第2話 占領地の悲哀

   占領地の悲哀


「お嬢様、お逃げ下さい!」

 侍女のモリナが小さく、緊張した声音でそう告げてくれるけれど、ユリファは首を横にふった。

「私はこの書状をお父様にとどける使命があります。ですが、彼らの狙いはきっと私でしょう……。私が逃げれば必ず彼らは追ってきます。私が囮になります。モリナ、あなたがこの書状をもって逃げて下さい。そして、お父様にとどけて!」

 モリナは一瞬、驚いたようだけれど、すぐにそんなユリファに笑いかけつつ「歳の近い私が侍女となったのは、こういうときに身代わりとなるためです。私がお嬢様のふりをして時間を稼ぎますから、お嬢様が逃げてください」

 そんな忠誠心をみせる侍女のモリナに涙しそうになるも、反論しようとしたユリファは、ふと馬車の外から戦いの喧騒が消えていることに気づく。

 言い合いをしているうちに、馬車を護衛する兵士と、賊との戦闘が終わってしまったようだ。その結果は……考えたくもなかった。

 恐らく、馬車はもう賊徒たちにとり囲まれているだろう。これでは逃げだすこともできない。

 何者かの気配が、馬車の扉に近づいてくるのを感じた。このままだと、任務を達成できないばかりか、すべてを奪われるだろう……。それは、彼女たちの貞操も……。

 ユリファは胸に秘める小刀を、ぐっと握り締めた。


 扉がひらく。

 モリナがユリファを守ろうと、前に立ちふさがった。でもそこに立つ男をみて、拍子抜けした表情を浮かべた。

 武装もしておらず、まるで近所に買い物に行くような軽装で、戦場にいるときの緊張感もない。

「あなたは……?」

「あ~……。盗賊だったらもういないよ。それより、食い物をもってないか? お腹が空いちゃって……」

 飄々とその男は訊ねてきた。

 ユリファも驚いて、馬車からでる。すると、そこには戦闘があったことなど微塵も感じさせない、平穏な空気がただよっている。ただし、兵士は誰もいない。でもそこに一人、倒れている衛士がいた。

「エイグ⁉」

 ユリファとモリナが駆け寄った。まだ息はあるけれど、鎧の隙間から血が流れだしており、重傷を負っているようだ。意識もない。

「ここでは治療もできません。早く町へ……」

「白魔法はつかえないのか?」

 先ほどの男が、背後からそう訊ねてきて、びっくりしてユリファが応じた。

「人族で、魔法をつかえる者は少数です。私たちにはとても……」

「ポーションは?」

「ポーション?」

「あ、いや……何でもない」

 彼はそういって引き下がった。この切迫したときに……、ユリファは睨むけれど、彼に命を救われたかもしれず、文句をいうこともできない。完全に信用したわけではないけれど、ユリファはこう申しでた。

「助けていただいてありがとうございます。私たちは食べものをもっていません。町まで来ていただければ、お礼も兼ねて饗応することも可能ですが……」

「町か……。行ってみたかったんだよね」

 男はそんな不思議なことをいう。みたところ人族だけれど、町に行ったことがないの? ふつうの平民は町で暮らすはずなのに……。訝しいけれど、今は衛士であるエイグを救うのが先。彼を馬車にのせて、モリナが手綱をにぎって、町へ向かうことになった。


 せまい馬車の中でエイグを横たえるために、必然的にユリファと男が並んですわることになった。

「紹介が遅れました。私はヴァイオラ国のシュリカという町のユリファと申します」

 彼女は貴族の娘であるけれど、それを語らないのは、まだこの男を完全に信じていないからだ。

「オレはキョウ」

「キョウ……? 変わった名前ですね」

「別の世界……、あぁ、別の国から来たんだよ」

「キョウさんが盗賊を追い払ってくれた……んですよね? 剣をお持ちでないようですが……?」

「オレは……、ペテン師だ。口先で丸く収めたのさ」

 キョウは飄々とそう語る。そんなことで賊が追い払えたの……? そうなると、書状を狙ったものではなかったのかしら……? それともシュリカの当主、貴族の娘としての、私の立場が狙い……? それともただの金銭目当て? どれにしろ、口先で撃退できるとはとても思えない。

 彼は馬車の揺れが心地いいのか? すぐに傍らですやすやと眠ってしまう。

 本当に不思議な人だ……。

 シュリカの町が見えてきた。高い城壁に囲まれ、遠くにみえる山の稜線、それに寄り添うように建つ堅牢な要害だ。

 城門でモリナが手形をみせると、すんなりと通してくれた。

 城内に入ると、すぐに兵士にエイグの処置を命じ、モリナに告げた。

「モリナ。キョウ様のことをお願いします。私はお父様のところに行きます」

 目配せをすると、モリナもその意を感じて頷く。それでユリファも安心し、書状をもって走りだした。


 ユリファの帰還を待ち詫びていたのは貴族で、騎士でもある父親のロイドであり、城内の第一執務室で面会した。いくら家族、自分の娘でも、これは公務であり、他にも数名がいる。

 書状を手渡すと、すぐに封である蝋を溶かし、ロイドは開封した。しばらく目を通していたが、すぐに落胆する。

「やはり……共闘を拒否するか」

 ユリファも自分の任務がうまくいかなかったことを知って、失望した表情を浮かべた。

 このシュリカという町は、三年前に隣国から戦争で勝ちとった領地だ。背後にあるシュリ山を越え、攻めとった功績でロイドがこの地を治める領主となった。

「だから私が言ったでしょう? ラプサーナはこのシュリカを落とされ、未だにその遺恨がある、と……」

 そう語ったのは、ラプサナストラム教の教区長、ドウル・ファズム。ヴァイオラ国はラプサナストラム教を信仰していない。しかしまだ占領後、まもなくであり、ラプサーナ国の国教として信仰される宗教を、禁じるよりも利用した方がいい、との判断から、以前と同じように統治に口をだす権限を与えていた。

「しかし、魔族の脅威が高まりつつある中、人族同士が争うのはバカげている」

「それはヴァイオラ国の理屈です。彼らは協力するぐらいなら、シュリカを明け渡すべき、と考えている」

 その通りだ。ヴァイオラ国側は、天然の要害であるシュリ山を越え、領土拡張をすることが悲願だった。だから国王はこの地を手放すといわない。

 しかしそのことで、ここは非常に不安定な政治状況だった。恐らく魔族が攻めてきたとき、ヴァイオラ国の支援は間に合わないだろう。そこで隣国、領土を奪い取った相手との協力を申しでるため、ユリファが使者として赴き、断られた……というのが今回の顛末だった。







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