16 放課後

「い、一ノ瀬くん……! あのね! えっと…………」

「はい……?」


 放課後、一人で勉強をしていた俺に、なぜか声をかける水原。

 今度はなんだろう。それに少しテンションが上がってるような気がするけど、いいことでもあったのかな? 机の前でしゃがんで笑みを浮かべている彼女は、俺に用事でもありそうな顔をしていた。


 そして、こういうの初めてだからどうすればいいのか分からない。

 なぜ、俺の前で笑ってるんだろう。この雰囲気はちょっと嫌だった……。


「ねえねえ! 私、一ノ瀬くんに聞きたいことがあるけど……いいかな?」

「はい。なんですか? もしかして、晴人のこと……?」

「違うよ〜。私が聞きたいのは……、一ノ瀬くんに好きな人がいるのかだよ?」

「好きな人……ですか?」

「そう! いるの?」


 その前に、なんで水原の目がキラキラしてるんだ。

 でも、こういう時は……晴人に言われたあれを言うしかないな。


「すみません。俺……今好きな人がいますから。もし、そういうことなら本当にすみません」


 そう、好きな人がいなくても、こういう雰囲気になったら適当に「いる」って答えること。そうすれば、面倒臭い状況は起こらない。女子が苦手だった俺に晴人はいろんなことを教えてくれた。相手の話を上手く断る方法! でも、それは先生にだけ通じない方法だった。


 何をしても俺のプライベートスペースに入ってくるから、全然ダメ。


「その人……。もしかして、担任の神崎先生なの?」

「うん? いや、どうして先生だと思うんですか?」

「なんとなく……。あの! 一ノ瀬くんは彼女とか作りたくないの?」

「い、いきなり彼女……ですか」

「そう! 一緒に美味しいものを食べたり! デートをしたり! いろいろ楽しいことたくさんあるよ? そして、一ノ瀬くん……今付き合ってる人いないから……」

「彼女とか考えたことないんで、それに……今はそんなことよりテストの勉強をしないと……。すみません、水原さん」

「…………」


 なんか、しつこい。

 それに……俺は先生と約束をしたから、こうやって女子と一緒にいるのを見られたらまた怒られるかもしれない。てか、今まで女子に全然興味がなかった俺が、先生との約束を守ろうとするなんて……変わったな。


「ねえ、私は……! 一ノ瀬くんのことを———」

「あれ? 二人、そこで何をしてるんですか〜?」


 そして、廊下の方から先生の声が聞こえてきた。

 なぜ、いつもこんなタイミングで現れるんだろう。怖い……。


「時間遅いから早く帰ってください」

「…………」


 ビクッとする。


 ふと、この前に「裏切ったりしない」って言ったのを思い出す俺だった。

 どうしよう、頭の中が真っ白になる。


「えっ」


 そして、先生と過ごすその日常が好きになったからさ。

 機嫌を損ねるようなことはできない。

 俺は貧乏だから……、先生が作ってくれた夕飯とお弁当を食べると食費を節約することができる。なんか、先生のことを利用してるような気がして悪いけど……、そうするのが好きって言ってくれたから俺は何も言えなかった。


 俺にとって、この関係は大事だから。

 約束をちゃんと守らないといけない。


「あの! 私、一ノ瀬くんとまだ話が……」

「そう? 一ノ瀬くんは?」

「えっ? あっ、俺は帰ります」

「えっ! 一ノ瀬くん! どうして? 私の話はまだ……」

「水原さん、何が言いたいのか大体分かってます。でも、俺は……そんなことに興味ありません。だから、先に帰ります! すみません」

「…………」


 深刻な顔をしている京子と、それを見て微笑む怜奈。

 慌てているのは伊吹だけだった。


「あの……。先に帰ります、先生。仕事頑張ってください」

「うん! また明日」

「はい……」


 一人残された京子は廊下でじっとしている怜奈を見ていた。

 そして、口を開ける。


「あの……、神崎先生」

「はい?」

「先生は知ってますか?」

「何をですか……?」

「一ノ瀬くん……、先生に好意を持ってるように見えますけど。どう思いますか?」

「そうですか? 誰かに好きになってもらうのは素敵なことだと思いますよ」

「単刀直入に言います。先生も……一ノ瀬くんのことが好きですか?」

「あはは……、私は教師です。水原さん」

「そ、そうですよね。あはは……」

「でも、もし私が高校生だったら……もっと積極的に押し付けたかもしれませんね。水原さんは純粋な女子高生でホッとしました」

「ど、どういう意味ですか?」

「すぐそばにいる人のを疑ったことありますか? 自分に言ってることがすべて真実だと思いますか? 水原さんは」


 一瞬、怜奈の目色が変わった。


「えっ? どういう……ことですか?」

「念の為、これを言っておきます。一ノ瀬くんには、一度もありませんでした。好きな人」

「…………えっ?」

「なぜ、そんなことを知ってますかって顔ですね。私は教師になったばかりなので、生徒たちと仲良くなるために恋バナとか、趣味とか、そして悩みなどを聞いてあげたります……。だから、誤解しないでください」

「…………」

「じゃあ、私も職員室に戻ります」

「…………」


 ……


「よくやったね。いっくん」


 今日の夕飯はなぜか和牛だった。

 和牛は食べたことないけど……、スーパーとかで見たことはある。手のひらと同じサイズなのに……めっちゃ高かったから。

 こういうの初めてだ。


「美味しそうだよね?」

「は、はい……」

「ご褒美だよ、いっくん。たくさん食べて」

「はい? お、俺は何もやってないんですけど…………」

「ごめんね。偶然聞いてしまったから、二人の話」

「あっ、そ、それは…………」

「大丈夫。いっくんが何を考えていたのか知ってるからね。えらい!」


 それだけで、こんな高い和牛を買ってくれるのか?

 どうしてだ……? 俺にそんな価値があるのか? 俺は先生と温かいご飯を食べるだけで十分だったのに、こんな高い和牛まで食べてしまうとさすがに……負担を感じる。なぜ、なぜ……そこまで優しくしてくれるのか分からなかった。


「食べないの?」

「いいえ。あの……、やっぱり神崎さんに負担をかけてるような気がして、こんな高いお肉は食べられません」

「そうなんだ。じゃあ、捨てよう。いっくんが食べないなら、私もこういうのいらない。今日はこの辺で寝よう」

「い、いいえ! そ、そんな! 食べ物を粗末にするのよくないですよ!」

「じゃあ、食べる? 食べない? はっきり言って」

「た、食べます…………」

「うん。一緒に食べよう。お金のことなら心配しなくてもいいって言ったでしょ? 私はこうするのが好きだから、それだけだよ?」

「はい……」


 そして、頭を撫でられる俺だった。


「いっくんはいっぱい食べて早く大きくなるんだよ。分かった?」

「はい……」

「そして、私との約束を守ってくれるなら……こういうの飽きるまでたくさん買ってあげるから。あーん」

「あ、あーん」

「よしよし……」


 すごい、旨すぎる……!

 なんだよ、これ。旨すぎて……涙が出そうなそんな味だった。


「ふふっ♡ 可愛いね。美味しい?」

「はい…………」

「あーん」


 なぜか、ずっと俺にお肉を食べさせる先生だった。

 子供かよぉ、俺は。

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