから想像できるように、客層もそれほど良くはなさそうだ。完全に偏見だけれど、顔つきがとことなく怖い人が多いから。
トリストと顔を見合わせると、彼女は「ここは私の想定しているものとは違うね」と目で語った。
適当な席に座って、すぐに奥から女の子がやってきた。僕とトリストよりもずっと若くて、まだ十代前半くらいに見える。
「こんばんはー! えっと初めての方ですよね。メニューは入り口の看板に書かれてますけど……」
ガラの悪そうな客の多い店で働いている風には見えない、小柄で可愛らしい女の子の登場に、少し困惑してしまう。
僕が何か言うよりも先に、トリストが軽く手を振って注意をひいてから。
「メニューは見てなかったんだけれど、お勧めはある? 私たちは食が細い方だから、量が多くないお勧めのもの――それか少なめにしてくれるかな?」
「えっと、でしたら……《明日の活力になること間違いなし、山猪のステーキ香草マシマシ》が一番のおすすめなんですが」
「…………ごめんね。条件を足そう。あまり香辛料を使っていない、いうなれば素朴な味のもで……サンドウィッチとか」
トリストは一番のおすすめを聞き、珍しく困惑した表情を見せた。
美味しそうだとは思ったのだけれど、どうやらトリストは本当に敵情視察を兼ねているつもりらしい。
サンドウィッチとかこんな店の雰囲気からは程遠いし、自分の喫茶店で出そうと思っているだけだろう。
そんな風に思っていたのだけれど、店員さんは少し考え込んでから、
「うーん……メニューにはないですけど、作れますから大丈夫です……えっとお値段は……パンと、肉と野菜と……うん銅貨七枚ですかね」
「えっと、いいの?」
「はい、もちろんです」
と、あっさりとメニューにないらしいサンドウィッチを受け付けてくれた。
「……あんなふうな、余裕が必要なのか……」
「トリストも料理は得意だろ? この間のコーヒーみたいな変な事さえしなければ」
「まだ根に持っていたの?」
「当り前だろ……そんな事よりも、あんなふうに簡単に受けつけてくれるものなんだね」
「うん、そこまで本気で言ったわけじゃないんだけれどね」
感心した様子のトリストは、また別のテーブルに呼ばれていった店員さんを見て、小さく呟く。
「そもそも、値段まで決めちゃっていたけれど……」
「この人数だしね……メニューにない物の値段の裁量権が有ったり……いや、そもそもの話さ――」
「メニューにない注文なんて断ればいいだけだよねぇ」
「うん……謎だ」
トリストと話している間に、店員の女の子は奥の方へと引っ込んでいって、大きなステーキの乗った鉄板を運んでまた戻って。
随分と忙しそうなので、眺めているだけでも時間が潰せる。珍しくトリストと話すこともせずに眺めていると……
「もしかして一人で回してる?」
「そうみたいね……驚きだわ……」
「ここのお店の、一人娘とか? それならさっきのトリストの注文に勝手に値段もつけられたわけだし」
「なるほど?」
また奥に戻っていった女の子は、数分もしないうちに出てきて、今度はサンドウィッチの乗ったお皿を持っていた。
「お待たせしましたー! 特別メニューのサンドウィッチです。豚の肉を解してたれと絡めて、酢漬けの野菜や
「あ、どうも……えっと、すみません」
想像よりしっかりしたものが出てきて、どうにも申し訳ない気持ちになったらしいトリストは、普段絶対しないような言葉遣いで恐縮していた。
それよりも僕が気になったのは、そのサンドウィッチが思ったよりも大きい事と、皿一つで運ばれてきたこと。さらには計四つのサンドウィッチが乗っているのだが。
「さっきの銅貨七枚って、まさか二人合わせて七枚って事だったの?」
「? はい! その通りです!」
一人がこの量のサンドウィッチ買おうとしても、銅貨七枚が妥当だろう。単純に、相場の半額ぐらいという事になる。
「あの、そんな値段で大丈夫なんですか? もっと相談して決めた方が良かったのでは……」
トリストが敬語を使って質問し始めた。いよいよ頭が上がらなくなってきたという感じだ。
「そうだん……? ですか? あっ、えっと、なぜだかよく勘違いされるんですが、私がここの店主のシビーユです」
「店主、さん……?」
「はい。従業員がいなくて、私一人で回しているので……本当はもっと早くお届けできたらいいと思っているんですが……もし気に入っていただけたら、ぜひまた食べに――って、こういうのは食べ終えてもらってから言う言葉ですよね……あはは、えっと、ごゆっくりー」
「……自信なくなってきた」
「特殊な例だと思うよ」
ちなみにサンドウィッチはめちゃくたに美味しかった。早い安い旨いの完璧な店だ。
後日、改めて伺うと、店名が「疲れたあなたの心の止まり木、あるいは脳みそ伽藍洞にしたいときに活力だけ手に入れようねのシビーユのお店」であることが判明して、ネーミングセンスという唯一の弱点にトリストは安心していた。
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