#2
私が恋を知ったのは、六年前の春。
それなりに名のある家系に生まれた私には、中学の頃から婚約者がいた。今の時代にそぐわないかなり古臭い考え方ではあったけれど、名家の一人娘となれば両親が血眼になるのも分からなくはない。
少女漫画みたいな話に輪をかけるような何処ぞの元財閥の坊ちゃんは容姿端麗、文武両道という優良物件で、普段から過保護気味な両親も縁談が来るや否や、二つ返事で私を差し出した。
勿論私にも異論は無い。それどころか、周りの男を見ても婚約者と比較して優劣を付ける悪い癖まで付いて仕舞えば、恋愛なんてする気にもならなかった。
──たった一人……道端に転がっている石のような、ありふれて平凡な彼を除いて。
小中高、大学まで親の指示に従って良い子を演じてきた私は、父が「お前が生きたいように生きれば良い」と言ってくれた言葉を免罪符にして、就職を口実に実家を飛び出して一人暮らしを始める。
就職先なんて、実際はなんでも良かった。取り敢えず両親の前で息が詰まるような優等生を演じ続けるのを辞めたい──それだけが当時の私の願いで、意地でも掴み取りたい目的。
「初めまして……今日からこちらでお世話になる事になりました……」
第一印象の基本は笑顔。私が目一杯の作り笑いで頭を下げると、職場の男性陣がワラワラと声を掛けてくる。
──何処に行っても男は同じ、か。
半分呆れて対応する中、一人の男性が目に入る。まるで私を疎むような瞳以外は割とどこにでもいそうな風貌なのに、何故か私は彼から目が離せなかった。彼は暫く眉根に皺を寄せてパソコンと向かい合うものの、感じの悪い目付きで私を一瞥する。
正直、こんな対応をされるのは生まれて初めてだ。少しの腹立たしさとそれを上回る興味を持った私は、距離を取りながら立ち上がった彼の後を追う。お手洗いからデスクに戻ろうとする彼を探偵みたいに途中の廊下で待ち伏せし、「あの……すみません」と偶然を装って彼に声を掛けたのが全ての始まりだった。
素直に認めたくないが、これはきっと一目惚れだ。最初にデスクで見かけた時から、目立たなくって、地味で、気弱なヘタレ──それなのにふと見せる嘘偽りないその表情があまりにも鮮やかで愛おしかった。いや、未練たらしい私の中では、今でもちゃんと『愛おしい』ままだ。
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