8 アルコール

「お帰り! いっくん!」


 ドアを開ける先生がすごく可愛い顔をして、にっこりと笑っている。

 まだこの状況に慣れてないけど、先生が喜ぶならそれでいいと思っていた。笑うと可愛いし、そんな先生を見るのが好きだったから。先生がいい相手を見つけるまで、そばにいてあげることにした。


 もちろん、これはまだ言ってないけど、そうしようと一人で決めた。

 ずっと一緒にいるのは無理だからさ。


「あれ、まだ着替えてないですね」

「うん! 買い物をして、帰ってきたばかりだから」

「へえ……、今日は何を食べますか?」

「何にしようかな! まだ決めてないけど、カレーはどー?」

「好きです」

「うん!」


 そして、ふと晴人のことを思い出してしまう。

 あいつ……今日ちょっと変だったよな。普段なら「怜奈先生、めっちゃ可愛い!」とか言うはずなのに、昼休みが終わった後は何も言わず授業を受けていた。好きな人でもできたのか? でも、そんな顔じゃなかったような気がする。


 一体、なんだろうな。面倒臭い……。


「食べよう!」

「い、いただきます! あれ? 神崎さん、ビール?」

「あっ、うん! 今日ね……、ちょっといいことがあって。ビールが飲みたくなったよ! いっくんも飲む?」

「俺は未成年です……」

「へへっ〜」

「でも、お酒飲んでも大丈夫ですか? 神崎さん」

「こう見えても私お酒に強い人だから! ふむ!」

「へえ……」


 そして、二人きりの夕飯。

 すぐ前でビールを飲んでいた先生は、いつの間にか真っ赤になった顔をして俺を見ていた。お酒……弱いのかよ。それに、わけ分からない声を出しながら俺のそばに座る先生、これは危機かもしれない。


 めっちゃ甘えてくるし、そばからお酒の匂いがするから……。


「テンション上がる!♡」

「神崎さん、飲み過ぎですよ……」

「えへへっ、ひひっ♡」


 ダメだ。この人……、酔っ払うとめっちゃ甘えてくる人だ!

 こうなったら、先生の家からこっそり逃げるしかないよな……。

 アルコールはやばいぞ、伊吹。早く逃げろ!


「どこ行くの〜? いっくん……。そばに来て〜」


 バレてしまった。


「私ね、いっくんのこと……だーい好きだよ〜? 分かる!? 大好きの意味」

「えっ、あ……。はい」

「なんだよ! その反応! 可愛くなーい!」

「神崎さん、飲み過ぎです!」

「ねえねえ。私、今日いっくんの友達に告られちゃった! あはは……」

「えっ? 晴人に?」

「そうよ。でも、付き合ってくださいとかじゃなくて……。彼氏と別れたのを言ってあげたら……好きな人いないんですかって聞かれただけ。普通の会話だったけど、顔に出ていたよ。これはチャンスかもしれないって、ドキドキしているのがね」

「そうですか」


 そっか、晴人は先生に声をかけたんだ。自販機の前で。

 そして、ずっと黙っていた理由は……自分が先生と結ばれないのを自覚したからかな。そんなことは言ってくれないから、推測するしかない。一応……、先生は晴人に興味がないから、その話には「好きな人がいる」って答えたかもしれない。なんとなくそう思った。


「それでね……うっ!」

「危ないですよ……。神崎さん」

「おっ……」


 ゆらゆらして、すぐ倒れそうな先生の腕を掴んでしまった。

 すると、さりげなく俺に寄りかかる。


「ひひっ、いっくんの匂いがする…………」

「もう……」

「それでね〜。私には好きな人がいるって言ってあげたよ〜」


 やっぱり。


「はい……」

「その相手、誰だと……思う?」


 真っ赤になった顔で俺を見上げる先生、そんなこと知ってるわけないだろ。

 てか、俺に寄りかかったままビールを飲んでいる! マジかよ! ゆらゆらして倒れそうになったくせに、また飲もうとしてるのか。そして……、全然知らなかったけど、先生は床に置いていたビールを全部飲み干した。


 確かに、四本くらい出したと思うけど……。


「もう、飲み過ぎです。神崎さん……」

「たまにはいいじゃん! これが好きだもん……」

「本当に……」

「ねえ…………私のね、好きな人は…………」

「神崎さん?」

「ううん……」


 寝てる。

 マジかよ。


「えへへっ……。ふわふわ、気持ちいい」


 しかも、寝言言ってるし……。

 どうすればいいんだろう。


「…………仕方がないな」


 一応、テーブルの片付けと洗い物をしたけど……。

 先生のことをどうすればいいのか全然分からない俺だった。


「なんだろう、この面倒臭い状況は……」


 ベッドに寝かせてそのまま帰ろうとしたけど、一つ引っかかることがある。

 お酒を一気に飲むと……死ぬかもしれないという怖い話を、どっかで聞いたことがあるから、心配になっていた。


 先生、お酒弱いんだからさ。


「か、帰れない……」

「いっくん……」

「はい?」

「…………」


 また寝言か……?

 仕方がなく、今日は先生の家で寝ることにした。

 もちろん、距離を取って……俺は反対側の壁にくっつく。もしもの時に備えて、すぐ先生を助けられるようにな。


「その服を着替えさせるのは無理です。だから、布団だけ……かけてあげます。神崎さん」

「ううん……」

「だらしない大人……」


 無防備すぎる。

 なぜか、ため息が出てしまう俺だった。


 ……


 深夜の二時、尿意を感じた怜奈がさりげなく体を起こす。

 ぼーっとして夜空を眺めていた。


「ううん……。いっくん、帰っちゃったのかな……。暑い……」


 着ていたブラウスとスカートを脱いで、そのままトイレに向かう怜奈。

 薄暗い部屋の中で伊吹はすやすやと寝ていた。


「飲み過ぎぃ……頭が痛い。あれ?」


 そして、床で寝ている伊吹に気づく。


「いっくんだぁ♡」


 急いで枕と布団を持ってきた怜奈は、伊吹のそばに寝床を作る。

 そして、さりげなく彼の体を抱きしめた。


「そういえば……、パジャマに着替えるのうっかりした。それに、ストッキングもまだ脱いでないし……。ううん……、面倒臭いから寝よう……」


 そのまま目を閉じる怜奈。


「おやすみぃ……♡ いっくん♡」

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