最終話 第六皇女殿下は黒騎士様の花嫁様



「誓います」


 そう発したアレクシスの言葉に、声に、ヴィクトリアは嬉しそうな表情をする。お互いを見ずに、神父と神に宣誓をしなければならないので、祭壇に視線を向けたままだが、彼の一言がヴィクトリアの胸に響く。

 一番最初に彼を見た時から、ずっと想っていた。

 周囲が騒ぐほどに、恐ろしいと言われる人物を遠目で見た時。小さなヴィクトリアを見かけ遠くから、目を眇めて微かに笑ってくれた瞬間、絶対に優しい人だと、言い表せない直感があった。

 この人の傍にいたいと強く想ったのだ。


「汝は――病める時も健やかる時も、悲しみの時も喜びの時も、貧しき時も豊なる時も、この男性を愛し、敬い、慰め、助け、永遠の愛を誓いますか」


 神父の問いかけに、ヴィクトリアが答えようとした瞬間――……。

 クリスタル・パレスの左右の翼棟から挙式に相応しくない音と振動が会場内に聞え、伝わる。

 挙式に参列していた軍関係者達が一斉に立ち上がった。

 しかしそれ以外の参列者、周辺国からきた貴族や要人達は取り乱し、声を上げパニックに陥る。そして、会場内に飛び交うなんらかの術式が光り、花と緑と光に溢れた場を黒い煙で覆っていく。

 ヴィクトリアの父親である皇帝と、一番上の姉のエリザベートが会場内の術式を抑えようとするが、追加されていく煙幕によって、標的を補足しきれないでいた。

 このクリスタル・パレスを囲んで挙式を祝うために、集っていた領民達もこの惨事に悲鳴を上げる。


「エリザベート、魔力の制御が効かない」

「父上も!? 私もです」


 エリザベートと皇帝は顔を見合わせる。

 二、三歩離れている距離でようやく相手が視界に映るという煙幕。

 ヒルデガルドも他の軍関係者も魔力の制御が思うようにいかないと気付く。


参列者を外に避難させ、煙幕が薄くなり始めたころ、アレクシスは隣にいるはずの花嫁を見るが、そこに彼女の姿はなかった。


「ヴィクトリア!」


 声を上げ、今日の主役の名前を呼ぶが返事はない。

 避難し、助かった賓客達からは同情の視線が向けられる。


――やはり、あの姫も心の底ではあの男の嫁にはなりたくはなかったのだ。

――これはもしかして、あの姫が企てた逃走劇では? 


 ヴィクトリアとの結婚を妬む者達の小さな囁きが煙幕と一緒にアレクシスにまとわりつくようだった。しかし、皇族は知っている。皇族の一番小さな末姫が、どれほど今日の日を待ち望んでいたのかを。


「第七師団! ウィンター・ローゼ街門の検閲を! 第三師団は避難誘導と、クリスタル・パレス周辺再警備!」


 軍務尚書の怒声にも似た指揮が飛ぶ。

 アレクシスは避難をする参列者に視線を向け、気が付いた。

 多分一番この結婚を、祝福はしないだろうと思っていた人物がこの挙式に参列していたはずなのに、その姿が見えないことを。

 


「馬を出せ!」


 

軍務尚書よりも遥かに大きく、怒声にも似たアレクシスの声がその場に響く。

 新兵が慌ててその命令に従う。アレクシスの愛馬をクリスタル・パレスのエントランス前まで連れ出す。

「閣下、クリスタル・パレスに耐魔法と制御を狂わす術式を発見しました! ロッテ様が部下の方々と解除にあたってます!」

 皇帝も第一皇女も、魔力が使えない違和感を感じていて、その原因がわかり、エリザベートがアレクシスの前に進み出る。

「フォルクヴァルツ卿、この場は私に任せておけ、卿はヴィクトリアを」

 アレクシスが頷いて愛馬に飛び乗ると、一緒に小さな子犬も飛び乗る。

 否、子犬のように見えるが、ヴィクトリアが可愛がっていたオルセ村の狼の子アッシュだった。鼻をピスピスと鳴らし、愛馬を誘導するようにキャンキャンと吠えたてる。まるで、ヴィクトリアの場所をその嗅覚で察知している様子にも見えた。

そしてそのアッシュの鳴き声を聞き取ったかのように、アレクシスを乗せた愛馬はウィンター・ローゼ街門を駆け抜けていく。門を抜けたところでアッシュは遠吠えをするが、可愛らしい遠吠えだった。しかし、その遠吠えに追従するように、迫力ある狼の遠吠えが響き渡る。

森の方から、空を覆う鳥の大群が、まるで道標のように飛行して始めていた。




「馬車をウィンター・ローゼに引き返しなさい。もしくは、わたしをここで降ろして。貴方は何をしているのか自覚されていますか? ギルベルト殿下」


 あの煙幕でヴィクトリアはギルベルトの配下に拐われた。煙幕だけではなく実行した配下は第七師団の団員の制服をどこからか調達していたのだ。

 綺麗な人形のように、表情を固めたままヴィクトリアは対面に座る隣国の第二王子に尋ねる。

 結婚式に別の男に連れ攫われる花嫁にしては、冷静な対応だ。さすがは帝国の皇女。これがふつうなら泣き叫ぶだろうが、ヴィクトリアは取り乱すことはなかった。

 そうした皇女らしい矜持の示し方も、彼の中では理想だった。

「キミを手に入れたかったんだよ、愛しているんだ」

 白皙の金髪の王子様からの愛の告白を受けたにもかかわらず、ヴィクトリアの菫色の瞳に冷ややかな温度を乗せ、眉間に皺を寄せた。

 ギルベルトは酷薄な笑みを浮かべる。

「キミは帝国の皇女、いやいやながらも、政略的な結婚をしなければならなかった。誓いの言葉を交わす前に、こうして僕と一緒にアルデリアへ行く。政略ではなく真実に愛し合う二人の駆け落ちならば、皇帝も認めるだろう?」


「わたしが愛しているのは、黒騎士様です。貴方じゃない」

 

 ヴィクトリアの言葉に、ギルベルトは今更ながら驚いたような表情をする。

「ヴィクトリア……キミは、本気であの男と結婚する気だったの?」

 ギルベルトの問いかけに、ヴィクトリアの発言を軽んじる口調がにじみ出ていた。

 失礼な。どこをどうとっても目の前の王子よりも黒騎士様の方が、カッコイイし、頼れるし、大人だし、仕事もできるとヴィクトリアは内心反論する。

 今目の前にいるのが、王子ではなく、ヴィクトリアの姉達だったり、黒騎士様だったり、ずっと一緒に仕えてくれているアメリアだったら――ヴィクトリアが真に心許す相手ならば、声に出して、表情もあらわにして反論しただろう。

 だがそれ以外は――まして自分を拘束してるこの王子相手にはそういった素の部分を見せず、対外的な帝国の皇女という部分しか表面に出さない。

 帝都の社交界で黒騎士様を外見で判断を下す者――特に今回の社交シーズンに訪れていた周辺諸国の貴族達も、黒騎士様に降嫁などと、彼を侮る雰囲気があった。

 彼との婚約を取りやめていただき、自国にお迎えしたい等とあからさまに言葉に出して進言してきた者もいた。


「わたしは黒騎士様の花嫁ですから」


 ここで魔力が使えたらと何度も思う。しかし、このヴィクトリアの身に着けたネックレスが、耐魔法の術式がつけられており、外そうとするたびに魔力を吸収し、体力を奪っていくようだ。


「それ無理に外さない方がいいよ。うまく定着できてよかった。さすがに帝国の皇女が身に着ける宝飾品にこの耐魔法魔力吸収の術式を掛けられるかネックだったんだよね。親切な女性が協力してくれたよ」


「親切な……女性?」


「イザベラって言ったかな。調べたけれど、どうやって逃げたのかな? 帝都の某所で収監されてるはずなんでしょ?」


 ヴィクトリアは目を見開く。

 ハルトマン元伯爵夫人であるイザベラ。彼女と彼女の父親の散財でハルトマン伯爵領は傾き、今回の社交シーズン中に若い令嬢を他国に売りさばくという悪事を父親と共謀し、その身柄は犯罪者収容所に収監されていたはずだ。 落ちぶれても、決して消えない美貌で看守を誑かし、逃走したのだ。


「亡命とお金を報酬にと言われたけれど、僕はキミをアルデリアに迎えたいので、彼女を僕の国につれていくわけにはいかないから――……」


 ギルベルトは笑顔を浮かべて言葉を切る。だが、ヴィクトリアはなんとなく察した。彼女を処分したのだと。

 こういうところが実に貴族というか王族というか。ヴィクトリアを散々、影で小さい末姫とか、エリザベートを次期女帝に据えるのはどうかと言い出す輩に似ていて、あやうく感情のままに怒鳴り散らしそうになった。


「あともう少しで転移魔法陣を設置した場所かな……」


 このまま、アルデリアに連れ去られたら、多分ギルベルトの思惑通りに事は進む。

帝国の皇女と隣国の王子の駆け落ちというオチで、アルデリア側は押切るだろう。


――やだ、黒騎士様!!


 その時、馬車が止まった。馬車と並走していた護衛が血相を変えて馬車と距離をとるのが、窓から見えた。


「何が起きた!?」


 ギルベルトが何事かと馬車のドアを開けようとすると、ガクンと、馬車が傾く。振動はかなりのもので、ギルベルトは片手で馬車につかまり外に投げ出されないように態勢をとる。馬車の後輪から動物の唸り声が聞こえ、視線を向けると、黒い狼が唸りながら車輪に噛みつきその牙で粉砕するところだった。

 何故、狼がここに!? そう思い今度は、御者台の方へ視線を向けると、御者は鳥に襲われて、御者台から転げ落ちて馬車から逃げ出していくのが見えた。


「くそ! 来い! ヴィクトリア!」


 グイと腕を引かれ馬車の外に無理矢理引っ張り出された時、ヴィクトリアの視界には、馬車の後輪を噛み破壊し唸り声をあげる。狼のクロの姿と、その後ろから、黒い馬に乗ってやってくるアレクシスが映る。


「黒騎士様――!!」


 ギルベルトはクロの威圧に恐れないのか、それとも何か魔法を展開させているのか、魔法を封じられているヴィクトリアにはわからない。多分後者だ。


――魔法が使えたらっ……!!

「黒騎士様!!」

 

 クロは唸り、王子を睨み据えて吠えた。

 それを咆哮と一緒に、上空にいる鳥が王子が展開しようとする魔法の盾になる。


「クソ、鳥が壁になって!」


 ギルベルトが放つ火炎の魔法の壁になり、鳥は消し炭になっていく。

 が、鳥達と炎が消えると、アレクシスとの距離は近づいていた。

アレクシスは馬上で剣を抜いて振り抜く。

 距離がありすぎて、物理的に無理だとギルベルトはほくそ笑むが、その宙を切る剣の風圧は、ギルベルトを吹き飛ばす。


「ヴィクトリア!!」

「黒騎士様!!」

 

 ギルベルトの手から自由になったヴィクトリアは、アレクシスに向かって泣きながら走り出す。

 アレクシスも馬上から飛び降りて、ヴィクトリアに手を伸ばして彼女を抱きしめた。


「怖かった……怖かった!! もう、黒騎士様に会えなくなるかもって……でも……絶対に来てくれるって……信じていました……」


「当たり前だ。俺の花嫁は貴女だけだ」


アレクシスはヴィクトリアの頬に伝わる涙を親指で拭う。


「俺の忠誠も、愛も、この命も……全部、貴女のものだ。もう神にも誓った」


 アレクシスにそう言われて、ヴィクトリアは彼の背に手を回して彼を見上げる。


「わたしも、黒騎士様のものです。病める時も健やかなるときも、ずっとずっと――……」

「ヴィクトリア……」


 アレクシスは両手で小さなヴィクトリアの頬を包んで彼女の唇に自分の唇を重ねる。まるで壊れ物を扱うかのような、キスだった。

 

「魔法が使えなかったの……、これに細工されてたの」


 ヴィクトリアの首を飾るネックレスの鎖を、アレクシスは片手で指先で押しつぶすようにして歪めて強度が弱まったところで千切り落とした。

 その力にヴィクトリアは驚いて、でも、嬉しそうに彼にもう一度抱き着く。魔力が戻ってきてるのがわかって、アレクシスも、ほっとする。

ヴィクトリアは地面に落ちたネックレスを手にして、何か魔法をかける。

ヴィクトリアの魔法でネックレスは手錠に変わり、少し離れたところで伸びているギルベルトを見て「悪い人はこれで捕まえておけば、逃げられません」と呟く。


「万死に値するが?」

「あれでも一応、一国の王子様です。国家レベルで賠償の話を。最低でもクリスタル・パレス再建にかかる費用は絶対に出してもらいますよ!」


 いつものやりとりに、二人は顔を見合わせて笑いあう。

 アッシュが小さく吠えて、バングルを咥えてギルベルトの方へ走っていく。

 多分アレクシスがバングルを投げつけただけでも効力は発揮するだろう。アッシュが気を失ったギルベルトの身体に咥えたバングルを落としても同様だ。

 気を効かせてくれたアッシュに感謝して、アレクシスはヴィクトリアにもう一度キスをする。

 鳥の羽ばたきが、二人の耳にも聞こえてきて、上空を見ると、鳥は旋回してウィンター・ローゼの方向へ飛んでいく。

その先には、第七師団を初め、領民たちがヴィクトリアとアレクシスを追って二人の元へ向かってくるのが見えた。

アレクシスはヴィクトリアを小さかった時と同様に片腕で抱き上げる。


ヴィクトリアは迎えにきてくれた領民達にむかって手を振った。


そんな二人を包むように一瞬、春風が吹いてヴィクトリアのベールが、シュワルツ・レーヴェ領の青空に舞って行った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――

本編転載終了です。

ヒーロー文庫様より5巻まで書籍化しましたが、コミカライズしませんでした。

そういうお話はこないと思うので、コミカライズしたかったなという気持ちと、自分の中のイメージが壊れるようなコミカライズにならなくてよかったなという気持ちが常にせめぎ合う。

初めての書籍化した作品でした。

書籍の方はゴリゴリの魔改造を施してます。紙書籍での入手は無理かもしれませんが、余裕があって電子書籍に忌避がなければ、購入を考えて頂けると嬉しい限りです。


閑話の転載は明日の19時に公開されます。

その一時間後、新作を公開予定です。よろしくお願いします。

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