第2話:初めての戦闘
今もなお、森の中を歩き続けているが、さすがに足腰が痛くなってきた。体力には自信があるリオンでも、この凸凹した道を歩き続けるのは予想以上に消耗が激しい。足元は不安定で、一歩一歩が思った以上に体力を奪っていくのがわかる。
さらに状況は悪化してきた。空がどんよりと暗くなり、視界がどんどん悪くなる。木々の間から降り注ぐ薄い光も、雲に遮られてすぐに消えた。しばらくすると、ポツポツと雨まで降り出した。冷たい雨が森の中を覆い、足元は滑りやすく、ますます歩きづらくなっていく。
「こんな状態で進んで意味があるのか?」
リオンは呟いたが、振り返ることはなかった。戻っても何も変わらない。むしろ進んでいった方がまだ可能性がある気がした。
闇雲にひたすらに足を動かしていた。
身体の疲れがどんどんと重く感じられる。ひんやりとした雨が肌に染み込んで、体温を奪っていく。
霧のように立ち込める雨が、視界をますます悪くし、足元の感覚すらも曖昧になってきた。
けれど、リオンは立ち止まることなく、足を前へと進める。
「こういう時こそ冷静に、冷静に」
自分に言い聞かせながら、リオンは歩みを止めない。しかし、無理をしているのはわかっていた。体力的に限界を迎えていることは明らかだった。それでも、心のどこかで諦めたくない気持ちが芽生えていた。
ここで諦めれば待っているのは想像に固くない結末だ。
「もう少しだけ、もう少しだけ進もう」
リオンはつぶやきながら、一歩一歩を踏みしめた。
お腹も減ったし、とりあえず何か食べるものがないかと周囲を見渡す。
しかし、木々や茂みの中には食べれるものが見当たらない。
せめて、道中で見つけたようなものがあればいいんだが、今のところそれもなし。食料が手に入らないのはもちろん、体力も限界に近づいているのがわかる。
ふと、雨を防げそうな影を見つけた。すぐにその場所に向かうと、どうにか身を隠せるくらいの小さな空間があった。
ちょうど大人一人分くらいは収まるくらいだ。避難所としては充分だろう。リオンはそこで一息つく。
「しかし、どうっすかぁな〜」
思わず愚痴をこぼす。周りに助けはないし、打つ手が見つからない。四方八方を塞がれたかのような絶望感が押し寄せる。それでも動く気力はあるんだろう、無意識に体は少しだけ身を引き締めていた。
雨はますます勢いを増し、肌に触れる冷たい水滴がじわじわと体温を奪っていく。濡れた服が重く、体が冷えきる前にどうにかしないとまずいな。
「むやみに動き回れば、体力を無駄に消耗するだけだな」
それに食料もない。このまま進んで行くのは無謀かもしれない。けれど、立ち止まることもできない。迷っている暇もない。数多くの思考はやがてリオンの頭をパンクさせていく。
自分の状況を冷静に把握しようとするが、それがかえって気分を悪くさせた。容量が悪いって、改めて感じる。
だって、こんな状況になる前にもっと準備できたはずだろう。後悔の念がぐるぐると頭を巡る。
いや、出来ないか、いきなり飛ばされて正常な行動が出来る人こそある種イカれた人間だ。
「もう少しやりようがあったな」
考えるけれど、今さらそんなことを考えても意味がない。過ぎたことを悔やんでも仕方がないし、今はどうするかが重要だ。今できることは、この雨をしのぎながら、少しでも回復することだけだ。
今はただ、雨が止むのをじっと待つしかない。木の下で少しでも雨をしのぎ、体力を温存することに専念する。これ以上消耗してはいけない。濡れた服が冷たく肌に張り付き、身震いが止まらないが、今は焦って動くよりも、耐える時だと自分に言い聞かせるしかなかった。寒い、体温が奪われていくのを感じる。
最悪の可能性が脳裏に過ぎる頭を振り考えないようにする。それが今リオンの精神を支える柱なのだから。
しかし、その時、不意に全身に嫌な予感が走った。何もなかった静寂が、突如として裂けるように、低く不気味な唸り声が森の中に響く。「グルルル」と、どこからともなく聞こえてきた。
それは死神が背後に忍び寄っているかのように、空気が一気に重くなり、肌が粟立つのを感じた。
「あれは──」
目の前に現れたのは、狼だった。その姿は、日本狼か、それともアメリカオオカミなのか。そんなことはどうでもいい。
今、目の前にいるのは、間違いなくリオンに向けられた殺意を持った存在だ。
体が硬直して動けない。恐怖が足元からじわじわと広がって、指一本動かせない。なんで動けないんだ? こんな時に、何もできないのか?
目の前の狼がじっとリオンを見据えている。いや、正確には、見ているのではなく、その威圧感でリオンを完全に支配している。脳裏にひしひしと伝わる圧力、その強さに、リオンはただ立ち尽くすしかなかった。威圧、だと?
無理もない。魔狼は『威圧』を使用していた。
(動け、動け!)
リオンは必死で足に鞭を入れ、その瞬間、体がようやく動いた。目の前の魔狼が飛びかかる瞬間、ギリギリでその攻撃をかわすことに成功した。
狼の鋭い牙が、リオンの皮膚をかすめることなく空を切る。幸運にもその攻撃は無傷で避けることができたが、その隙にリオンは地面に転がり込んだ。
雨に濡れた地面が服に媚びり付いたが今はそんなの関係ない。
地面に転がったリオンはすぐに立ち上がり、背筋が凍りつく感覚を覚えた。
恐怖が一気に体中に広がり、頭の中で無数の警告音が鳴り響く。
それでも、リオンはその恐怖に耐え、必死にその場から走り出した。後ろを振り返る暇もなく、ただ前へ、前へと駆け抜けることしかできない。
雨が激しく降り注ぎ、視界はほとんどゼロ。足元は滑りやすく、不安定な地面に何度も転びそうになりながらも、リオンは気合いで足を踏みしめ、走り続けた。
心臓の鼓動が鼓膜を叩くように響き、耳に残るその音だけが今、現実のすべてを告げている。背後から感じる狼の気配が、リオンの心に冷たい恐怖を与えた。
生きるために、ただひたすらに走り続けるしかなかった。
冷たい雨が肌を打ち、体温を奪っていく。身体は冷たく、震えが止まらない。
しかし、リオンはその痛みを意識することなく、逃げることに集中する。
その視界の先には、ただひたすらに進むべき道しか見えなかった。目を背けることはできない。何度も足元を取られ、倒れそうになるが、それでも全力で前に進む。彼の脳内ではただ一つの命令が響いていた。「生きろ。」と。
後ろからは狼の足音が、追い詰めるように迫ってきていた。最初はわずかな音だったが、今やその足音は鋭く、リズムよく響き、着実に近づいてくる。リオンの心臓は早鐘のように速く打ち、息がつかえるような感覚に包まれる。
その足音のリズムが、すでにリオンの後ろまで迫っているのが分かる。冷や汗が背中を伝い、思わず息を呑む。
(まずい、まずい、どうする)
リオンの思考は一気に走り出した。ここで振り向けば、確実に自分が捕まる。
そして、今の自分にはその体力で対抗する術がない。魔狼の足音がますます近づいてくるのを感じながら、リオンはついにある決断を下した。
「どうせ逃げられない、ならば──」
背後からの気配が迫る中、リオンは思い切って身を屈めた。狼が飛びかかる瞬間、リオンはその素早い動きで攻撃を回避した。その直後、狼は無駄に地面を掻きむしりながら、リオンの姿を追った。
「はぁ・・・はぁ・・・」
リオンは息を切らしながら、ついに魔狼と向き合うことになった。魔狼はその攻撃を外されたことに苛立ちを隠せず、低く唸りながら、再び攻撃の準備をしている。
リオンの目の前で、魔狼はじっと静止している。目の前に立ち尽くしている。
「がァァァァ!」
魔狼は不意に大きな声を上げ、その威圧感を全身で放ってきた。リオンはその圧力を感じ、思わず体を一瞬硬直させた。
その瞬間、リオンは周囲の土を掴み、魔狼に向かって投げつけた。土の塊が飛び、魔狼の視界を遮る。狼はその一瞬の隙を見せ、動きが止まった。
リオンはその隙に素早く身をひねり、魔狼の右手が振り下ろされる瞬間を見計らって回避した。風を切るその手が、リオンの耳元をかすめる。リオンはその危機を間一髪でかわしたが、次の攻撃が来ることを感じ取っていた。
(このまま避け続けても、どうにもならない。武器もない、どうすれば)
リオンは焦りを感じ、周囲を見渡した。今、リオンには攻撃の手段が何もない。ただ防御だけに頼った戦い方では、魔狼に勝つことはできない。
しかも、リオンの体力はすでに限界を迎えていた。疲労感が全身を襲い、体が重く感じられる。
そして、魔狼はその動きが次第に変わり、リオンの攻撃を察知し、冷静にじっと動かずに見つめている。その冷徹な視線が、リオンをさらに追い詰めていた。
リオンは後ろに退きながら、足元で何かにコツンと当たる感触を感じた。視線を下に向けると、それは鋭利な木の破片だった。迷うことなく、それを手に取る。これで少しでも反撃の可能性が生まれる。
手にした木の破片をしっかりと握りしめたリオンは、再び魔狼と向き合う。その眼差しには、もう一度挑む決意が宿っていた。
チャンスは一度きりだ、動物は殺した経験はある為そこまでの抵抗は無い。リオンは息を吐く。
そして覚悟を決めた。
「・・・え?」
リオンは目を見開いた。魔狼が口を開け、何かを放出しようとしているのが見えた。その光景は非現実的で、リオンが知る狼の行動パターンとはまったくかけ離れていた。
呆気に取られて動けなかったリオンの顔に、猛烈な熱エネルギーが突如として感じられる。だが、その熱が直撃することはなかった。
「危ない!」
リオンの命を救ったのは、先程から現れていたコアだった。瞬間、強い衝撃が走り、彼女の白いフードが吹き飛ばされる。
白いショートドレスに身を包んだコアが、リオンの前に立ちはだかる。彼女のツインテールは渦巻き型で、白色が輝き、ピンク色の目がリオンを引き寄せる。あまりの可愛さに、思わずリオンは見とれてしまった。
コアの姿はまるでアイドルのようだ。正直言って、リオンの中で「可愛い顔」という言葉が完全に更新される瞬間だった。アイドル顔に見とれながらも、リオンはすぐに自分を取り戻した。
「リオン!何してるの!」
コアがリオンを揺さぶり、ようやく我に返る。心臓が早鐘のように打ち鳴る中、リオンは少し慌てながら口を開いた。
「あ、ありがとう。」
何が起きた良く理解出来てないリオンだけど、助けられたという事は理解していた。
「だから言ったでしょ、ここは危ないから引き返しなさいって!」
コアはリオンに対して怒りながらも、視線を魔狼から離さなかった。魔狼は依然として威圧的に立っているが、リオンにとってはその状況の方が怖かった。
「ごめん。」
その通りだ、コアの言うことを聞いていればリオンは今頃こんな目に会うことはなかった。
「今さらよ、リオン。あなたはスキルないの?」
「す、スキル?」
スキルと言えば、超常的な現象を引き起こす特別な力だ。それは誰もが憧れ、尊敬し、同時に畏怖の念を抱くものだった。だが、リオンにはそのスキルがなかった。あったら魔狼に苦戦なんてしない。
「ないっす。」
「ないの?わかった、こっち来て!」
特に驚く事なくコアは瞬時にリオンの手を取って、
足早に森を駆け出した。リオンはただその場でコアに引き寄せられるまま、魔狼との距離を離すために、必死に走り続けた。
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