第2話:アップルパイ



 トリストの喫茶店は未だ開店準備中。

 今日は何かお菓子を作っている様子だ。


 カウンターテーブルの上には、『誰でも簡単! 喫茶店経営』というシンプルながらもあまりあてにならなさそうな本が置いてあった。


 いくつかのページにメモが挟まっている。めくってみると、「独創的なコーヒーを作ろう」と大きな文字で書かれていた。トリストが書き込んだらしいメモは、僕には読めない文字だ。そもそも、トリスト以外に使用者がいない文字なのかもしれないな。


 というか、もしかしてこれを参考にしてこの間のコーヒーを作ったのか?


 なんとなく他のページも見てみることにした。


「えっと……何度でも食べたくなるようなお菓子メニューを目指そう……?」


 今作っているトリストのお菓子と何か関係があるんだろうか。

 いや、普通なら凄く美味しいお菓子を目指しているのだろうと期待してもいい筈なのだが、トリストの事になると不安しかない。


 なんだかもっと危険な意味で、何度でも食べたくさせられそうな――



「ほら、失礼なこと考えているところ悪いけど。アップルパイ。食べてみて?」

「これって本当に安全?」

「人体に有害なものはないかな」

「かな?」

「水だって人間には毒になるんだぜ? 無害だとは言わないよ。小麦、砂糖、フルーツから生成されるメタノール。無視していい程度だけれど、人体には害だからね」


「人間は美味しければ毒でも食うよ。酒場に行けばみんな酒が世界で一番うまいって言ってる。

 そういうことじゃなくてさ、もっとこう、将来的に病気を引き起こすんじゃないかなぁとかいう曖昧な有害物質以外に、今日明日影響が出るようなものは」

「それは絶対ないよ」


 まあ、なんだかんだ言ってトリストのことを信用してはいる。そもそも、信用していなければトリストの側に近づくことすらしない。彼女がやろうと思えば、僕は人類史上一番苦しんで殺されることだってあり得るのだから。

 実際にやってるの見たし。


 信頼とは何だろうと、時々考える。僕に生半可な魔術の才能があるからかもしれない。知っている限り、僕が手も足も出せずに殺される可能性があるのはトリストだけだ。

 だから、ふとした時に彼女だけは僕を簡単に殺せるんだよなと考えてしまうのだ。


 それをしないと分かっていても、そういうことを考えてしまうのが、トリストに対する裏切りのような気がして。裏切ったり裏切られたりが当たり前の環境にいたからという言い訳もあるけれど。



 トリストが無から生み出したナイフとフォークを受け取り、アップルパイを切り分ける。


「全部食べていいよ。私はさっき試食したから」

「……そう」


 そういわれると、やっぱりこのアップルパイに普通じゃない何かがありそうな気がするが――


「今回のは本当にちゃんと作ったよ。昨日のコーヒーは物は試しにやってみただけで。一応これでもちゃんと喫茶店経営するつもりなんだから」


「ふぅん?」

「やるからには一番を目指さないと。とりあえずウルヌ王国この国で一番の喫茶店を目指そう」

「まずはこの街とか、この地区で、とか……そういうところからにしなよ」


 そんな話をしていてふと気が付いた。


「そういえば、近所に挨拶とか行かなくていいのかな。横のつながりはあった方がいいし、余計なトラブルに巻き込まれないように」

「トラブル?」

「ほら、誰に許可を取って勝手に店を出しているんだとか言われたりとか」

「商会には届けを出したんだけど……近所の同業者に挨拶か……その発想はなかったね」

「え? 商会……? いつの間に?」

「もともと仕入れの相談をしに行っていたんだけれど、店を出すには届け出がいると聞いてね。そこで……いつの間にかという疑問には、君が寝ている間にと答える」


 アップルパイを切り分けて、一口。リンゴの酸味と風味。カスタードの甘さと、柔らかい果肉とタルト生地のバランス。かなりおいしい。ひたすらに甘いものも、酸味が強すぎるものも繰り返し食べたいという気分にはならないが、これなら毎日でも食べたいくらいだ。


「他にもこういったメニューはあるの?」

「……おいしいと思ったのなら、素直においしいと言う人の方が私は好きかなぁ?」

「はいはい、滅茶苦茶おいしいから。ね、これが主力メニューってやつ?」

「主力はコーヒーと紅茶だよ。喫茶店なんだから。タルトは季節ごとに種類を変えたいかなぁ。今はあまり季節関係なく手に入ったりするみたいだけれど」


 なんでもなさそうにしているトリストだけれど、嬉しいらしい。明らかに上機嫌になって、声色も少し高くなった。そもそも、にやにやと笑みを浮かべているので、全く隠せていない。


「トリストの力なら簡単にどんな果物でも手に入るんじゃないの?」

「そうでもないよ」


 言いながら何もない空間から僕が今使っているのと同じ、フォークを生み出した。


「こういう風に、単純な構成の物質を生み出すのは出来ても、有機物……植物や動物みたいな、複雑なものを作るのは難しいの。不可能ではないけれどね……」

「ふぅん? もともと、錬金術って金を作るための研究だろう?」

「金……か。まあ、そうかな。それは事実だけれど、本質ではない」

「……?」


 持って回ったような言い方をしたトリストに、僕は無言で続きを促す。


「つまり、簡単には手に入らないものを簡単に手に入れたい。これが錬金術の根幹だよ。金、無限の命、生命を生み出す神同然の力。残念ながら、全部実現できるけれど、簡単じゃないんだ」

「へぇ……何もない所から金属を生み出せるのだから、金くらい作れそうなのに」

「あ、いや。金は簡単だよ」


 言って、トリストは手にしていたフォークを何度か振った。先ほどまで間違いなく銀色であったはずのそれは、あっという間に金色に変わって。


「ほら」


 と、どこか得意げな顔で、僕に金色のフォークを渡してきた。手にして分かる。この重さは間違いなく金だ。解析魔術をかけてみるけれど、間違いない。

 グイっと力を入れてみると、柔らかくてすぐに曲がった。


「…………こんな力あったら働く必要なくない……?」


 色々と頭の中を考えが廻ったが、結局僕はぼんやりとそんなことを呟いてしまう。


 トリストは少し呆れたように笑ってから、僕から金のフォークをひったくる。また何度か振ると、元の銀色のフォークに戻って、それから花の形に変わった。金属細工の職人が失業しかねないな。


「まあ、無限にお金が入ってくるかもしれないけれどね、あんまり意味ないよそんなの。こんな力を使うのは、私みたいな弱い人間だ。人間が生きるには、目標とそれに付随する困難が必要なの。ただ生きるだけなら、これ以上ない力なのにね。幸福に生きるには無用の長物なのさ」



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