第72話――汝は、病める時も健やかる時も、悲しみの時も喜びの時も
式場となったクリスタル・パレスでは参列者が次々と入館していく。帝国の末姫が工務省と共に作り上げたガラスの城を模した巨大温室庭園。
アルデリア王国第二王子ギルベルトもその場にいた。
従者がギルベルトに何か小さなメモを渡す。その目を開いて視線を落とした。
――下準備は終了
その文字に、ギルベルトは微笑を浮かべる。
帝都の夜会で、ヴィクトリアに再会した後、自分の前に現れたのは、一人の女だった。多分誰かのパートナーではあるだろうと思っていた。その女はこう告げた。
――ヴィクトリア殿下を手に入れたいのなら、協力は惜しまない。
今期の社交シーズン。帝国の夜会に出ていた諸外国の貴族達は誰もが一度は思ったことだ。この婚約をなかったものとして、自分が、ヴィクトリアを娶りたいと。
ヴィクトリアを手に入れる為に協力を惜しまないと告げた女は、下準備も全部やる。あとは挙式で彼女を攫うだけでいいと。準備にかかる経費及び報酬はまとまった金額と、他国への亡命を希望した。
たったそれだけで、彼女が手に入るなら安いものだと、ギルベルトは思った。
魔力も少なく、身体の成長も遅いと言われていたヴィクトリアがアルデリアに留学してきた時は、帝国の末姫という地位に惹かれた。まさか時期女帝のエリザベートに匹敵する魔力持ちだとは知らなかった。今思えば上手く隠していたものだ。
そういう計算高いところも、彼女にはあったのだと改めて今回の社交シーズンで思い知った。
第二王子と言う地位に甘んじてはいるが、玉座を狙う彼にはヴィクトリアは必要だ。ヴィクトリアが、大陸を騒がせたほどの美姫に瓜二つとなったことだけではない。あの魔力をもってすれば、自分の野望も叶う。
もとより、貴族の結婚は政略が伴うのだ。
今回の結婚だって、ヴィクトリア自身躊躇いがあってもおかしくはない。一回りも年上で、年頃の令嬢ならば泣いて逃げ出す風貌の、厳つい軍人に、皇帝の命によって降嫁させられたのだから。
自身の挙式で花嫁を待つ男からは、歓喜の表情が見えない。
皇帝の命令、皇女の降嫁ということで、彼自身もこの結婚は政略の文字が重くかかるものにすぎないのではないのだろうかと、ギルベルトは思った。
――メインが到着するのを待つだけだな……。
自分ならば、彼女を――ヴィクトリアを、彼よりも大事にできるという自信があった。
だから。
あの得体の知れない女の話に乗ろうと思った。
参列者達が座る椅子が扇状に設置され、通路のサイドには春の花が小さく道を作るように白いリボンで纏められ飾られている。白いタイルにグリーンと白薔薇と菫の花が映えて、奥の流水階段の前に設えた祭壇が、全館ガラス張りのこの建物が取りこむ光を館内に反射させている。
大聖堂での挙式ではないことに、一部の者は呆れや侮りも内心抱えていたのだが、このクリスタル・パレスでの式場の華やかさには、今までの挙式のイメージを払拭させ「これはこれで、ありかもしれない」と思っていた。
アレクシスは式典用の軍服を身に纏い、祭壇の前に立ち花嫁を待つ。
式典用軍服は国の祭典の時に軍高官が着用するもので、普段の着用している制服の色とは異なる。色彩を白に近づけているので、アレクシスは淡いグレーの軍服を身に纏っていた。
そして騎乗した第三師団のヒルデガルドを筆頭に、花嫁の馬車が到着する。
ヒルデガルドが馬車の停車を確認して、馬から降り、馬車のドアを開けた。
馬車から降り立つヴィクトリアを見て、クリスタル・パレスの前に集まっていた領民が歓声を上げる。
その歓声は祭壇まで聞こえていた。
ヒルデガルドのエスコートから、扉の前にいる父親であるリーデルシュタイン帝国皇帝にヴィクトリアの手が渡された。
「小さかったお前が、花嫁とは……」
「ちゃんと大きくなりました、父上」
皇帝が頷くと、ヴィクトリアは父親の腕に手を通す。
そしてドアが開け放たれた。
招待した参列客の奥に、祭壇と、神父そして花婿であるアレクシスがいた。
挙式の神父は、帝国とも同盟にあたる某宗教国家の枢機卿である。
この聖堂とは異なる式場に最初は難色を示していたが、実際、式場を見学した時には感嘆のため息をもらした。聖堂と違ってパイプオルガンはないが、フェルステンベルグ領から呼び寄せた楽団は、会場に管弦で静かなメロディを奏で、華やかで光に溢れる式場の中央を歩き、祭壇前に立つアレクシスを見つめて、嬉しそうな表情を浮かべる。
まさに花嫁様の笑顔。
二人が横に並ぶと、管弦楽の音は止まり、神父の朗々とした声は夫婦についての説諭が語られ会場に響き渡る。
その言葉を招待されていた諸外国の貴族達は花嫁姿のヴィクトリアを見て「もっと以前から皇帝にこの姫を頂くことを強く希望すればよかった」と歯噛みする。
――そう、彼女が、ヴィクトリアが帝国に帰国した直後にでも、この話を帝国に打診すればよかった、しかし、もうすぐ、彼女は手に入る。
そして、この婚儀の少し前、ヴィクトリアの私室では騒動が起きていた。
ヴィクトリアを見て感激していると思っていた侍女、レーナの様子がおかしいことに、周囲の者が気づき、帝都の皇城から支援に来ていたヴィクトリアの専属侍女の一人、アウレリアがレーナに声をかけた。
口は動いているのに声が出ないレーナに、何か魔法がかけられていることに数名の侍女が気が付く。
アウレリアもヴィクトリアの専属侍女なだけあって、伯爵位の貴族令嬢として魔法を行使できる。
泣いたまま沈黙をする侍女に、何か異様な事態を感じ、彼女は沈黙を守る魔法を解除した。
侍女レーナは泣きながら、事の次第を語る。脅されて、得体の知れない女からの魔石をヴィクトリアのネックレスに近づけてしまったことを。
レーナにかけられていた魔法の解除に魔力をごっそりと抜かれたアウレリアはその場に座り込んだ。
アウレリアを案じ、侍女達が彼女を取り囲む。
「……誰か……第七師団の誰かを呼んで……、事の次第を報告し、急ぎ、クリスタル・パレスへ……」
侍女の一人がドアへ向かうと、魔石を持っていた侍女が叫ぶ。
「わたしも、わたしも参ります! わたしがっ! 急ぎ知らせに! わたしの責任です! そのうえでどんな処罰も受けます!」
そう泣いて叫ぶとドアへ走り出していく。
ヴィクトリアの私室が騒がしいので、最初は「姫様が無事に挙式へ向かって興奮しているのか」と思っていた領主館の護衛についていた第七師団の団員二人が、どうしたことかとドアを開ける。
部屋の中央で、アウレリアが床に蹲り、侍女達がそれを取り囲み、一人、泣きながらドア間に立っている侍女に視線を移す。
一瞬、もめごとかと思って、どう諫めていいかその切り出しを団員二人は考えた。二人とも、女性同士のもめごとに首を突っ込むことには慣れていない。
アウレリアが団員の二人を呼び寄せ、事の次第を説明する。
不審な人物が侍女を脅し、ヴィクトリア殿下の宝飾品に不審な魔石を近づけてしまったと。
「魔石は……ネックレスに吸い込まれて……たとえ家族の命を盾にとられても、姫様を守ってこその侍女なのに……罰は受けます! でも姫様にすべてを打ち明けて、お守りしなければっ」
本人はそう訴えているつもりなのだが、うつむいて、ハンカチで口元から鼻を隠している為と涙と鼻声で何を言っているのか聞き取るのが困難だったが、言いたいことはその場にいる全員に伝わる。
「わたしが、お救いします」
最後の言葉だけが辛うじてはっきりと聞こえた。
扉を飛び出して行こうとする侍女を団員の一人がひょいと抱えて、うずくまるアウレリアの傍にその侍女を立たせる。
「殿下をお守りするのは、我々の仕事だ」
「この子が領主館を飛び出していかないように見ていてほしい」
団員二人は他の侍女達にそう言い残し、ドアの外へと足早に去っていった。
ウィンター・ローゼは本日の挙式でこの館からクリスタル・パレスまでの道筋は、領民が祝いの言葉を投げかける為に規制を敷いていた。この交通の規制は一日は解除されない。その道筋を領主館から急ぎ知らせをと団員を乗せた馬が走り出していく。
侍女の発言をすべて真に受けたわけではないが、少しでも疑わしいことは確認を取らなければという思いがあった。
規制をしているのでヴィクトリアの乗せた馬車の順路はスムーズで、挙式会場のクリスタル・パレスまで通常よりも速く行きつく。
何事かと、クリスタル・パレス周辺警備を担当している団員が騎乗して伝達を持ってきた団員に走り寄る。
「何があった?」
団員達にクラウスが近づく。階級上、今、この場ではクラウスがクリスタル・パレス外の警備責任を請け負っている。
めでたい挙式に、水をさす知らせなのだ。
できればすみやかに上官に知らせたかった。
「殿下が身につけられている宝飾品に不備があったと、侍女から知らせを受けた次第です。殿下は、ご無事ですか!?」
「挙式はクリスタル・パレス内で滞りなく進行中だ」
その言葉を耳にした団員は長い溜息をついた。
「しかし今はその旨をお二方にお知らせすることはできないぞ、挙式中だ。参列された方々がここを出てからでなければ――……」
クラウスがそう言いながら、背後のクリスタル・パレスを仰ぎ見る。ガラスの巨大温室庭園は、晴れ渡った青空と春の陽光を冠にして輝いていた。
国内外の要人をその中に入れて華やかな挙式の真っ最中。
――汝は、病める時も健やかなる時も、悲しみの時も喜びの時も、貧しき時も豊なる時も、この女性を愛し、敬い、慰め、助け、永遠の愛を誓いますか。
神父の声が、クリスタル・パレスの中で厳かに響いた。
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