錬金術師の喫茶店

本居鶺鴒

プロローグ:開店準備

第1話:錬金術師の喫茶店

「……これなに?」


「コーヒーに決まっているでしょう? コーヒー……知らないの?」


「……いや、コーヒーは知っているよ。1500年前にククル教の聖女が好んだために、急速に広まった飲み物だろう? 飲んだことももちろんある」


 僕はコーヒーを頼んだ。それに間違いはない。


 特有の香りと味わいがある。苦味と酸味、その奥にある甘さなど、魅力的な要素の多い飲み物。種類も多くて、それぞれ好みのコーヒーが有ったり……いや、そういうことはどうでもいいのだ。



「なんか色がおかしいんだが」


 虹色に輝きながら、カップの中でドロドロと、ゆっくり蠢いている。強い粘性があるようで、虹色の中に鈍色の部分が見え、溶けた鉛に石鹸の膜が張っているのかと思った。


 においだけはしっかりとコーヒーなのが、奇妙だ。


 解析魔術をかける……のはやめておこう。この世のものでない事が分かったら困る。



「ひとまず注文したからには温かいうちに飲んで欲しいな」

「あ、た、温かいの? これ?」


 僕の言葉に反応するように、急にコーヒーカップの中の謎の物体がぼこぼこと泡立ち始めた。


「流石に……これは……」



 彼女――僕が知る限り唯一本物の錬金術師であるトリスト・マシュアは、昔からこういう訳の分からない行動を取る。

 いや、トリストの中ではちゃんと意味のある行動なのだとは思うのだが。


「もしかして、この店で出すコーヒーは……これ?」

「? まさか。君以外に誰がこんなものを飲むか」




 ☆





 トリスト・マシュア。二十歳。


 シンプルなワンピースに、魔術学校時代から使っているローブを羽織っていて、決してお洒落ではないのに人目を惹く。スタイルの良さだとか、オーラだとか、きっとそういうものが原因だろう。

 真っ白な髪は非常に長く、時折床を擦っている。何らかの対策をしているのか、毛先が汚れているのは見たことが無い。



 そして、彼女は錬金術師である。

 今から何百年も前に、魔術からも科学からも否定された神秘の力の支配者だ。

 未だに自分は錬金術師だと名乗る奴もいるらしいが、そのほぼすべてが偽物。手品にも届かない芸を見せるだけの、詐欺師ばかり。


 だが、トリストは本物だ。


 どうやってそんな力を手に入れたのか、僕も知らない。前に尋ねてみたが、上位存在と接触して前宇宙の法則を引っ張て来て――と、荒唐無稽な話をされて誤魔化された。



 そのトリストがやろうとしているのが、喫茶店だった。





 ひと月ほど前。

 ちょっとした事情から、僕とトリストはこの国に移住してきた。

 金に余裕があったので、身分が怪しい僕たちでもあっさりとそこそこ大きな家を購入出来て、やっと一息付けた。


 しばらくだらだら過ごしたのだが、何かやった方がいいだろうかとトリストと話し合って、とりあえずトリストのやりたいことを考えておいてと言ったのが一週間ほど前。


 その翌日には、僕たちの買った建物の一階が喫茶店に改造されていた。

 

 トリストのやることに今更驚きはなく、ただ呆れて、僕も開店準備を手伝っているわけなのだが。





「これは、飲めないよ……流石に……」


 ついにコーヒーカップの中の、コーヒーとは呼べない謎の何かから小さな手が無数に生えてきて、闇の中を探るように揺れている。

 そのうち眼とかが生じそうで怖い。



「私の作ったものが飲めないって言うの?」

「まともな飲み物なら喜んで飲んだよ。せめて見た目が良ければ我慢したのに」



 そういったやり取りの間にも、コーヒーカップの中の謎の物質は体積を増やして、カップケーキのように盛り上がっている。まさか成長しているとか?



「あ、ああ……」


「……? 何か、声が聞こえた様な」





「ばやぐ。のんで。のめ、だずげで」




 危うく持っていたコーヒーカップを投げそうになった。よく我慢できたと思う。


「しゃ、喋ったん、喋ったんだけど……」

「そりゃあ喋るよ。成長したら知性も獲得するし」

「成長って……」


 まるで生き物みたいじゃないかと言おうと思ったのだが、まるでじゃなくて本当にイキモノなんだろうなぁ。

 そもそもこれ、飲んだら死ぬんじゃないのか。



「ちなみに人体には無害だし、味にも自信があるから。というか、あまり時間が経つと、ショゴス……じゃなくてコーヒーが手に負えないくらいに成長するかもしれないから、飲んで欲しいんだけど」

「ちょっとまて、ショゴスってなんだ!? 今このコーヒーのことをショゴスって――――」


「えい」



 と、突然トリストが僕の頭を押さえて、コーヒーカップを口に押し付けてきた。やはり意思があるらしく、滑るように口の中にコーヒー(ショゴス)が侵入し、しばらく口内を暴れまわった後、喉の奥の方へ潜っていく。


「げほっ、ちょ……流石にやっていい事と悪い事が……」

「でも、美味しいでしょ?」


 言いかけて、口の中に残る香りと味に文字通り閉口した。


「おいしい……」

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