第69話「ものすごく大きなものをお祝いの品として用意してるそうなの」


 

 すやすやと小さな寝息をたてている赤ん坊が、何の夢を見たのか、ふぇふぇとぐずり始める。

 そのぐずる赤ん坊の頬をなぞる白い指先は細く美しかった。


「よしよし」

 

 細い腕に小さな赤ん坊を抱き上げる。

 赤ん坊を抱き上げたその女性の姿は、美しくたおやかでそして神聖な宗教画のようだと傍にいる者達は思った。

 その彼女がいる部屋の扉が開かれて、赤ん坊を抱き上げた彼女は扉の前に立つ人物を見て微笑みかける。

 金の髪に国の王族衣裳のターバンを巻いており、浅黒い肌と深いグリーンの瞳をしている美丈夫といっていい男性が立っていた。

 彼は両手を広げて、赤ん坊を抱いた彼女に歩み寄る。

「うちの王子様と奥方のご機嫌をとりにきたぞ」

「お仕事お疲れ様です。カサル」

「いやいや、君とシャムスの顔を見たら疲れはないよ」

 彼はそう言って、赤ん坊を抱く絶世の美女を抱きしめる。

「もう早く君に伝えたくて。朗報だ、グローリア。里帰りができるぞ」

「え?」

「シャムスの首も据わった、シャムスは海を統べるサーハシャハルのいずれは王となる子だ。この子の初船の儀にかこつけて、リーデルシュタイン帝国まで行こう。このシャムスの誕生祝いの品を山のように送って寄こした君の祖国の慶事が近くあるそうじゃないか! 君のすぐ下の妹が結婚すると!」

 その言葉を聞いた彼女は緑金の瞳を輝かせて彼を見上げる。

「本当……!?」

「君の妹の結婚式に出れるぞ! 祝いの品も用意しないと」

「カサル!! 嬉しい! ありがとう! 夢のようだわ!」


「君が最初に私に夢を見せてくれたんだ。だから、今度は私が君に夢を見せるよ、グローリア」




 帝都、皇城のヴィクトリアの私室では皇妃とマルグリッドとヒルデガルド、そして侍女たちに囲まれたヴィクトリアが挙式の衣裳を受け取りに来ていた。

「着付けはアメリア達に任せて大丈夫でしょう」

「ありがとうございます。母上、姉上」

「私達も出席しますが、先にヒルデガルドの部下にこの衣裳を持たせて、ヴィクトリアの専属護衛としてつけさせますから、よろしくね」

 皇妃から紹介された第三師団のヒルデガルドの部下、ペトラとクリスタがヴィクトリアに礼をする。

「第七師団は男性のみで、行き届かないところもあるでしょうから」

「辺境は今、各国のお偉方の子息がうじゃうじゃいるからな。屋敷の警備もフォルクヴァルツ卿ならば万全を配してるだろうが、同じ護衛でも女性がいるとヴィクトリアも心強いだろう」

 ヒルデガルドの言葉に、ヴィクトリアは嬉しそうに顔をほころばせる。

「ありがとうございます。姉上……姉上達も母上も、その……きてくださる……?」

「当たり前だろ。エリザベート姉上も、さすがにそこは予定を空けている、と手紙がきていた」

「わあ!」

「それだけじゃないわよ~トリアちゃん。グローリアちゃんもいま辺境に向かっているそうよ」

 同盟国であり南国に輿入れした第五皇女グローリアが誕生した王子の初船の儀にかこつけて、ヴィクトリアの辺境へ船で向かっていると連絡を受けていた。

 海洋国家サーハシャハルの王族における初船の儀とは生まれた王子を船に乗せ、航海させるというものだ。海の恵みと海神の加護をそこで授かると言われている。長い航海であれば、それだけ海神に加護が与えられると言い伝えがあるらしい。

「船で!?」

「ああ、サーハシャハルの軍艦を護衛につけてな。ニコル村の軍港は大丈夫だろうか?

近くヴァルタースハウゼン閣下も視察に赴くそうだが」

「直接ニコル村まで転移ですか?」

「そのようだな」

「閣下ならば大丈夫ですね」

 そのかわり、先ぶれもなしでいきなり訪れてくる可能性は大きいとアレクシスも思った。

「ニコル村に視察にいっても、ウィンター・ローゼの宿を予約してるご様子ですわ~転移魔法陣なしで自由自在ですもの~」

 ヴィクトリアは自分の知り合いも、黒騎士の知り合いもみんなが辺境領ウィンター・ローゼに集まってくれることが嬉しい様子だ。

「ところで、マルグリッドから聞いたのだけど式を行うのは教会ではないのですって? どこで挙式をあげるつもりなの?」


「クリスタル・パレスです」


 皇妃の質問に得意気にヴィクトリアは答える。

 ウィンター・ローゼ観光の要所、帝国最大ともいえるガラスの張りの巨大温室庭園だ。

「噂の巨大温室庭園ですね」

「はい、大勢の方をお招きするのですから、ウィンター・ローゼの教会では収まりませんから」

 春の陽光を取り込んで輝く緑の中で、用意された花嫁衣裳を着る自分を想像したヴィクトリアは両手で頬を押さえて、独りでキャーっと盛り上がっている。

「サーハシャハルの一行は、どのぐらいでニコル村に到着するのでしょうか?」

 ヴィクトリアははっと我に返る。

「そうよね、カサル王太子殿下もご一緒ですもの、お出迎えの用意もしないと!」

「うーん……だいたいあと五日ぐらいとみていいんじゃないか?」

「どうもね、グローリアが言うには、ものすごく大きなものをお祝いの品として用意してるそうなの」

「大きなもの……」

「サーハシャハルでは実用性はあるけれど、このリーデルシュタインでは使えないかもしれないんですって。でも、トリアちゃんならなんとか工夫してくれると思ったようで、あえてカサル殿下の選択に否を唱えなかったそうなの」

「なんですか、それ……」

「取り扱い要注意のもので、でも、大きくて、人目を惹くもので……」

「マーゴ、焦らさず教えてやれ、フォルクヴァルツ卿も対応にあたるだろ」

 マルグリッドは姉であるヒルデガルドと母であるエルネスティーネを見つめる。

「わたしが言うの?」

 二人にそう言うと、二人は頷く。

「見て驚くかもしれないし……」

「ああん、もう! 教えてください、姉上! なんですかそれは!」


 マルグリッドが伝えた言葉を聞いたヴィクトリアは菫色の瞳を見開く。


「な……なん……それって船に乗せることができるのですか!?」

「まあ……なんといってもサーハシャハルの船ですから……できるでしょうね」

「た、確かに珍しいモノですし、この帝国ではお目にかかったことはないですけど、この帝国で扱えるのですか? しかも辺境領は冬は雪に埋もれる土地なのに!? どうしたらいいの? 黒騎士様、そんなお祝いの品とか……」

「……殿下、コンラート氏に学園都市の状況を尋ねた方がいいでしょう。保管はそこが最適では?」

 ヴィクトリアが珍しいぐらいに狼狽えているのが、意外と新鮮だった。

 彼女ならば何を贈られても動じないと思っていたからだ。

「祝いの品は、その人のお気持ちですから、ありがたく受け取りましょう。シュワルツ・レーヴェの財産になるのだから」

「く、黒騎士様は驚かないの?」

「フォルクヴァルツ卿は、自分自身が結婚する方が驚きで、他に何があっても動じないんじゃないのか?」

 ヒルデガルドが軽口を叩くとヴィクトリアは姉をにらむ。

「そういう言い方ないですよ、姉上! 黒騎士様は怒っていいのよ!?」

 憤慨するヴィクトリアを見て、アレクシスは目を眇めて彼女を見つめて僅かに微笑んでるだけで、何も言わなかった。

 その様子を見てヒルデガルドも彼は変わったなと思った。

 以前ならそんな表情でヴィクトリアを見ていることはなかった。

 婚約当初の気持ちのままだったら、彼は臣下という立場を崩さずに接して、ヴィクトリアをそんな風には見つめなかっただろう。

「それで、グローリア達はウィンター・ローゼのロイヤルホテルの方に宿泊?」

 貴族御用達の中でも最上級の宿になる。

 ヴィクトリアの結婚に出席する貴賓はほぼ、そこで予約を埋めていた。

「フォルクヴァルツ卿のご両親は領主館別館なの? わたし達もそのつもりだったのだけど」

「両陛下や殿下にはロイヤルホテルを押さえていたのですが……」

「いいのよ、そこはサーハシャハルの一行に当てなさい。私も公務が終わりましたら、そちらに向かいます。ヴィクトリアのことだから、内々のことは苦手でしょう」

 皇妃の言葉にヴィクトリアは申し訳なさそうに伝える。

「それが……今、黒騎士様のお母さまが先に到着して、いろいろと補助してくださってて、それに、アイゼン男爵の奥方もご協力してくださってて」

「あら~よかったこと~トリアちゃんはエリザベートお姉さまのミニチュアみたいなものだから、絶対に内向きのことはどこをどう手をつけていいかわかってないもの~しっかりした方がいてよかったこと~」

 マルグリッドの言葉に、ヴィクトリアは項垂れる。

 政務は得意でも、奥向きのことが普通の貴族の令嬢よりも不得手なのはヴィクトリア本人にも自覚があった。

「確かにそれはそうなのですが……でも黒騎士様のお母さまにご迷惑をおかけして心苦しくて……お客様なのに、おうちの事をしてもらって……」

「いえ、母は逆に楽しそうなので、そのままでよいかと……それよりも、サーハシャハルの来賓と、例のお祝いの品の件は、早急に対処された方がいいでしょう」

 ヴィクトリアははっとする。

「そうですね。辺境領に戻ったら、さっそくニコル村に向かいましょう、黒騎士様。ニコル村の人達は、アレを見たら大騒ぎになってしまいます。慌ただしくて申し訳ありませんが、母上、姉上、私達はシュワルツレーヴェに戻ります!」

 花嫁衣裳に関する荷物をすでに魔法陣に置いたペトラとクリスタが、魔法陣のすぐ近くに待機していた。

 アレクシスと連れだって魔法陣に入ると、クリスタとペトラも魔法陣に入る。

「では、父上にもよろしくお伝えください。シュワルツレーヴェへのお越し、お待ちしております!」




 そんなやりとりから五日後……。 

 ヴィクトリアとアレクシスはできたばかりのニコル村の軍港にいた。

 アレクシスは目を眇めて水平線を見つめている。

「来ました……殿下……サーハシャハルの船が……」

 水平線の奥に小さい影を見る。

 その影は近づくにつれ、実態を現した。

 誘導する第七師団の船の後ろには、サーハシャハルの船が三隻、その姿を現す。

 ヴィクトリアもその巨大な船を見て、「わあぁ……大きい……」と呟いた。漁港ではなく新たな軍港に誘導してよかったと、アレクシスもヴィクトリアも思った。

 船が接岸してタラップが港にかけられる。

 そのタラップもかなり大きい。


「ヴィクトリア~」


 サーハシャハルの民族衣装をまとったすぐ上の姉、第五皇女グローリアが甲板からヴィクトリアに向かって手を振る。

 ヴィクトリアも子供のように、三年ぶりに再会した姉に向かって両手を振る。


「グローリア姉上ー!」


 グローリアはその甲板からその姿を消すと、護衛や使用人達が降りたち、その護衛達に挟まれるように、赤子を腕に抱いたグローリアとカサル殿下がヴィクトリア達の前に進み出た。


「ああ、ヴィクトリア! 大きくなって!」

「姉上! おひさしぶりでございます! カサル殿下、お世継ぎのご誕生、おめでとうございます!」


 そう口上を述べるヴィクトリアと、自分の妻が立ち並ぶ姿を見たカサル殿下は目を見開く。髪と瞳の色は違えど、双子かと思えるほどに瓜二つだった。


「驚いた、グローリア、君は双子だったか?」

「ヴィクトリアはわたしの三歳違いの妹よカサル、忘れちゃった?」

「女の子は三年たてばこうも成長するのか……」

「あら、この子は生まれてから体重が2倍にも変わったのよ」


 腕に抱く赤ん坊をのぞき込んでグローリアが微笑む。

 姉の腕に抱かれた姉の子をヴィクトリアも見つめる。


「可愛い~小さな王子様!」

「シャムスよ、すくすく育って、長い航海もぐずらないし、海神に愛されてるに違いないわ」


 再会を果たした姉妹の背後が騒がしくなる。

 主に第七師団とニコル村の代表や工務省の職員達のざわめきだ。

 中には魂が抜けたように。人が降りるタラップから現れたその巨大な生物にあんぐりと口をあけて見上げている。

 ヴィクトリアは姉がサーハシャハルへ輿入れした際に挙式で見ているが、しかしこのリーデルシュタインの新しくできた軍港はまだまだキレイなもので、それの大きさを比較対象するものがなく、こんな大きさだったのだろうかと内心思う。

 アレクシスも魔導具の映像では目にしたことがあるが現物を見るのは初めてだった。



「あれが……サーハシャハルの……『象』……」



 ヴィクトリアはアレクシスの腕に掴まってその象を見上げていた。

 


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